一枚、一枚、花びらを散らすように落ちていくのは、わたしを形成しているひとつの殻。
晒す肌の面積が広くなっていく。無邪気な笑い声は砂遊びをしている子どものようだ。
 それはまさしく彼にとっては遊びに過ぎない。そうして意識を引っ張っていないと堕落してしまう。彼はその側面に慣れ親しんでいた。
 るみかが息を詰めて呼吸が浅くなっていることを意識すると、三郎は手を止めて「今日はここまでにしよっか」とあっさり解放した。
物足りなさを感じるタイミングでいつも焦らすのは、故意だともう知っている。
 纏っていた色を失って真ん中の芯が味気ない感触だったとしたら、悪戯な遊戯は二度とこの手の中に滑り込んではこないだろう。
その答えが出される日は刻々と近付いていた。ひどく緩慢な歩みはありがたくもあるし、くるしいだけでもあった。
 冷たさの残る指先が首の皮膚に直接触れたとき、全身の神経がその一点のみに集中して、また呼吸が下手になった。
狙って触れたのだと理解するのに、不慣れなるみかは数秒を要した。

 クラスメイトの友達の家は、どこを見ても白や茶色や黒のシンプルな色味しか見つけることができず、どことなく素っ気無い気配がした。流れる不穏な空気に居心地の悪さを感じたのは、不自然に静まり返っていたせいもある。
 気にしないように努め、彼女の部屋で学級新聞の空白をふたりで埋めていると、ふいにノックの音がした。
心臓が嫌な音を立てて、胸の内で暴れている。顔をのぞかせたのは彼女の姉だった。
「わたしが飼ってるペットなの」
 連れられて姉の部屋に招かれ、目にしたのは色白の美少年の姿だった。
淡い桃色のカーテンが風に揺られて舞い上がると、太陽の光の差し込んだ瞳の色は左右で異なっていた。
けれど、どちらも澄んだ海の色をしている。
 肌の白さと相俟って儚げに佇んでいる姿は、この状況の異常さを掻き消してしまうほどの蠱惑的な一枚の絵画だった。
 姉の短いスカートから伸びる細い足は妖艶に蠢き、その曲線の先で少年の頬を軽く蹴っ飛ばすと、彼は俯いて何も言わなかった。
そうして唇を歪ませ笑みを浮かべていた。暗闇に斬り込みを入れたような三日月の形を、ふくよかな唇は辿っていた。
 絡み取られて沈んでいく。彼の瞳の中の海に。
わたしは身体を投げ出し、その波間に光を見た。明るくはなかった。けれどそれを光だと感じた。
 背筋を通っていったのは恐れや不安ではない。言葉として表すことを躊躇してしまう淫靡な震えだった。
自分の奥に密やかに住まうそれに触れてしまうことは、背徳に塗れた蜜のように甘い芳香を放っていた。
「三郎くん」
 年上の女子高生に甘えるような声で呼ばれる名前は、彼を遠い存在に感じさせた。
見覚えのある制服は近所の中学のものだと気付くと、意識と理解が切り離されてしまうようだった。

 黒いソックスを脱ぎ捨ててしまうと、爪先を丸めて力を込めてみた。そうやって足を彼の頬に打ち込むイメージを浮かべて、それで満足する。
スカートの裾が春の気配に触れて、くつろいでいく。
 いつだって彼の海は荒れてなどいない。それは女たちの前でいつも凪いでいる。
 勉強机の上は綺麗に片付けられていた。
真ん中にぽつんと置かれていたスマートフォンが振動して、彼はわたしから身体を離すと画面の表示を確認して、唇を歪ませた。
「うん、そうです、今日が卒業式。ありがとう。来月から高校生なんてまだ実感が湧かないです」
 制服に安全ピンで付けられたリボン記章の桃色の花びらは、無理やり千切られた跡が残り、「卒業おめでとう」と書かれた白いリボンは所々赤く染まっていた。
造花を千切るときに指を切った血なのかもしれない、と思うと抗えない時間の流れはなんて酷なのだろうと知った。
無残なその屍はまるで身体を開いた後のわたしのようにも見えた。
 部屋の隅に積まれている包みや箱は、数が増えることはあっても自分たちの持ち場を常に離れることがない。聞いたことのあるブランドのロゴをその山にときおり見つけるけれど、それらは薄い埃を被って窮屈そうに縮こまり、与えられた名前の威厳を失ってしまっているようだった。
「欲しいならあげるよ」
 電話を終えた彼が向けてきた言葉はわたしへのものだった。首を横に振ると、興味なさげな眼差しで「そう」と唇をほとんど動かさずに言った。
「これをちょうだい」
 彼は「ゴミだけど」と言って、制服から歪な形の桃色の花びらを外してわたしに差し出した。わたしはそれをバッグの中の内ポケットの隙間に差し込んだ。
 三郎くんの肩口にいつも付けられていた歯形は模様を変えても常にそこにあったのに、今は見つけることができない。高校生になる彼にはもう価値がないようだ。
 身長が伸びて窮屈そうに膝を抱えている彼はもう美少年と呼ぶには成長し過ぎていた。
 女の子同士のじゃれあいの延長に過ぎなかった彼との戯れは、次第にあの背筋を震えさせた感覚に近づいていった。
花びらが散ったら、踏み潰されるのだという怯えは、彼の繊細な指先が丁寧に剥がしていくせいで麻痺していた。
 わたしは歯を立てることが恐ろしくて出来なかった。
白い肌は温もりを感じ、異国の海を思わせる花緑青の瞳からぽたりぽたりと彼は涙を流した。
 もう片方の瞳は揺れていても砂漠のように乾いている。
深く潜り込めば暗闇で彷徨うだけの底の見えない悲しみだった。
 彼の瞳に嵐を見たのはその一度きりだ。
わたしは彼を蹴飛ばすことも噛み付くこともなく、ただ深く沈み込んでいった。



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