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洋菓子と上司


「なんかいいことあった?」

出勤するなり、社員の松枝さんが声をかけてきた。
この人はたかが週3のアルバイトに過ぎない私にだってこんな風に気軽に話しかけて来てくれる。
まだ30代前半であるにもかかわらず、幹部から一目置かれている存在で、きっとあっという間に出世して行ってしまうんだろう。
20代のうちに結婚もしているが子供は一人もいないと聞いたことがある。
噂好きのおばさんたちは一時期「頑張ってるけど出来ないんですって」「奥さんが不妊らしいわよ」「松枝くんもまだ若いのにねえ」なんて好き勝手言いたい放題だった。
人様のお家に勝手に土足で上がり込んでは、身勝手に庭の草花を踏み潰す様なそんなパートのおばさんたちの言動に吐き気を催したことを覚えている。
松枝さんとその奥さんの事情なんてどうでもいいじゃない、別に。
周りが何と言おうと松枝さんみたいな人がまさしく“勝ち組”なんだから。

でも本当は。ちょっとだけ気になるのも事実。
世間一般で言われる所謂“勝ち組”街道を突っ走る彼が、結婚して数年経つ奥さんと子を設けない理由が。
薄っぺらい外面しかみない“勝ち組”なんて言葉、甚だ無意味と思うけど、でも一方で、これはただの勘に過ぎないけれど、なんとなく訳ありな気がしてしまう。
これでもかというくらい世間の期待を裏切らず、一つ一つ丁寧にクリアしているあの人の“人生計画チェック欄”がそこだけ空欄であることが偶然だとは思えなかった。
単純に今はまだ良いと思っているだけかもしれないし、夫婦の間で納得しているんだったら別に良い。
子ども、という存在が夫婦円満の指標になるなんて微塵も思っていないけれど、でも松枝さん夫妻の内情に一切興味がないのかと問われれば決してそんなことはない。

「いいことっていうか。朝から美男美女のカップルを見てきただけです」
頭の中では色々と邪なことを考えながらも、平然を装って松枝さんにそう返す。
あの美男美女勝ち組カップルも最終的にはめんどくさくなって飽きちゃったんだけど。
でも、あの二人が並んで歩いていたらそれはそれはさぞ絵になるモンだろうとも思った。
そんな、傍から見て“完璧”に見える人間に憧れないわけでもない。
「ええ、それでご機嫌なの?俺だったら朝っぱらからそんなの見せつけられたら辟易としちゃうけどなー」
「別にご機嫌ってわけじゃないです。それに私、カップルって言いましたけど、多分あの人たち付き合ってないんですよ」
「なになに、そんなとこまで見てたの?今どきの若い女の子ってば怖いねえ」
自分だってまだまだ若いくせに、まるでオヤジぶった調子でおどける松枝さんはほんの一瞬だけホンモノのおじさんの風格を漂わす。

自分のデスクに戻った松枝さんが
「そうだ。高松さん甘いもの、いける子?」
と、座りながら私の方へ声をかけてきた。
松枝さんの言葉の意図を掴みかねて、曖昧に頷けば、
「じゃ、これ。あげるよ。貰いものなんだけどさ」
デスクの一番下の引き出しをがさがさと漁って取り出したのは最近話題になっている有名パティシエの名を冠したブランドの紙袋。
「え、それって今凄い話題のやつじゃないですか」
「なんかそうらしいね。俺そういうの疎くてさ」
そう言って苦笑いした松枝さんはその紙袋を持って再び私の座るアルバイト用のデスクへ歩み寄ってきた。
「もし邪魔じゃなかったら持って行ってくれない?昨日貰ったばっかだから賞味期限もまだ大丈夫だと思うよ」
「ぜんっぜん邪魔なんかじゃないです!少しくらい賞味期限が切れてたとしても、むしろありがたいというかなんというか…こんな高いお菓子、逆に申し訳ないですよ」
「いいのいいの、むしろ高松さんに貰ってもらえてこっちも助かるくらいだからさ」

はい、と差し出された紙袋を、ありがとうございます、と言って松枝さんから受け取る。
中を覗いてみると、お菓子のアソートが入っているような大きめの缶詰が入っている。
やっぱめっちゃいいやつじゃん、コレ。
「あ、でも」
そう言ってデスクに戻りかけていた松枝さんがこちらを振り返って小さな声で続けた。
「俺があげたってことはみんなには内緒ね」
人差し指を唇に当てて、“内緒”と言う彼の仕草はともすれば残念な上司なのに、そう思わせないのはやはり松枝さんの人柄の為せる技なんだろう。
憎めない人。
今度なにかお礼をしなきゃ。
この憎めない年上のオジサンはどんなものが好きなんだろう、そんなことを考えながら貰ったばかりの紙袋を手に席を立ち、それを仕舞うためにロッカーへ向かった。

でもこれくらい家に持って帰ればいいのに。
ロッカーに袋を仕舞い込みながらそう頭に浮かんだ。
松枝さんが食べなくたって、奥さんが喜ぶだろうに。
やっぱり二人の間には何かあるんじゃないだろうか、そんなことを考えている私は結局自分が鬱陶しく感じていたあのパートのおばさんたちと根本なんにも変わらないのかもしれない。



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