制服のスカートの裾が汚れてしまうのも気にせずに、彼に身を委ねて重なり合った臆病なわたしの目に、澄み渡る春の青空は胸に沁みるほどの高潔を謳っていた。
だらしなく満ちてくる足の間に、花の香りを纏った風が悪戯に吹き抜けると、濡れた部分だけが敏感に風を感じて熱を奪われた。まるで目を覚ませと咎められているようだった。
 彼に嫌われるという結果が無下に叩き落される瞬間に常に怯えている。瑞々しい水蜜桃のような甘い記憶がわたしを溺れさせていた。
 俯瞰しているあの影は、彼に出会ったばかりの焦がされたことなどない過去のわたし。

 ぎしり、と胸が軋む。
侑くんがサーブを打つ直前の、永遠のように青く冷たく固まったそのほんの数秒に、息をするのも忘れて。
静寂を切り裂くように叩き込んで床でひしゃげたボールの弾道を辿っていると、わたしもそうやって床の硬さや冷たさに従うように、肌や骨をへこませて、呆気なく消え去る一瞬でもいいから、彼に触れることを望んでいた。
それは叶わぬと思い知らされるたびに、彼に惹かれていく物悲しさは滑稽極まりなかった。

「るみか」
 ポコン、と軽い音を立ててローファーが床に落ちた。瞳の奥に潜む不機嫌さに、指に動揺が走ったせいだった。
生徒玄関の入り口から冬の到来を知らせるような乾いた風が吹きつけ、むき出しの膝を撫でた。
 喉元に刃を突きつけられたような鋭い眼光に耐え切れずに、ローファーを拾う理由に縋ってしゃがみ込む。頭の上から声が降ってきた。それはわたしの大好きな人の声、のはずだった。
「お前、昨日なんかあったやろ?」
「昨日……」
 なんと答えることが正解なのか。事実よりも先に彼の感情の機微ばかりを情けなくも気にしている。
どんよりと重たい雲の隙間から顔を出した陽光が、朝を輝かしく清潔なものへと変えていく。光は確かに差し込んでいるのに、それはわたしを救いなどしない。
 侑くんとの交際はどうあったって注目されてしまう。そうやって好奇の目に晒されると、からかい雑じりに交際を申し込んでくる男子生徒が数人いて、それはもちろんわたしたちのことを承知の上での接触だった。
 侑くんに対抗心を燃やしているのか、はたまた略奪して隠し持っている恨み辛みを晴らしたいのか。彼らの思惑までは窺い知れないけれど、浅はかで虚しい見栄の綻びはわたしになにも響いてこない。彼らはわたしを通して侑くんを見ているだけだ。
「呼び出されて」
 上手く通らない声に、侑くんは同じようにしゃがみ込んだ。視線がまっすぐ過ぎてわたしはいつも受け止めきれない重みをずっしり感じてしまう。舌が喉の奥で窮屈そうにしている。
「ちゃんと断ったんやろな?」
「うん」
 頷きながら横に倒れてしまったローファーを見つめていると、侑くんの手が伸びてきてわたしの左肩をとん、と押す。曲げていた膝が崩れて、気付けば床に座り込んでいた。冷たい床の感触と相反するように太ももの内側がじゅ、と燃えた。
 なんて品のない顔をしていたことだろう。
侑くんは太ももの付け根の際どい場所に左手を付いて、距離を寄せるとわたしの唇をほんのすこし吸った。だらしなく半開きになっていた口元に望んだ熱が差し込まれ、わたしは呑まれていく。
 膝にスラックスの生地が触れた。嬌声を上げてしまう予感がして、無意識に閉じていた瞳を開く。朝の透徹した光に照らされているのに、湧き上がる水の濁った色がこの目にどうあっても眩しく映ってしまう。
 
 広い背中が真っ黒のセーターに包まれている。それを突き破って生えてくるのは、同じように暗闇に染まった羽根に違いない。
 熱を持っている胸は彼に暴かれてしまって、中身がとろとろと零れていく。
わたしの中身は毒々しいほど真っ赤に染まっているのに、黒の前には為す術もなく色を中てつけることができない。
 四隅を塗りつぶして、出口を塞いで、入口だけが安らかに開かれていた。
艶かしい魅惑の芳香を放って、触れれば溢れてくる蜜に夢中になって肢体を放り出すと、水の底へと沈んでいく。意識など捨てて、快楽を貪る獣の手触りだけがわたしを包んでいる。
 もう息をどうやって吸って、どうやって吐けばいいのか忘れてしまった。唇を開くと、彼の舌の上でのみわたしは呼吸を許された。
 図書室の白い壁。静謐な本の並び。うつ伏せで眠る彼の明るい髪の色が、昼間の健やかな空気の中に在る。どうしようもなく胸が甘く疼いている。
 触りたい。背骨の並びを指先で確認して、爪を立てる勇気もなくて、潤った肌の上をスケートリンクに見立てて滑らせてしまいたい。
 一番奥の窓際、端の席。後ろは美術書が並んでいる。この列に座っている生徒は他にいない。
椅子の陰に隠れているスカートの裾を彼が掴んでいる。それを目の端で捉えて、震えてしまう。込み上げてくる思いの邪な色合いに、また酸素が薄くなる。
 舌を差し込んで、荒らしてほしい。声など出るはずもなかった。
 彼はスカートの裾をひらひらと揺らしては、わたしを見上げて、朝と同じ瞳でわたしを濡らす。
どくどくと足の間で脈を打っている。そこを流れる水脈はもう鮮血に塗れてなどいない。
彼の唇がゆるくカーブを描く。ほんのすこし触れた指先はきちんとした湿度で潤っている。
 本棚の影に隠れてわたしたちは口付けを交わした。キスやセックスの上手い男子高校生など信用できたものではない、と一年前にふたつ上の先輩に諭された言葉を今でも時折反芻している。
 誠実がなんだ、優しさがなんだ。どうせ好みの男の子に強引に迫って欲しい、と清廉を貼り付けた仮面の下で舌なめずりしているだけのくせに。
そうやってわたしをわたしが叱っている。
「欲しがりやなあ」
 窮屈そうにしていた舌が、猥らに腰を揺らすように欲に平伏して動き出す。
侑くんは文庫本の詰め込まれた低い本棚に背中を預けて静観していた。腕を彼の首に回して強請っても与えられない褒美に焦れて、セーターごとYシャツを引っ張ってスラックスから抜き出す。熱を持ち始めた指の腹で直に侑くんの硬い腹筋に触れると、その手は掴まれてしまった。侑くんの神経質にケアされた指先がわたしの手を包んでいる。
「るみか」
 真っ直ぐな視線。水密桃の記憶。開いた身体はその甘みを知っていた。切なく疼くわたしの奥の方が瞳を濡らしていく。
 いや、止めないで、お願い、としな垂れかかると、ようやく腰に腕が回った。しがみついて硬い身体のうえで上下する胸は、彼の形に沿ってぐにゃりと形を変えている。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -