ごうごう、と風が鳴っている。波の音を掻き消してしまうほどに。
乾いた冷たい風が耳たぶに痛く当たる。
冬の海はにがてだ。見ているだけで寒くなってしまう。薄曇りの下、吐く息は白い。
風に混じる潮のにおいもどこか寒々しく感じた。
「寒い」
 ハイカットのコンバースは重たくてただでさえ歩きづらい砂浜をさらに困難にさせていた。
それでもお気に入りの黒のコンバース。青峰くんのいつも履いているバッシュのカラーリングによく似ていて、一目ぼれで買ってしまった。この靴との付き合いももう2年以上経つ。
「もう帰ろうよ、青峰くん」
「おまえは先帰れよ」
「……帰り道わかんない」
「誰かに聞きゃいいだろ」
 突き放すように素っ気ない声音。
振り向きもせず海沿いの砂の上をざくざく歩いて行く。
青峰くんの歩幅について行くのはいい加減限界がきていて、わたしは自分がここに居る意味も見出せずにおとなしく帰ることにした。
 砂浜を抜けて道路まで出るとコンクリートの感触が懐かしい。
駅までの道を探しきょろきょろしていると、2人組の軽そうなお兄さんたちがにやにやこっちを見ていた。
思わず来た道を引き返そうとすると、「おねえさん」と声を掛けられて仕方なく振り返る。
「迷子?俺たちが案内してやろうか?」
「あの、大丈夫です」
「どこまで行くの?高校生?」
「めんどくせえなあ」
 いつの間にここまで来ていたのかすぐ後ろで青峰くんの低い声がして、お兄さんたちはふたりとも表情を引き攣らせて後ずさった。

「おまえ隙ありすぎなんだよ」
「誰かに聞けって言ってたくせに」
「相手選べよ、バカ」
 隙があっても青峰くんはわたしに触れもせず、距離も一定を保って、決して近寄らせはしない。
わたしは青峰くんの手の温度すら知らないし、青峰くんはわたしがこっそりつけているボディパウダーの香りを知らない。

 冬の海は寂しくて、厳しくて、泣きたくなるほどだから苦手。
それでも青峰くんは海がよく似合った。
夏でも冬でも関係なく彼は愛されていた。
決して表に出てこない彼の弱さに冬の海が寄り添っているかのようだった。
わたしは欠片も優しくない青峰くんの背中をもう追いたくはなかった。

「るみか」
 涙の膜が張ってぼんやり曇る視界の中で青峰くんが振り返って立ち止まり、ずいぶんと遅れを取ったわたしを見ていた。
「なに泣いてんだよ、おまえ」
 驚いた顔をしている。今日初めて目が合ったようにすら思う。

 青峰くんは欠片も優しくない。
放っておいてくれればそれでよかった。中途半端に優しくされてわたしはこの気持ちの終わらせ方をまた見失う。
助けに来てほしい、と期待してそれでも放っておいてくれさえすれば、諦められたのかもしれなかった。突き放してくれれば、あるいは。
 膜の中で青峰くんはめんどくさそうに溜息を吐いた。
コンバースの中にはすでに砂がだいぶ入ってしまっていた。
重たい足でわたしは青峰くんに背中を向けて一歩一歩わたしのペースで歩く。
追い風のおかげでさっきよりもずっと歩きやすい。目をちゃんと開けていられる。
 青峰くんの背中をもう追いたくはなかった。
くるしい、のだという事はずっと前から知っていた。
「おい、るみか!」
「帰る」
「帰り道わかんねえんだろーが」
「ケータイで調べるから」
「もう助けてやんねえからな」
「うん。さよなら」
 海の向こう、雲の隙間がところどころ燃えている。温かみのある色。
 風はさらに冷たくなっていたけれど、下を向くのはもうやめようと瞼にぎゅっと力をこめて視界を開かせる。 
未だ鳴いている風のせいで静かなはずの海は荒れていて、岩肌にぶつかる波しぶきがときおり高らかに上がっていた。
 危なくないように、と考えて歩いていたのだと気づかされる。
わたしがまっすぐついて行くことを知っていたから。
波打ち際まで行かずに荒れている海でも濡れない場所。
わたしはひとりで歩いていたせいで、知らぬうちに海に吸い寄せられていたのか波が足元まできて、お気に入りだったコンバースを濡らしてしまった。
海水と砂で汚れたコンバースは初めて出会ったときの輝きをどこかにやってしまったのだろうか。
色褪せて見えて、足先を冷やしていく。
 湿った砂に足を取られてひざこぞうから濡れた砂浜へと落とされると制服のスカートの端が飛び跳ねた海水にほんのすこし触れた。
スカートが短いせいでとても寒かったけれど、今日初めて短くてよかったと思った。
こんなのはほんとうはわたしらしくないのだとずっと思っていた。易い欲だった。青峰くんはわたしに触れもしないのだから。

 街灯が灯っても薄暗い海沿いの道を濡れたコンバースで歩いて歩いて、爪先はずっと痛くて、もうやけになっていて、それでも明るい駅前にやっと出たらつらいことは長くは続かないのだとしみじみ思った。
明るいというのはありがたいことなんだとも思った。日が落ちてからずっとわたしは不安と恐怖と後悔と負の感情をたくさん乗っけて歩いていた。

「遅せえんだよ、ばかるみか」
 顔を上げていたせいで、青峰くんを簡単に見つけてしまってつい涙腺が緩む。今日は泣いてばかりだった。
小学校にあがってから家族以外のひとの前で泣くことなんてなかったことがわたしの自慢のひとつだったのに。
「あーあ、靴びしょびしょじゃねえか」
 しゃがんでわたしの靴を見ると呆れたように言う。
それなのに近くの雑貨屋さんでもこもこしているグレーの靴下を買ってきてくれて、そのままわたしを軽々と背負うと駅の中に入って行く。
青峰くんの背中は広くて居心地が良くて髪からは潮のにおいがした。海のようなひとだと思った。
「助けてやんねえって言ったろーが」
 わたしが黙って背中に額を押しつけていると、わざと揺らしてくるから振り落とされないようにしようとすればどうしてもくっついてしまう。
簡単なことのように思えた。
それでもとても遠かった。まだ充分に遠い。
 コンバースは靴下が入っていた袋に入れてある。帰ったら綺麗に洗って太陽の下におもいっきり干してぴかぴかになったらまた履こう。
「青峰くん」
 どうしようもなくなって名前を呼んだら、返事もせずにふんぞり返ってわたしを突き放してほしい。



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