百人一首 | ナノ



冬の約束_


瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
  われても末に あはむとぞ思ふ
               崇徳院


跡部景吾がイギリスに旅立つ。

冬も深まり、各自の進路が明確になってきた時期。
そのうわさが学園中に広まるのに時間はかからなかった。

出来れば本人から聞きたかったなぁ…

「なんや、浮かない顔してんな」
「うーん、そうかな」
朝礼が始まる前の教室で机に頬杖をついてぼーっとしている時に声をかけてきたのは、クラスメイトの忍足侑士。
「跡部か?」
この男はこういうところに目敏い。
「うーん、そうっちゃそうだけど、違うっちゃ違う」
「なんやそれ」
侑士は笑ってるけど、私には笑い事じゃない。
別に彼女でも何でもないくせに「なんで私に教えてくれなかったんだろう」とか「空港まで見送り行きたいな」とかそんなことを考えていた。
でも一番は、両思いだと勝手に思ってたのは自分だけだったんだなということ。自分の勘違いが恥ずかしすぎて、痛々しい。

「何してやがる」
突如降ってきた聞き飽きるほど聞いてきた声に、片隅で「この声が聞けるのもあと僅かなんだな」と考える。
「おい」
不機嫌さを隠しもしない声色に、侑士がすかさず
「乙女の恋煩いや。あとは頼んだで」
とフォローにならないフォローをして、その場から立ち去っていく。
先程まで侑士が座っていた正面の椅子に腰かけた彼が問いかけてくる。
「で、恋煩いか?」
「うーん、まあ。そんなとこかな」
「なるほどな」
っふ、といつものように余裕ありげに笑いを漏らした彼が、立ち上がると見計らったように予鈴が鳴り響く。
「放課後、俺のとこまで来い。いいな?」
どうせ私が断らないのなんて分かってるんだから、一々いいな?なんて聞かなくてもいいのに、そういうところが跡部の良いところだと思ってしまう。
「うん、わかった」

その日は一日、ぼーっとして何も手が付けられなかった。
そのたびに侑士が「乙女は大変やなあ」なんて言ってくるのがうざったらしかったけど、彼なりに気遣ってくれてるのが分かって少しむず痒い気持ちになる。
跡部に言われた通り放課後彼の教室まで行けば、帰るぞ、とだけ言って学校を後にしてしまった。
「ねえ跡部。どこ行くの?」
「付いて来れば分かる」
跡部について歩いて辿り着いたのは、高台の公園だった。
歩く間も私にペースを合わせてくれていた彼は心なしかいつもよりも口数が少なかった。

「もう聞いたかもしれないが、俺はイギリスに行く」
二人で遠くの景色を見ながら、彼は切り出した。
「うん、聞いたよ」
「3年、いや4年、もしかしたらもっとかもしれない」
いつになく歯切れが悪い彼の言葉に、あぁ本当にイギリスへ行こうとしているんだなと感じた。きっと向こうでしかできないことが彼にはあって、そのために、きっと、自分自身の成長のためにそう決断したんだな、ということが何となく伝わってきた。
「うん」
「でも必ず日本に帰ってくる。そして必ずお前を迎えにくる」
迎えに、かあ。そんなこと言われたら期待しちゃうんだけどな。
「俺を待ってろとは言わない。お前の生きたいように生きてくれればいい。でも俺は必ず戻ってくる。そして戻った時には、お前がどこにいようとも見つけ出して迎えに行く」
「…跡部が帰ってくる前に、跡部よりいい人に出会っちゃったら?」
「そんな男がこの世にいるわけねーじゃねーか」
鼻先で笑いながらそう言った彼の言葉には先程までの歯切れの悪さは消えていて、いつもの彼の調子に戻っていた。
「跡部らしいや」
「でも、」
そう続けようとする彼が、少しだけ言葉に詰まった。
「ん?」
「もしお前がお前の生きる道を見つけたなら、俺は邪魔したりはしねえさ。安心しろ」
「やっぱ、跡部らしい」
どこまでも俺様のように見えて、誰よりも周りを気遣ってくれるのが跡部景吾の良いところだ。
そういう彼だから、私はきっと好きになったんだと思う。

5年経って、大学も卒業した私は親の地元がある北海道で就職していた。
もうあれから5年も経つのに、あんな高校生の陳腐な約束事が忘れられず独り身で居続ける私に真冬の寒さが染みわたる。
仕事終わり、雪が降り積もり、街灯に照らされて橙に染まる地面は寒さのあまり、降り積もった雪の結晶がキラキラ輝いていてる。

「随分遠くまで来させるじゃねーか」
不意に聞こえた懐かしい声に振り返れば、そこにいたのは最後に会った時よりも大人びた彼だった。
「跡部」
5年ぶりに口にした彼の名前に、胸がざわめく。
「久しぶりじゃねーの」
相変わらずの喋り癖に、ああ本当に跡部なんだな、とぼんやり考える。
「おい、なんだ?俺の事忘れちまったのか?」
呆れたように言う彼に、急いで言葉を返す。
「いや、なんていうか。驚きのあまり、声がでない、みたいな、ね?」
私の言葉を聞いた跡部が笑っている。
「絶対迎えにくるって、言ったじゃねーか。それも忘れちまったのか?」
一歩一歩近づいてくる彼を黙って見つめながら、5年前の冬を思い出す。
「忘れるわけ、ない。でも、本当に来てくれると思ってなかったから」
「っふ、俺様を何だと思ってやがる」
私の目の前で歩みを止めた彼に、
「俺様、王様、跡部様…?」
と返せば、「悪くねえじゃねーの」と言って優しく引き寄せてくる。
顔に触れる彼のコートが冷たくて、コートから覗く彼の胸の辺りに頬を寄せれば、ニット越しに温もりを感じて真冬の凍てつくような寒さが和らぐ。
臆病すぎるくらい優しい抱擁に彼らしさを感じて、途端に込み上げてきた懐かしさやこれまでの寂しさを誤魔化すようにぎゅっと抱き締めれば、それ以上の力で抱き締め返してくれる5回目の冬。




歌意:川瀬の流れが速いので、岩にせき止められる急流が、二つに分かれてもまた一つになるように、恋しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと会おうと思う。

▽77番、恋の歌。
北海道から沖縄、どこにいても必ず迎えに来てくれる男、跡部景吾。



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