醒めた瞳をして抱くのだな、とるみかは背筋にすうっと流れていく水脈を知った。覆い被さってくる男はだいたい、その目に隠しきれない欲を静かな炎のように宿らせている。そうして、自分は捕食される生き物で抵抗など無駄なのだという一種の諦めに似た感情を鈍らせ、溺れる。一度男の前で裸を晒してしまえば、羞恥心は薄らいでしまい、らくに身体をひらくことが出来た。
 好きだ、付き合おう、そんな言葉も無しに求められて開けば、心を引き裂かれて孤独に泣くだけなのだとわからないほど初心ではないと思いあがっていた。

「太刀川くん」
「ああ」

 軽く手を挙げて、そのまま通り過ぎて行く彼は、確かに自分を拒絶していた。都合の良い、大事にされない女に、いつから自分は成ったのか。しつこく食い下がらず、優しく、ものわかりの良いふりをして我慢をする。嫌われないように彼の顔色を伺うばかりのわたしは、どんどん彼から遠くなる。

「るみかさん」

 ラウンジで、ノートパソコンの画面と向き合っていたはずが、いつの間にかうとうとと船を漕いでいたらしい。肩に気安いようすで触れる犬飼の手の熱が、狂おしいほど温かくて眼球に薄い膜が張る。その手が太刀川のものでなくても構わないのかもしれない、と過った考えはるみかの覚醒しきれていない意識の中で漂った。


「大学の課題?」
「うん、そう。明日までに提出しないといけないのに忘れてて」
「珍しいね。そういうの忘れないタイプだと思ってた」

 いろいろあるの、と言おうとして、やめた。心穏やかに過ごせる毎日であったら、忘れてなどいなかったはずだ。恋愛の中に身を投げると、心が乱される。
 誰を待っているのかなー、と呟くような犬飼の言葉に、るみかは咄嗟に反応出来ずにいた。誰かの助けを借りたいわけでもなく、家に帰ってまとめればいいだけのレポートだ。本部のラウンジの手前の席に陣取っていれば、そう取れるのは容易なことだった。
 マウスを操作して、上書き保存をクリックすると、ノートパソコンを閉じた。

「帰る」
「ごめん、怒った?」
「怒ったんじゃないの。目が覚めただけ」

 滑稽だ。恋愛に脳を侵されている自分がひどく。
繰り返し、繰り返し、幸せな夢を見る。それは実現可能に見えて、現実には起こり得ない夢だった。
 抱いてあげようか。上を見上げている。わたしはいつだって、下の方にいて、誰かに引っ張り上げてもらって、目映い光を見るのだ。底のほうで蒼い穏やかな夜を過ごしていれば良いものを。

 薄暗い部屋で、わたしは獣の瞳を見た。醒めてなどいない。ベッドの端で落ちそうになっているバスローブを拾い上げて軽くたたみ、脱衣所に放り投げたままの服を着た。
 犬飼は身体を重ねた後、すぐに眠ってしまう。身体をゆすって起こそうとすれば、半身を起こしてもたれかかってくる。甘えるのが上手で羨ましいとすら思う。こうやって相手の負担を考えずに、身体の重みをすべて相手に預けてしまっても構わないのだと、素直に信じることが出来ない。

「ねえねえ、俺たち、身体の相性いいと思わない?」
「わたし、犬飼くんほど経験人数多くないから、わからない」
「やだなあ、俺だってそんなに多くないよ」と続けて、太刀川さんよりよかった?、と聞いた。言葉に詰まると、わかりやすいね、と楽しそうに言う。

「知ってたの?」
「カマかけただけ。でも、るみかさんは簡単に騙せそうに見えたから、狙われるかもって思ってた」

 言われて妙にしっくりきてしまった。いたずらっ子のように笑って、押し倒してくる犬飼の身体を拒めずにいる。

 夜半、激しい雷を遠くで聞いた。カーテンを開くと、稲光を見た。遅れて木々を頭から喰らって焼き焦がすような激しい音が響いた。
 スマホが振動していることに気づくのが遅れたのは、雷の音と重なっていたからだ。画面を見て、だめだと理性が警鐘を鳴らしているのに、我慢出来ずに応じてしまう。

「るみか」
「何か用事?」
「冷たいな。怒ってるのか」

 みんな怒っているのかどうかを確認してどうなるというのか。怒っていると言っても、怒っていないと言っても、さほど動揺など見せずに、当たり障りのない会話が交わされるだけだ。本気で激しい怒りを見せている人に、怒っているのか、と誰も聞いたりはしない。

「もう電話してこないで」
「なんで」
「着信拒否にするから」
「今度の日曜、暇だろ?どっか出掛けようぜ」

 本命に相手にされないと、こちらになびく。しっぽを振って従うとわかっているから、調子に乗って踏みにじってくるのだ。行かない、と言ってやればいい。それでも、もしかしたら、と期待を捨てきれずに、馬鹿を見る。
 電話を切った。着信拒否になどせずとも、それきり掛かってはこない。代わりは他にもいるからだ。
 
 夜中の二時にレポートは終わらせることが出来た。電話を切った直後、痛いほど心臓が鳴いていた。思い返せば後悔ばかりが募り、ベッドに潜り込んで訪れない眠りをひたすら待った。起き上がると、涙が止まらず、朝が遠かった。

 作戦室のソファーに身体を沈めて、寝不足の重たい頭が深い意識の底へ引っ張られていくのに任せていた。呼び出し音に起き上がって、扉を開けるとき、期待してしまった。

「犬飼くん」
「今日、るみかさんだけでしょ」

 同じ隊の隊員は任務で一日留守にしている。オペレーターのるみかはオフであったが、一人でいるよりは騒がしい中に身を置きたくて本部まで足を運んだが、結局誰もいない作戦室のソファーで丸まっているだけだった。

「ここはだめ」
「えー、なんで?」
「誰か来るかもしれないし」
「来た方が興奮する」疑問形で投げかけられたのか、はっきりとしないのは、眠気がまだ身体に巻き付いたままだからだ。そういうタイミングで迫ってくるのは、犬飼も狙っているのだろう。拒む力が弱まる。

 身体の火照りが冷めぬうちに、何食わぬ顔で出ていく犬飼の背中を見送っていたら、その方向から太刀川が歩いてきたために、るみかは部屋の中に身体を引っ込めた。気づかれていない、とは思っていない。が、関心もないだろう。呼び出し音は太刀川が押したものではない。と思い込もうとして、まだ期待している自分がいた。

「なに?」
「気ぃ付けろよ、優等生」
「誰にも見られていないもの」
「俺は気づいたけどな」
「脅すつもりなの」

 隊服ではない。生身の身体だ。太刀川の動きはそれでも素早く、顎を掴まれて、強引に舌をねじ込まれれば、るみかがその舌を噛み千切ろうとしない限り、負けていた。そして、るみかがあっさり負けを認めることを、太刀川は知っていた。
 愛情ではない。犬飼と張り合っているだけだ。自分がより優れている男だと、知らしめたいだけなのだ。その手段にるみかは、求められていると思い違いをする。



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