「ふくちゃん!お待たせー」
「おう、おせーぞバカ」
「バカじゃない」
「おせーぞ、ブス」
「ブス……じゃない、と……信じたい」
 言い聞かせるように小さく言うと、ふくちゃんは吹き出して笑った。「ブスじゃねーよ」と。
 中庭にはわたしとふくちゃんしかいない。木々の葉はまだ瑞々しい緑を湛えて太陽の光を存分に浴び、夏の名残を含ませているというのに吹き荒ぶ風は冷たい。
「あれ?中庭貸切だね」
「……まーな、若干さみーからな」
 夏が終わるとすぐに寒くなってしまう。中庭でこうやってお昼を食べられる日は数日しかないので貴重だけれど、その分ベンチの競争率は高くなる。
「だ、だって教室だとからかわれるし……」
「お前は気にしすぎなんだよ、何か悪いことしてるわけでもねーのに」
「……やっぱり教室で食べる?」
 本当はからかわれることが恥ずかしいだけじゃなくて、ふくちゃんと2人きりになりたかった。そのことを伝えてもいいものか迷って結局うまく言えない。
「いいよ、ここで。ほら」
 そう言ってふくちゃんが温かいペットボトルのお茶を手渡してくれる。それを受け取って隣に座ると、顔が緩んでしまいそうなのを隠そうと俯いた。
「ふふ」 
 けれど、結局声が抑えられなかった。
「何だよ、気持ちわりぃんだけど」
「ひどい!ふくちゃん、女子には優しくしないとモテないよ」
「別にいーよ。るみか引っ掛けたから」
「……わたし、引っ掛かったんだ」
「お前、単純だからな」

 入学式で一目惚れして、同じクラスだったことに運命を感じて、出会って2週間で「好きです、付き合ってください」とありったけの勇気を振り絞って告白したら「お前のことよく知らねーからヤダ」とあっさり振られてしまった。
「じゃあ、友達な」
「……と、友達?」
「オレ、バスケのことで頭いっぱいだから彼女とかいらねーけど友達は募集中だからよ」
「は、はい。お友達になってください」
「おう!」
 無邪気に笑うふくちゃんにまたときめいてしまったけれど、友達友達と言い聞かせて意識しないようにと努めた。
 ふくちゃんのことを好きになったとき、この人を王子様のようだと感じたけれど、意外と口は悪くしょっちゅう罵られ、思い描いていたような彼ではなかった。でも本当は面倒見が良くて優しくて、バスケしているときは目も眩んでしまうほど抜群にカッコいいふくちゃんのことをわたしはどんどん好きになってしまった。
 2年になり、クラスが離れたことに絶望してしまったけれど、ふくちゃんは頻繁にわたしのクラスにも顔を出してくれてとりあえず絶交されることなく良好な友達関係がその後も築けていた。

「あれ、るみか?」
「ふくちゃん!偶然だね」
「何だよ、ずいぶん遅えな」
「塾に通ってて。わたし、東京の大学目指すことにしたんだ」
 駅までの道を歩いていると細かい雪が降ってきた。吐く息が白い。外灯の心細い光を辿って帰り道を急ぐ時間はどこか寂しくて歩くスピードをいつの間にか上げてしまう。
 駅前まで来ると急に明るさが増してホッとする。そうやって安心した拍子にふくちゃんに話しかけられて、せっかく落ち着きを取り戻した心臓がまた騒ぎ出してしまった。
 さっきまでの不安を纏ったほの暗い色ではなくて、甘酸っぱい黄色や橙色のような明るさを纏った色で。
 ホームで並んで電車を待っていると、タイミングが良かったのか悪かったのかすぐに電車が来てしまった。いつもなら15分ぐらい待つことも少なくないのに。
 せっかくふくちゃんと一緒に帰れるという幸運が舞い込んできたのに、何か喋らないともったいないと思えば思うほど何を喋ったらいいのかわからなくなってしまい、つい押し黙ってしまう。
