6years | ナノ



JH2 冬_


【阪急梅田駅】

言うつもりはなかった。
1年が終わる季節、色々なものが区切りを迎えているのを見て、新しい1年への支度を始めているのを見て、なぜかやってしまった。
終業式前までもう授業がなく使わない教材などを持ち帰るため、部活終わりに教室に一度戻っただけだった。
この頃日が暮れるのも早いから、部活終わりともなると外は真っ暗だ。3階の教室から見える住宅街の灯りを私は結構気に入っている。
昼間に見ている景色と同じはずなのに、夜になるってだけで全然違う街に見えるのが、この街の持つ二面性のようで好きだ。
3階から見れば煌々と輝いているように見えるのに、実際に路地を歩くとそんなに明るいようには感じない。そもそも明るいのは新世界方面であって、天王寺は静かな町だ。そんな夕闇が私の思考を加速させる。なんであんなこと言ってもうたんやろ…。

教室には誰もいないと思っていたので、明かりがついているのを見て担任の先生でもいるのかと想像しながら勢いよく扉を開けたらそこにいたのは担任なんかじゃなくて、白石だった。
「え?」
「おう、椿。今部活終わりか?」
お疲れさん、自分の席に座っている白石の机の上を見れば何やら紙がたくさん広げられていた。
なんとなく私は白石に近づき、彼の前の座席の椅子を借りて向かい合うように座った。
誰も座っていなかった椅子の座面は冷たかった。冷たい感触がやけに残るように感じる。
「それ、部活の練習メニュー?」
ふーん、基礎体力トレーニングがメインかー、男テニは結構がっつりやってんねんなーなんて用紙を見ながら独り言のように呟いた。
「来年は絶対全国で優勝したるからな。そのためにはやっぱ体力づくりが大事なんやと思うたんや」
部のことを真剣に考え、練習メニューを組む白石の目はいつも教室でくだらないことに笑っているときとは違う。別人みたいだ。
そんな白石の二面性が好きだ。普段の優しくて穏やかな白石と、テニスのことを考える真剣で隙のない白石。
「椿はさ。来年女テニの部長になんねやろ?」
不意に聞かれた質問に何故かすぐに回答できなかった。
そうだ。私は来年から部長になる。正式に三笠先輩と顧問の先生から通達されたのは2週間ほど前のことだったから、もうこれは決定事項なのに。
「うーん、まあ。せやなあ。でも私が部長なんか務まる自信ないわ」
初めて人に打ち明けた。
「私、白石みたいに部員一人一人のサポートとかできる自信あらへんし、こうやって部のために色々できる気せえへんなあ」
白石はすごいよなあ、と溢せば、彼は一瞬真面目な顔をしたが、すぐに柔らかい表情に戻って声を出して笑った。
「大丈夫やで。椿はこれまでも部活のために色々やってたんやし、何よりも椿がテニスしてる姿見るだけで部員にはいい刺激になるんやから、そのままでええんやで。分からん仕事あったら俺も一緒にやったるから、そんな気負わなくて大丈夫や」
「ほな、私全部白石に押し付けてまうで?」
冗談交じりに言ってみた。でも半分は本心だった。押し付けたりなんかはしないけど、部長だっていう口実で白石と一緒に何かできるなら私はそれすらも利用してしまいそうだ。
「職務怠慢やで、松枝部長」
すんません、白石部長、なんて笑いながら私は自分の席に向かった。

元々は、教材を片付けに来たんだから。でもその時ふと見た窓の外の景色が、なぜか私の気持ちをぎゅっと締め付けた。
いつも教室にいる時は窓の外は明るく、住宅街も遠くの繁華街もよく見える。けど、この時間は繁華街を照らす灯りしか見えない。そして窓の手前には机に向かう白石がいる。
何もかも、いつもと違うように見えた。
見慣れた教室がいつもと違ったし、見慣れたはずの景色も違った、そこにいる白石もいつもと違うように見えた。だから、私もいつもと違うことをしてしまったんだと思う。


いつもはすぐ電車に乗って帰るのに今日はそんな気も起きず、梅田で途中下車して人ごみに紛れてただただ歩いていた。
頭の中に残るのはつい2,30分前の教室の光景で、まるで切り取った映画のように1つのシーンだけが繰り返される。
「今は、テニスに集中したいんや」
白石の言った言葉が何度も木霊する。言っている言葉の意味は理解できるが、それはもはや何の意味もなさないように、ただ音を紡ぐだけのものとして私の中で繰り返される。忙しなく行きかう人の波の中で、私がただ一人だけこの空間から浮いた異質な存在であるような錯覚に陥る。
背広を来てビジネスバッグを携える男性、ベージュのロングコートを纏ってブーツをカツカツ鳴らす女性、マフラーに顔を埋めてポケットに手を入れながら歩く大学生。
1秒ごとにすれ違う膨大な数の人たちを黙って見やりながら、私はずっと教室の光景を浮かべている。
「来年こそは必ず優勝してリベンジせなあかんねん。だから、」
その後彼は何を言おうとしたんだろう。
「応援してんで、白石部長。」
続く言葉を聞く勇気がなかった。教材を片付けるために来たのに、結局目的を果てせないまま私は逃げるように昇降口へ向かい、今に至る。
きっと私は振られたんだと思う。白石は直接は言葉にしなかったが、あの時の彼の顔がそれを物語っていた。


