spiral | ナノ



誰もいないリビング


碌に見てもいないテレビをとりあえず付けて一人の夜を過ごす。
結婚する前はいつも一人で過ごしていたというのに、今になってあの時どう過ごしていたのか微塵も思い出すことができない。
いたずらにチャンネルを変えても、どれもピンとこない。
今流行の若手俳優が慣れないバラエティー番組に出演して、一生懸命なにか話している。
その子が話すたびにお笑い芸人が茶化す様な言葉を発して笑いを取る。
脚本に沿った流れなのだろうが、畑違いの場にまで出張してきて小馬鹿にされてしまう若い俳優の子が少し不憫だ。
と思えば別のチャンネルでは、東京都内の隠れ家特集を謳うグルメ番組。
別の番組は政治家をスタジオに召喚してタレントたちがあーでもないこーでもないと言い合っている。

退屈だなあ。
そう思った私はパチッとテレビのスイッチを落とした。
手持ち無沙汰になって何となくスマホを確認してみても、もちろん誰からも何の連絡も入っていない。
大学を卒業してすぐ結婚した私は気が付けば友達と呼べる友達がみんな疎遠になっていた。
みんなが仕事を始めて、新しい職場で奮闘しながらも、色々な人との出会いと別れを繰り返す間に、私は2LDKのマンションに籠って時々パートにでるだけの生活をしていたのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
最近はSNSなんかで彼女たちもついに結婚するらしいという情報が入ってくる。
たった1つのタップすらも戸惑われて、結局私はその投稿に何の反応も付けずそっと下にスクロールしていく。
心の中で小さく、おめでとうとだけ呟いて。

今日の夕飯は今朝詰めてそのままにされていたお弁当だ。
この時期だったら、きっと大丈夫だろう。まあ、仮に少しくらいお腹を壊したって問題はない。
一人ダイニングテーブルにお弁当を広げて、キャビネットに置いてある無線スピーカとスマホを接続してお気に入りの音楽を流す。
10代の終わりころによく聞いていたアップテンポの日本のパンクをかけてみる。
懐かしい音楽を聴くと何故か泣きたくなる。
決して涙を誘うような音楽ではないのに、明るい曲調が逆にセンチメンタルな私の心を刺激するのだ。
センチメンタル繋がりで私はいつもはあまり使わないお気に入りのグラスを食器棚から取り出し、そこに麦茶を注ぎ入れる。
まだ結婚前に彼と一緒に行った旅先で私が一目惚れして買ったものだ。
彼はそれを私に買ってくれると言っていたけれど、私はその申し出を断って自分の財布を出した。
自分が本当に欲しいと思ったものは誰に頼るでもなく自分の力で手に入れたかったからだ。
注ぐ麦茶はデキャンタにパックを入れて水道水に浸しただけの何の変哲もない安いお茶なのに、グラスが違うだけで平凡な味も特別に感じる。

今日は何もかもがいつもとほんの少しずつ違った。
でもほんの少しのズレが回りまわって大きな差異を生み出すらしい。
今私の目の前にあるこのお弁当を家に置き忘れてきただけなのに。
今日一日に起こった出来事を一つずつ思い返しながら、いつもと変わらないおかずが詰まったお弁当をつついた。
半分に切り分けられて小さくなったミニトマトを口に含みながら思い返すのはあの人の事ばかり。
もし明日もまたあの座席に誰かが座っていたら彼にお礼を言おう、そんな賭けを一人心に決めて安物の麦茶を啜った。



[ 4/18 ]

[prev] [next]
[list]

site top



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -