琥珀色の中に、白が交じり溶けていく。窓ガラスを叩く雨は強さを増し、夜の闇をより一層暗くした。店内を流れる音楽だけが、わたしたちの間をすり抜け、沈黙を和らげる。ミルクは疾うに混ざりきったというのに、いつまでもカップの中で動かしていたスプーンを、ソーサーの上に置く際に立つほんの僅かな音すら、わたしたちには必要な雑音だった。
 メニューを見るふりをして、さり気なく切り出すはずの言葉は、一向に外に吐き出されず、サラダ、肉料理、パスタ、ピザ、ドリンク、とページを捲り、用がなくなるといよいよ苦しくなってきた。目の前で二宮は淡々とコーヒーを啜っているだけだ。観るべき画面も、読み砕く書物も、パソコンも、話し相手も、何も手札がない状態で、飲み物ひとつでテーブルに座っていることに苦痛を感じる。ただ、彼はそうではないようだった。仕切り直すために、一度席を立とうか、と「御手洗いに言ってくる」と告げるべく開いた口は、二宮が上げた視線に声を失った。
「俺が玉狛に何の用があって出向いたのか。聞きたいことはそれか?」
 持ち上げかけた腰を、再び据えると、事務的な質疑応答に答えるような熱のない瞳が向けられた。
「鳩原のことだ」
 さっさと話を切り上げたいと言いたげに、こちらの反応を待つこともなく、放たれた答えは予想通りのものに違いないのに、「そう」と答えた声は上擦っていた。
「随分気にかけているのね」
「部下の不始末は、責任者が負うものだ」
「彼女は、騙されていたの?」
「どちらにせよ、起こしたことは事実に相違ない」
 まるで踏み込んで欲しくない、と端的に繋がれる会話に、自分は全くの部外者なのだと思い知らされた。角砂糖をカップの中にひとつ落とすと、ミルクですこしぬるくなったのか、なかなか溶けていかなかった。
 帰ってこなければいい。絶対に思ってはいけないことは、たびたび心を過り、振り払うたびに自分が暗い深い穴に引きずり込まれていく錯覚を覚える。こんなにも残酷な人間だったのだと今まで知りもしなかった。規律は守り、親の言うことをよく聞き、成績も悪い方ではない。学校では先生に怒られたことのない優等生だった。が、実体ではないとはいえ、顔見知りの首をあっさり撥ねることの出来る自分はやはり残忍性を飼っている化け物なのかもしれない。
 最初はその行為が恐ろしくて仕方がなかった。万が一、本当に血が噴き出してしまうことはあり得ないのか。何か間違いが起こらないとは言い切れないのではないか。悪夢にうなされ、現実と夢の狭間で漂う深夜、震えが止まらなかった。そういった怯えは、いつの間にか慣れの中に埋もれ、今日もボーダーで一番仲の良い友人の胸を、わたしはあっさり突いたのだった。
 鳩原未来はそれを受け付けなかった。それが正常なのだ。騎士に守ってもらえるお姫様は、わたしに背を取られた。片足を失ったために、バッグワームを使い、障害物の影に潜んだまま機を狙っていたわたしのフィールドに偶々、彼女が迷い込んだのだ。ぎりぎりまで近づき、カメレオンで姿を消すと、彼女の首へわたしの刃の切っ先が沈みかけたそのとき、わたしの両腕は下半身と共に吹き飛ばされていた。姿は消したはずが、消す前にすでに捉えられていたのだ。自分だけが捕食者だと思うな。相手を捉えようとする際に、周りへの警戒が一瞬ほどけるのだと、二宮はわざわざ風間隊の作戦室まで出向いて、そうわたしにアドバイスした。わたしが二宮の姿を認識したとき、カメレオンが解けて襤褸切れのように散り散りになる身体から彼は視線を逸らした。ランク戦なのだから、手加減など不要であるのに、流石にやり過ぎたと、彼は感じたのかもしれない。罪滅ぼしを兼ねていたのであれば、らしくないと一蹴してやればよかった。そんな気力もなかった。わたしは姫を暗殺しようと付け狙う醜い老婆なのだ。
 鳩原未来が行方不明になり、しばらくしてわたしは風間隊を抜けた。どんどん上に上り詰める他の隊員たちについていくことが出来ないと判断したからだ。風間さんは引き留めはしなかった。そうか、と応じ、次の所属先を取り計らってくれた。丁寧に時間をかけて。
「お前、上にいくつもりはないのか?」
「ないわ。向上心が欠如しているのね」
 他人事のように言い捨てると、二宮の瞳に翳が走る。惨めな思いに耐え切れずに、財布から千円札を引き抜くと、「帰る」と席を立った。
「今日は奢ってやる」
 突っ返された。小さいバッグの中に折り畳み傘など入るわけもなく、わたしは二宮の親切に甘えるしか手がない。残忍な化け物のくせに、と心の中で罵って、それは彼も変わらないかと思えば、不思議な安心感があった。夢見が悪いときは、必ずあの日、散り散りになった身体がまぼろしのように白く浮かび上がり、朝の光に消えていく。二宮はわたしに憎悪を募らせたような眼差しを向けた。距離が離れていたのに、確かにそう見えた。あれも幻覚か。確かめようもない。いや、ある。二宮に直接聞けばいい。お姫様を殺めようとするわたしが憎かったのか、と。
 雑貨屋の前で立ち止まり、「傘、買うことにするわ」と彼の傘から抜けると、腕を掴まれた。振り返って見つけた彼の表情は、珍しく弱さを見せていた。
「俺を憎んでいるのか?」
 憎んだことは、ある。わたしに振り向いてくれないからだ。わたしを視界に入れて、尚且つ愛してくれたら憎まない。愛は脆く、不安定で、刃のように鋭い。切っ先をわたしはすでに彼の首に刺し向けている。



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