 ドア付近の両サイドに向かい合って立ったまま外を眺めていると、窓ガラスに映った彼の手が思ったよりごつごつしていて大きいことに気付いた。わたしはまだまだふくちゃんのことを知らない。友達として傍にいられるだけで幸せだと、その恩恵を噛み締めないといけないのに一緒にいると欲張りになってしまう。彼のことをもっともっと知りたい、彼女にしか見せない顔も見せて欲しい、彼の特別になりたい、と。
 高校を卒業して、違う進路を選べばもう彼と会うことはなくなる。そうしたらやっと楽になることはできるのだろうか。
 外は真っ暗で、彼との距離を近く感じて、ふいに泣きそうになってしまった。すん、と鼻を啜るとふくちゃんがわたしの隣に移動してきて、彼のコートの端がわたしの小指に触れた。
 電車はゆっくり駅に停止して、人が乗り込んでくる。どきり、と性懲りも無く緊張してしまったけれど、ただ彼は乗り込んでくる人たちのために場所を空けただけだった。
 どうしようもないなぁ、と諦めの悪い恋心を手放すこともできずにいるわたしもいつか大人になったら良い思い出として記憶に居座るのだろうか。
「……っ」
 急に小指に冷やりとした感触が触れて、声にならない声が出た。
 ふくちゃんが空けた場所には結局誰も留まらなくて、空いたままだ。
 悴む手を動かそうとすると、ふくちゃんの指が絡んで彼の手の中の柔らかい部分に指先が触れる。
「るみか」
 声が、少し上擦っている。控えめに指先をきゅっと握られ、どう反応したらいいのかわからず頭のてっぺんからつま先まで氷漬けにでもされてしまったみたいに固まってしまう。
 友達友達、わたしたちは友達。
 何度も何度も言い聞かせている言葉を頭の中で反芻させて、心臓を落ち着かせようと深く息を吐いた。
 わたしの降りる駅に着いて何事もなかったように「ふくちゃん、また明日ね」と声を掛けて電車を下りようとした。わたしと彼の指は簡単に解けてしまうほどの弱い繋がりだったはずなのに、それはうまくいかなくて、わたしが電車を下りる動きは今更止まれずに彼も一緒にわたしと同じホームに降り立ってしまった。
「ここふくちゃんの降りる駅じゃないよ」
「……知ってるよ」
「早く電車乗らないと、扉閉まっちゃうよ」
 目の前で扉はあっさり閉まっていき、目映い光を携えた鉄の塊はゆっくりと遠ざかっていく。続々と改札へと向かう人たちに取り残されて、ホームにはわたしと彼の2人きりだ。
「ふくちゃん、どうしたの?」
「……いや、るみか泣いてんのかと思って」
「な、泣いてない、よ」
 声に涙が滲んでしまってこんなに説得力のない言葉はないと思った。
「泣いてんじゃねーか」
「……ふくちゃんのせい」
「あ?」
 しゃがみ込んで膝を抱えてもふくちゃんの手は解けない。灰色のコンクリートで視界がいっぱいだ。
「わたし、ふくちゃんのこと好きなんだよ?」
「知ってるよ」
「優しくされたら、困る。嫌いになれないし、どんどん好きになって、すごく苦しい……。もう嫌いになりたい」
 それは本心だった。でも嫌いになんていつまで経ってもなれないことも十分わかっていた。
「るみかの気持ち知っててひでぇヤツだな。嫌いになるだろ?」
 声が同じ高さで聞こえる。顔を上げるとふくちゃんも同じようにしゃがみ込んで膝の上に肘を乗せて頬杖をつくと、意地悪そうな顔をして笑っている。
 ぶわっと涙が込み上げてきてふくちゃんの顔がぼやける。
「……嫌いに、なれない。やっぱり好き」
「お前ほんっとバカだな」
「うん。……でも」
 その後に続ける言葉を吐き出すことに躊躇して冷たい空気を吸い込むと、喉をぴりっと突き刺した。
「……でも、しつこくしてふくちゃんに嫌われたくないから友達やめる」
