濡れた土と草のにおい。水溜まりから泥に塗れた水が跳ねて、靴下を汚した。
 公園の中央で一際存在感を放つコンクリートの象は、前に長く伸ばした鼻が滑り台になっていて、両サイドの水色のペンキはすこし剥がれ、年季の入った面影を差し出している。
 滑り台の下の空洞は、小学6年生のふたりの身長では、腰を曲げなくては入り口に入ることができなくなっていたが、急な雨を凌ぐには十分過ぎる場所だった。
 濡れたTシャツが肌に張り付いてきて、不快感が立ち上る。
 水泳クラブに行く際にいつも持っているバッグは、濡れても支障のないビニール製のものだったため、荷物の心配はしなくてもよかった。中にあるタオルは使用後のため少々湿ってはいるが、我慢してそれで髪や身体の水分を吸い取っていると、るみかも真似をして同じ動作をした。
 
「雨、止むかな」
「向こうのほうの空が明るいから、大丈夫だろ」

 指さしてそう言うと、るみかは目を細めて「よかった」と笑った。
 濡れた前髪からぽたぽたと頬の高いところに水滴が落ちていて、額に張り付いていた髪を何気なく払って横へ流すと、るみかと近い距離で目が合って、お互いぎこちなく視線が泳ぐ。
 同じ小学校で、同じ水泳クラブで、何年も一緒に過ごしてきたはずなのに、以前のように気軽に話しかけれらなくなった。
ふたりで話をしていると、クラスメイトに冷やかされてしまう。それが煩わしくて、学校では話さず、水泳クラブの帰り道だけが、彼女と話せる唯一の時間だった。それでも以前のように冗談を言って笑いあうことが少なくなった。どう接したらいいのかどちらも見失っているような気がした。
 空気を切り裂くような光に一瞬包まれて、大木が倒れたときのような轟音が腹の底まで響き渡るように伝わってきたとき、るみかが軽い衝撃でぶつかってきた。何かの遊びかと思ったが、雷の音に驚いたようだった。
 ごめん、と謝りながら離れていくるみかの前髪はまた正面に垂れてきて、ぽたりと水滴が上唇に落ちると、その水を甘いかもしれないと錯覚した。
 るみかの見開かれた瞳と至近距離でぶつかり、突き飛ばされて、土の上に尻餅をついた。煙る視界の中、るみかの背中が溶け込むように消えて行ってしまう。
 翌週、るみかが水泳クラブを辞めたことを知った。

 久しぶりに帰省すると、潮の香りや、気高く聳える山々の景色を目新しいもののように感じる。
 何気なく通った公園は変わらない姿のままそこにあった。この暑さでは公園内の遊具で遊ぶ子供の姿もなく、懐かしくなって触れた象の滑り台は、太陽に灼かれて熱くなっていた。
 汗が流れ落ちるまま、滑り台の下をのぞき込むと、誰かの忘れ物か、子供用の小さなバケツとおもちゃのスコップが転がっていた。それらで夢中になって遊んでいた時期が自分にもあったのだと、もう信じられないぐらいに遠くへ来てしまった。
 首筋を流れた汗が土を一か所黒く染めて、すぐに蒸発した。あの、と背中に声が掛かる。
 茹だるような暑さを一瞬忘れ去ってしまうような、涼しげな白いワンピースを、嫌みのない清らかさで着こなしている女に、見覚えはなかった。もっと色黒で、髪は短く、がりがりの手足に、色味の薄いつるりとした顔を、記憶はその名前と結び付けているはずなのに、気づくと声に出していた。「るみか」と。この場所がそうさせたのかもしれない。

「よかった。やっぱり宗介くんだった」
「お前、なんで……」

 彼女も東京の大学に進学したと聞いた。中学、高校と離れていたが、近所に住んでいれば噂話で耳に入る。俺がこっちに戻ってきたことも、同じようにるみかの耳に届いたのかもしれない。

「家の前の通りを宗介くんっぽい人が通ったなあと思って、もしかしたらって追いかけてきちゃった。宗介くん、歩くの早いね。走って追いかけたのに、なかなか追いつけなくて」

 るみかの首筋から流れた汗は鎖骨を滑り、ゆるく曲がりながら胸の真ん中へ落ちていった。思わず見入ってしまっていたことに気づいて、視線を逃す。けれど、記憶が生々しく蘇ってきてしまうことを止められずにいた。

 るみかに誘われて、小学生のとき以来久しぶりに足を踏み入れた彼女の部屋は、どこか居心地の悪さを感じる部屋になっていた。薄桃色のベッドの近くに置かれた白いテーブルに、るみかはオレンジジュースの入ったグラスをふたつ並べて、向かいにぺたりと座った。
 慌てて家を出たようでエアコンの電源はついたままだったために、部屋の中に入ってすぐ汗は引いていった。
 線の細いるみかの、身体の傾きによってときおり現れる曲線が艶やかに目に映ってしまい、参る。夏のせいかもしれない。
 
「わたし、明日また東京に戻るの。今日、会えてよかった」

 るみかははにかんだようにそう言った。
 化粧をして、胸を膨らませ、女の気配を濃くした目の前の人物がるみかだと、まだうまく認識出来ない。
 興味本位で唇を合わせてみたとき、るみかは可愛い小動物のようだった。今は、蛇のように見える。真っ白い蛇。迂闊に手を伸ばせば、絞め殺されてしまうかもしれない。
 すこしずつ浸食されていく。抱けるな、と一瞬過った感情が欲望の対象にしたるみかを呑みこんでいく。蛇は自分の方だったか。

「るみか」

 いや、ダメだ。これではまたあの日の繰り返しになる。子供だった自分では唇を合わせるだけで止まることが出来たが、今、俺たちはその先に進める身体と知識を持っている。この家には俺たち以外誰もいない、そんな状況では歯止めをかけることが難しい。

「俺、そろそろ帰るわ」

 そう言って立ち上がろうとすると、るみかが俺を見上げて赤く色づいた唇を動かした。小さな声で「いや」と言うのを、本当は聞こえたはずが、はっきりとした言葉で聞きたいがために聞き返した。

「なんだ?」
「……帰っちゃ、やだ」
「子供かよ」

 子供じゃないよ、と真っ直ぐ視線を送ってきたるみかを、気付くと押し倒していた。
 汗だくになりながら、身体を重ねると、頭に靄がかかったように理性が鳴りを潜め、獣になっていく感覚がした。るみかの胸の真ん中を汗が何度も流れていき、試しに舌を這わせると、るみかは嫌がって身体をよじった。
 るみかの額に濡れた前髪が張り付いていて、衝動的に唇を合わせていた。絡みつく舌は、頭を甘く痺れさせた。



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