エアコンで冷やされた小さな部屋は、熱が冷めると涼しすぎて、無防備に腕も足も広げて眠りこけている旭くんの傍に寄り添う。子どもみたいな熱い体温のじんわりとした感触が返ってきて、馬鹿みたいに、ああ生きてるんだなあと思った。

「るみか、バイト終わった?」
 電話だと少し高めの声が耳に健やかに届く。この声を夜の中で艶めかせているなんて想像もできないぐらいの健全さ。
「うん、さっき終わったところ。今日は午前中からがっつり働いてやったぜ」
「稼ぐねえ、貧乏学生よ」
「最近の趣味は預金通帳を眺めることなの」
「うわあ、可愛くねえ趣味」
「うるさいな。ご飯もう食べた?お給料が入ったばっかりでリッチなわたくしが何か奢ってさしあげましょうか?」
「やだよ、俺、ヒモじゃん!任せな、俺がなんかウマイもん作ってやんよ」
「わー嬉しい!旭くんの作ったの全部美味しいもん」
「胃袋掴まれてんな、るみか」
「わたしが養ってやるよ」
「はは、頼もしいー」
 そのまま旭くんのアパートに行こうか迷って、一旦自分のアパートに帰る。ジーンズを脱ぎ捨ててお気に入りのフレアスカートに穿き替えようとして、やっぱりシャワーを軽く浴びようと思い直し、バスタオルと下着を掴んだ。
 良い香りのするボディクリームを塗ろうとして、さすがにあからさま過ぎるかとやめておいた。
 電車で3駅乗り継いで、途中のコンビニでお菓子とジュースを適当に買い込む。
夕方の6時を過ぎたというのに辺りはまだ十分に明るい。昼間に比べれば日差しが柔らかくなった分楽だけど、ぬるま湯の中にいるような湿った温かい風がせっかくシャワーを浴びてさっぱりしたばかりの肌に纏わりつき、服の中に汗が滲んできてしまった。パウダーシートをバッグに忍ばせておいてよかったと心底思う。
 アパートの階段をとんとんと軽快に上がってインターホンを鳴らすと、「鍵開いてっから」と声が返ってきた。
「お邪魔します」
「おう、お疲れ!ちょうど今、俺の俺のナポリタンが出来上がったところだぜ」
「俺の俺のナポリタン?」
「じゃなくて、俺の、俺のナポリタン!」
「旭くんの俺のシリーズね」
「そう!我ながらめっちゃウマそう!」
 今日バイトで嫌なことあったんだけどなあ。
たまに面倒なお客さんに当たってしまうことがある。けど、そんなことも全部吹っ飛んでしまうぐらい目の前の輝くナポリタンは美味しいし、旭くんのすこーんと突き抜けた明るさは周りの人を笑顔にしてしまう。
そんな彼のTシャツの下のわき腹から腰骨までのラインがとても色っぽくて、わたしを押し倒すときの瞳がぎらぎらと欲を隠さずに射抜いてくるのを知っている。
 冷たい麦茶で喉を潤すと、「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
「おう、おそまつさん」
「旭くん、ほんとに料理上手だよね。嫁に欲しいわ」
「そんなに簡単にはやれねーな。なんせ俺ってば引く手数多だからよ」
「じゃあしょうがないね」
「おい!あっさり諦めんなよ、ネバーギブアップ!」
「無理、わたしには高値の花なんだわ」
 とフローリングの床に倒れると、ひんやりとした感触が一瞬あって、でもすぐに自分の体温で生暖かくなってしまった。
「るみかがいっぱいサービスしてくれたら考えてやるのになあ」
 そう言って突っ伏していた身体をころんと仰向けにされて、唇を寄せてきたから「待って」とおでこをぺちんと叩いた。
「歯磨きしたい」
「ええー、せっかくいい雰囲気だったのに。大体お前、部屋けっこう散らかってて雑なくせにそういうのはきっちりすんのな」
「それとこれとは話が別なの。それに今は綺麗だよ、あのときはテスト前で切羽詰ってたからたまたま散らかってただけなの」
 立ち上がって洗面台に向かうと、先にボディシートをさっと上半身に滑らせる。それからわたし用のピンクの歯ブラシを手に取り、その隣のゴールドの歯ブラシも持って、その両方に歯磨き粉を絞り出しテーブルに戻ると、寝転がっていた旭くんの口に歯ブラシを突っ込んだ。
「あぐ……っ、アタシ乱暴なの嫌いよ?」
 よよよ、と斜めに身体を傾けて泣きまねをしている旭くんを無視してシャコシャコと歯ブラシを動かしていると、蝉の鳴き声がやけに耳に響く。昼間は大合唱しているけれど、今鳴いているのはほんの数匹だ。
夏の真ん中で、溶ける様な暑さの中で、エアコンが効いているとはいえ絶対にセックスなんてしたくないと思っていたのに、相手が旭くんだとどうしてもこうも欲情してしまうのだと自分でも不思議だった。 
 なんとなくエアコンの吹き出し口を見つめたまま歯を磨いていると、旭くんも同じようにエアコンを見上げていたのでおかしくなって、彼の背中をばしっと叩いた。びくりと身体を揺らして大袈裟に倒れ込む旭くんは夏とTシャツがよく似合う。
 こんな風に毎日を彼と過ごせたら幸せだろうなあ、とぼんやり考えて、さっき出した「嫁」という単語に不自然さを醸し出さずに済んだ自分を褒めてやりたくなった。
 これから大学を卒業して、就職して、新しい出会いがあったとしても、今この瞬間が永遠のような眩しさを放っているならそれはわたしの欲しいものだけれど、手に余るのか、残るのか、まだ想像もつかない。
 うがいを済ませても、口の中に歯磨き粉がざらりと残っている。その清涼感が消えてしまう前に、旭くんの腕が後ろから回ってきてその力強さにわたしは自分の中の女を感じる。
「お待たせ!るみか、エッチしよ?」
「デリカシーないなあ」
 気乗りしないようなフェイクはとっくに見抜かれていることを知っているけれど、もう癖のようになっていて勝手に口から飛び出してしまう。
 肌がぺたりとくっつく不快感とシーツに汗を滲ませてしまう罪悪感は確かにここにあるのに、それは遠い感覚だ。
声と指先と舌と体温。それらのすべてが今この中で綯い交ぜになってわたしに落ちてきているのをぜんぶ仕舞いこんでいたい。
 喉の奥で彼の快感が産声をあげている。



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