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赤ワイン


[もうご飯食べた?]

17時過ぎ、夕飯の準備をしていた時に入ったメッセージ。
キッチンの上にスマホを置いてレシピを確認していた時に表示されたポップアップを邪魔だと感じたものの、そこに表示された名前を見てそんな考えはどこかへ吹き飛んだ。

蛇口から水を出して軽く手を洗って、タオルで水気をふき取る。
そんな工程すらまだるっこしくて、早く返信したくて余計に空回りする。

[まだですよ]

[今から食べいこか?]

一件目のメッセージが入った時からほんのり期待していた展開通りになって、浮かぶ笑みが抑えられない。一人でスマホを見てニヤニヤしてるあたしって今めっちゃ気持ち悪いんだろうな。

[いきます!]
作りかけのポテトサラダを雑に冷蔵庫へ押し込んで支度を始める。

着ていたヨレたワンピースを脱ぎ捨てて、2週間前に買ったばかりの新しいワンピースに袖を通す。

鏡の前でメイクを直しながら、傍でアイロンのスイッチをオンにして温める。

粉を軽く叩いて、アイシャドウを簡単に塗り直せば目元のキラキラが戻ってくる。
そしてポーチの中で一際嵩張っているビューラーを取り出し、慎重にまつ毛を挟む。
数回、手元のビューラーを少しずつ動かしながら指先に力を込めて理想のカールを人為的に作り上げれば、鏡の中に映るあたしは一層可愛くなる。

マスカラのキャップを取って余分な液をフチでしごいたブラシで上向きになったまつ毛をなぞる。

最後に隙間を埋めるようにアイライナーで目の周りを軽く縁取ってデート仕様のメイクが完成。

ちょうどいい頃合いで温まったアイロンを使って緩く髪の毛を巻いて出来上がったカールを片手で包みながらムースを馴染ませる。

うん、可愛い。
鏡の中にいる自分の姿を確認して、ハンドバックを持って部屋を後にした。


「葵ちゃんて、男にすぐ騙されるタイプやろ」
店の中央に大きなワインセラーがある欧州料理店で机の角を挟んで座っている侑士さんが問いかける。
大きなグラスに注がれた赤ワインを飲む侑士さんはそこら中に色気を振りまいていて、あたしは気が気でない。
この人は今あたしとディナーに来てるの。
時々侑士さんの姿を窺っている周りの女性客たちがあたしは気になる。
「なんでそう思うんですか?」
赤のグラスってなんでこんなに無駄に大きいんだろう。
手元のグラスを口に運びながら彼の答えを待った。
「んー?俺の勘」
無駄に大きいグラスを揺らす侑士さんが赤い液体を口に含んで飲み込んでいる。
「侑士さんは付き合ってる人とかいるんですか」
「おらんで?」
「じゃあ侑士さんの好きなタイプって…?」
「うーん、タイプなあ…。葵ちゃんみたいな子かなあ」
ワインを飲み込む度スッと上下する喉元がセクシーでそこから目が離せなくなる。
「え」
「ほらな?すぐ騙される」
そう言って笑っている時も侑士さんの喉は上下している。
さっきの言葉が冗談だと暗に言われていることにすらしばらく気が付かないくらいあたしは彼に見惚れていた。
「悪い男に気を付けなあかんで」
「侑士さんは悪い男なんですか?」
「どやろな?」
テーブルに肘をついて私の方を見ている侑士さんは色っぽく笑っている。
初めて話した時と同じ。私を試すようにこちらの様子を窺っている。
あたしの知っている男の子たちはこんな風に笑わない。
もっと、なんていうか。
単純な感じだ。

「あたし、侑士さんだったら騙されてあげても良いですよ」
「こらこら、あかんで」
「本気です」
「ふーん?」
侑士さんはいつでも余裕があって、あたしの言動をすべて予測しているみたいだ。
「…じゃあこの後俺んち行こか?」
だから、きっと私がなんて答えるのかも侑士さんはお見通しのはず。
隣から伸びてきてあたしの掌に重ねられた侑士さんの手を取った。
「…はい」



「葵ちゃん」
手を繋いだまま外を歩いた。
ついこの間までカウンターの向こう、果てしなく遠くにいたと思っていた侑士さんがあたしの隣を歩いている。
「はい」
「家まで送ったるから、今日はちゃんと帰りや」
「え?なんでですか?」
「なんでもや。…俺みたいな男、やめとき」
そう言いながら侑士さんは右手を上げて流れているタクシーを1台止めた。
「あたしは侑士さんみたいな男の人が良いんです」
自動的に開けられた扉が目の前に現れる。
「葵ちゃんも中々頑固な子やな?」
侑士さんとタクシーの間に挟まれるようにして、あたしは車の中に乗り込むしかなかった。
「でも俺も結構頑固なタイプやねん」
すかさず隣に乗り込んできた侑士さんが笑っている。
「すいません、先にこの子送ってからもう一か所行ってもらってもええですか?」
少し身を乗り出して運転席に話しかける侑士さんがあたしを促す。
「ほら、住所」
隣にいる侑士さんも、運転席にいるおじさんもあたしの言葉を待っている。
車内に充満する無言の圧に耐えられず、ついにあたしは自分のアパートの住所を伝えた。
「堪忍な?」
再びあたしの手を握ってきた侑士さんの右手をギュッと握りしめた。
「いつか連れてってくれますか?」
「いつかな」
「じゃあ今回は許してあげます」
「ありがと」
一瞬。
誰も気付かないほどのほんの一瞬、あたしの頭にキスをした侑士さんがポケットの中で震えはじめたスマホを取り出して画面を確認している。
「ごめん。ちょっとええ?」
一応確認はしてくれるけど、こんな状況で駄目ですとも言えない。
侑士さんの手の中で光っている画面には松枝椿の字。
暗いタクシーの中ではその光があまりに眩しくて鬱陶しい。
「いいですよ」
「堪忍な」
そう何度も言われたらあたしの堪忍袋の緒も切れちゃうよ。
内心そう思いながら特に怒る事も出来ず、ただ黙って侑士さんの手を握りながら窓の外に流れる景色を眺めた。
あたしの家はまだ遠い。

「ん?なに?椿さん」
電話に応対する侑士さんの声はあたしの名前を呼ぶ時よりも弾んでいる。
その雰囲気はあたしの前でいつも余裕そうな顔をしている侑士さんとは違って。
まるであたしの周りであたしの気を引こうとしてくる同年代の男の子たちみたい。
こんなにも静かな車内でも電話先の椿さんの言葉までは聞き取れない。

「どないしてん?」

まるで恋人を甘やかすみたいに問いかける侑士さんをチラッと盗みみれば、その表情すらもとろけてしまいそうだった。
思わず左手に力がこもる。

「出たで、椿さんのなんでもなくないなんでもない」

椿さんと話している侑士さんも、あたしの方をチラッと見ながらちゃんと握り返してくれる。
今侑士さんと一緒にいるのは紛れもなくあたし。

「ん?なに?」

あたしの方を見ながら耳元のスマホで繋がっている人に甘い声で問いかけている侑士さんを見ていたくなくて、再び窓の外に視線を移した。
そこには見覚えのある景色が流れる。

「ええよ」

何が「いい」の。あたしはなんにも良くないってば。

「俺も。また連絡するわ」

そういって通話を切り上げた侑士さんを呼んだ。

「侑士さん」

「ん?」
「多分もう連絡こないですよ。椿さんからは」
まあ、こんなの出鱈目だけど。
「かもな」
生意気なあたしの言葉にも侑士さんは案外冷静で。
「良いんですか」
侑士さんが冷静であればあるほどなんだか腹が立つ。
「良くないで」
何故だか嬉しそうな声で話す侑士さんに思わずため息が漏れた。
「な?言うたやろ?悪い男には気を付けなあかんで」
「そうみたいです」


「ここからどうしますか」
あたしのアパートのすぐ近くの信号で運転手さんが問いかけてきたから、「すいません、とりあえずここでいいです」と告げる。
「じゃあこの子降ろした後、もう一か所お願いします」
開いた扉から先に外に出た侑士さんの後を追う前に、財布から1万円札を取り出して運転手さんに渡して車を降りた。
「葵ちゃん、やめ」
そう言いながら自分のお財布からお金を取り出そうとする侑士さんの手を両手で押さえて止めた。
そして開いたままのタクシーの扉の前に立つ侑士さんの手を掴んだまま勢いに任せて彼にキスをした。

「知ってるでしょ?あたし、結構頑固なの」

ほんの少しだけ赤ワインの香りがした侑士さんを置いて、あたしは自分のアパートへ歩き始めた。



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