 その方がすぐに楽になれることを知っていた。他に好きな人を見つけようとしても、やっぱり彼が一番素敵だと思い知らされるだけだった。関わらずに静かにこの思いを断ち切るべきだった。
 でも、友達として彼が向けてくれる笑顔を見るたびにこの上ない幸せを感じていたのも事実だった。
 もうそれを見ることすら叶わないのだと思ったら、どうしようもなく悲しい。
「わかったよ」
 するり、と彼の指があっさり離れていき、心臓が鋭利な刃物で突かれているみたいに痛い。
「お前もう友達じゃねえからな」
「……やっぱりやだー!友達じゃなくてもいいから、パシリでも子分でもいいの。何でもするから絶交だけは勘弁して」
「プライドねえのか、お前は」
「だ、だって……ふくちゃんに縁切られたら……っう、」
「泣くなよ。悪かった、ちょっとからかっただけだって」
 スカートのポケットからハンカチを出して目元に押し当てていると、ぐっと手首を上に引かれて思わず立ち上がる。腰に彼の力強い腕が回ってきて、気付けばふくちゃんの腕の中にいた。
「嫌いになんてなんねーよ」
「ほ、ほんとっ?」
「ああ、ほんと」
「ちょっとぐらいは好き?」
 ふくちゃんが小さく震えて笑い出したので、その振動がわたしにも直に伝わってくる。
「ああ、好きだよ」
 どうせからかわれるだろうと覚悟していたのに、蕩けてしまうほどの優しい声が返ってきてぎゅっと強く抱き締められ、全身が甘く痺れてしまいそうだと思った。
「すげぇ好き」
 
「運命だの王子様だのお前の頭の中はどんだけお花畑なんだよ」
 呆れた顔をして、焼きそばパンを頬張るふくちゃんの横顔をあの頃はどこか遠く感じていた。
 友達という言葉はずっと越えられない壁のようで、苦しくてこの想いを手放してしまいたいと切実に願っていた。好きな人に好きになってもらえるなんて、自分には起こり得ない奇跡なのだと思っていた。
「理想と現実はかけ離れてて幻滅しただろ?」
 ふくちゃんの頬が焼きそばパンで膨れていてリスのようだと思った。右手をその頬にぺたっと付けてみると「おい」と不機嫌に聞こえるようにコーティングされた声が飛んできた。
「ふくちゃん、リスみたい」
「あ?お前、ケンカ売ってんの?つーか、オレの話聞いてんの?」
 お弁当箱の中のカラフルな爪楊枝に刺さっているカニの形のウインナーを摘んで彼の口元に寄せると、ぱくりとそれはふくちゃんの口の中に消えていった。
「幻滅なんてしてないよ」
「うそつけ!勝手に見た目で判断されて理想を押し付けられんのは、相当なプレッシャーなんだぞ」
「ふくちゃんの見た目は確かにわたしのどストライクだったし、中身はけっこうひどいヤツだと思ったけど」
「……思ってんじゃねぇか」
「でも幻滅はしてないもん。ふくちゃんのことどんどん好きになっただけだよ?」
 ふくちゃんは押し黙って中庭を囲むツツジの葉を見ていた。何か、『ふくちゃんがいうところの』恥ずいことを言おうとする前は、いつもこうやって押し黙り遠くに視線を投げることに最近気付いた。
「オレもさ……」
「うん」
「……いや、」
 ぴちちち、と遠くで小さく雀の鳴き声がする。風はいつの間にか弱くなっていて、温かいお茶が喉元をこっくりと通っていく。
「お前のこと可愛いと思ってた。どストライクだった」
「……え!?なにそれ、絶対嘘だよ!」
「嘘じゃねーよ」
「だ、だって、わたし振られ……」
「見た目で判断されんの嫌いなんだよ。思ってた人と違った、とか言われんの嫌だから。でも、振るのもったいねーなって思ってさ、とりあえず仲良くなっとくかと思った」
「……ふくちゃんの手の平の上で踊らされてたんだね、わたし」
「お前、単純だからな」



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