「松枝先輩?」
本屋のショーウィンドウを外から眺めていたら不意に声をかけられて上手く反応ができなかった。
「こんなとこで何してんすか。」
「え?財前くんやん」
お疲れっす。そう言いながら私の隣に並んで彼はショーウィンドウを見つめる。
財前くんは男子テニス部の窮地を救った人物だということは女子テニス部の間でも有名だった。たった1人の1年生ということで、最初の頃は女子テニス部の1年生と一緒に仕事を教えていた。飲み込みが早く要領がいい。それが彼の第一印象だった。
次第に慣れてきて世間話もするようになってくると、彼の言動に棘が出始めてきた。しかし別に気になるようなものでなく、むしろ自然体で好感が持てた。

「先輩、こういう本読むんすか?」
ショーウィンドウに並べられているのは世界の紛争地域を収めた写真集だ。
色鮮やかな色彩と、その情景の残酷さのコントラストが作品の芸術性を引き立てているような気がする。でもこれは決して芸術作品のために用意されたセットなどではなく、今も世界のどこかで起きている現実だ。有名な写真家なのだろうが、私はその名前も聞いた事がなかった。
「いや、そういうわけやないんやけど…」
「ふーん。何かあったんすか。」
この子は鋭い。部活動の時から思っていたが、周りをよく見ていて、些細な変化すらも敏感に感じ取る感性を持っている。だからこそ、天才と呼ばれるんだろう。
「まあ、ちょっとな」
「少しどっかで話しません?」
別にええよ、そう返す前に冷え切った私の手に温もりが落とされた。お伺いを立てているような口ぶりの割に返事はさせてくれない。
捕まれている手が気になるけれどわざわざ振りほどくのも変だし、どうしていいか分からず状況を飲み込めない私は完全に機を逃し、結局ずっとそのまま財前くんに引かれるように歩き続けた。

しばらくすると広い公園の中に入って私たちは散歩していた。そのころには私の脳内も少し冷静になっていて、彼は私の様子が違うのに気が付いてこうやって連れ出してくれていることや、歩くペースを合わせてくれていること、なんとなく気を紛らわせようとしてくれていることに気が付いた。
「財前くん。」
「どうしました?」
「ありがとうな」
何のことっすか。ぶっきらぼうな口調に隠された気遣いに心が落ち着く。
先ほどまで一人で悶々としていた気が晴れるようだ。なんとなく嬉しくなって財前くんの手をぎゅっと握り返して彼との距離を詰める。あそこ、少し座りませんか?そう提案する彼に私は黙ってうなずいた。

ベンチに座る時に離された手が急に冬の夜風に曝されて冷たくなる。冷たいベンチは先ほどの教室の冷たい椅子を思い出させる。教室と違うのはすぐ右隣に感じる彼のほのかな熱だ。
「先輩。何があったか、聞いてもいいっすか?」
「うーん、特になんもないで」
君んとこの部長に振られてん。そんなこと言えるわけないやろ。
「先輩、嘘つくの下手すぎやろ。言いたくないならそやって言えばええやないすか」
「…振られた」
そう小さく呟いた私に、財前くんは何も返さない。しばらく無言の時間が過ぎる。
なんとなく居心地の悪さを感じてそわそわしてしまう。
「ねえ、先輩。」
財前くんがこっちを見ている。普段テニス部の男子たちに囲まれていると小柄に見えるため私と同じくらいかと思っていたら、意外にも、なんて言ったら失礼かもしれないが、私よりも身長が高い。隣に座ると肩の高さの違いが顕著になる。
「忘れさしたりましょうか?」
じっとこっちを見てくる財前くんの左手が私の右手に重なる。財前くんの手は熱くてごつごつしている。冷え性っぽいのに少し意外やな。ぼんやり頭の片隅で考えていたら、彼の右手が私の左頬に添えられて、そのまま彼の方を向かされた。

まるで金縛りにあったみたいに身動きが取れなくなって、彼の瞳から視線が外せない。気が付けば重なった手は少しずつ指が絡められ、恋人みたいに繋がって、左頬にある彼の手のひらは私の首筋をたどって後頭部に回されていた。
「先輩」
財前くんの方にゆっくりと引き寄せられて、至近距離で低く呟かれると私の身体中に刺激が走ったようにぞわっとする。
「ん」
呼ばれた声に上手く返事もできず、近づく後輩をじっと見つめ返すことしかできなかった。

ゆっくりと重なったものは彼の手の温もりに反して冷たくて柔らかかった。
「財前くん」
繋いだ手に力を籠めると、彼もしっかり握り返してくれる。
私たちはどちらからともなく、もう一度引かれ合って夢中でお互いの熱を交換しあった。

公園に来た時と同じく手をつないで黙ったまま私たちは帰る。違うのは互いの指が絡まるようになっている手と私の頭の中に占めるもの。もうあの教室の情景が浮かんでこない。
代わりに私の頭の中は、ついさっき感じた後輩の熱でいっぱいになっていた。
改札前まできてやっと財前くんが口を開くまで私たちは一言も交わさなかった。
「先輩、また誘ってもいいっすか」
その誘いは酷く甘美な響きを纏っていて、なぜだか悪いことをしているような感覚に襲われる。それにきっとこれは私に可否を問うているんじゃなくて、一方的な宣言のようなものだ。
だから私は何も返事を返さずに、手の温もりを離して改札をくぐった。
振り返ると彼は私に気付いて片手を挙げてくれたから、私も手を振り返してから彼に背を向けてホームへ続く階段を小走りで駆け上った。





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