錆びて金切り声を上げるブランコと、小さな滑り台。目立った遊具はそれしかない寂れた公園が、いつの間にか帝統の見慣れた場所になっていた。
 身体を無理やり滑り台の斜面に落ち着かせ、自然と上を向く視線が捉えた月や星は、タダで帝統の視界を淡いほのかな光で満たしてくれた。それでは腹が膨れぬと叱責するかのようなタイミングで空腹を訴える音が頼りなく響き、帝統は両手を顔の前で重ね合わせて目を閉じた。

「死んだの?」
 女の声だった。それも聞き覚えのある声だ。
 窮地に立たされてもどこか楽観的に自分の運命を俯瞰出来得る帝統は、日頃から自分に舞い降りてくる幸運に依るところが大きい。こうやって腹を空かせていても、ギャンブルの神様は決して自分を見放したりはしない、と帝統は「おお、神よ」と両手の指を絡ませ、月に祈りを捧げた。
「あ、生きてた」
「億万長者になる前に死んでたまるかよ。つーかしばらく顔見なかったけど、どこ行ってたんだよ!こっちは有り金ぜんぶ賭場ですっちまってすっからかんだってーのによお」

 恋人の誕生日を祝うために、手作りのケーキを抱えて彼のマンションへ向かうと、インターホンを通して男女の言い争う声が聞こえてきた。これから起こるであろう修羅場を察知し、心臓はぎゅっと握られたような痛みを覚えた。男は決して隠し事が上手くはなかった。疑わしい事実をそれでも問い詰めることが出来ず見て見ぬふりをしていた日々は、恋に溺れていたというただその愚かさに尽きる。
 玄関先から飛び出してきた派手な女の彩られた鋭い爪の先が、るみかの頬に傷をつけた。実は本命はその女のほうで、自分は浮気相手で、その中でも3番目だという事実は後にその女がるみかの会社まで押しかけてきて語ったことだが、その晩、抱えたケーキをコンビニのゴミ箱に捨てようとしていた彼女を引き留め、「そいつをこっちに寄越しな」と如何にもクールぶった調子で声を掛けてきたのは、空腹で今にも倒れそうな帝統であった。
 るみかのマンション近くの公園で、帝統が時折倒れたように眠っているのをよく見かけるようになり、るみかが気まぐれにコンビニ弁当を差し入れてやると味を占められたのか、空腹が限界になるといつもその公園に居付くようになってしまった。
 友人との旅行で一週間ほど留守にしている間、帝統の様子が気にならないわけではなかったが、かといって家族でも恋人でもない自分がそこまで面倒を見てやる義理もないか、と旅行中はなるべく彼のことを忘れるようにしていた。事実、るみかは忘れていた。
 大きなキャリーバッグを転がしながら、いつもの帰り道を辿っていた際に、公園の入り口が目に入ると、滑り台の影に窮屈そうに折り曲げられた長い足の膝頭が顔を出していたために、ふいにそちらへ足が向かったのだった。

「誰か頼るひといないの?」
「いるっつったらいるけど、薄情な奴らでよお!ぜんぜん助けてくんねえんだ」
 泣きそうな声音でそう訴えかけてくるのは、演技だろう。「わたしもその人たちを見習うことにするわ」
「ちょっ、おい、待て待て!るみかにまで見捨てられたら俺、餓死しちまうぞ!いいのか!?」
「いいのか、って別にいいけど」
「いいわけねーだろ!」
「それだけ大声出せるならまだ元気でしょ」
 旅行は良い気分転換になった。髪を切るなんてずいぶんありきたりなやり方だと思ったけれど、実際切ったら清々しかった。泣いて泣いて眠れない夜を幾晩か重ねて、それでときおり帝統がふらふらと擦り寄ってきて、そんな夜の隙間を埋めてくれたりする。自分はわりと幸福なのだ、とるみかはすとんと思えるようになってきた。
 のんきに鼻歌を歌いながら、勝手にるみかのマンションへ足を進める帝統は、るみかの抱えていた荷物をすべて引き受けてくれるほどの心遣いは持ち合わせているようだった。
 帝統はいつも手ぶらで、ポケットに入らないものは持ち歩かない。その身軽さが羨ましかった。手放してしまうといっそ楽になり、執着するから苦しいのだと、家族でも友達でも恋人でもない、この男との距離感がるみかの視界をすこし明るくしていた。



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