6years | ナノ



SH3 夏_


【茜が残したもの】

「なあ、椿」
閉会式の後、会場のレストスペースに椿を見つけた。
去年の年末に突然電話をかけてきた椿に、試合に来て欲しいと伝えたはいいが彼女が本当に来てくれる保障はなかった。だから今日、観客席に彼女の姿を見つけてひどく嬉しかった。
俺は何ともない風を装って椿に声をかけた。いつも通りの調子をなるべく意識して。

木のテーブルを挟んで彼女の向かいに腰かける。椿はテーブルの上に置いてあるスポーツドリンクのボトルをいたずらに弄っている。傾いてきた陽に照らされて辺り一帯が橙色に染まる。
「ええ試合やったね」
久しぶりに間近に見た椿は、中学の時よりも大人っぽくなって綺麗だった。
初めて公園で見かけた時のような凛とした雰囲気が一層強くなったように感じる。
「負けたけどな。」
試合に負けて悔しかったのは事実だが、それ以上にやり切ったという達成感の方が強かった。
勝ち負けにこだわるよりも大切なことがあるというのは、椿が教えてくれたことだ。
あの日俺のテニスが好きだと言った彼女の言葉を聞いて、勝ち負けにこだわるのは止めた。
「でも、白石、相変わらず強いな。かっこよかったで。」
椿は近くのコートを見やりながら、そこに意識はないようだった。寂しさを籠めた視線は3年前の春に、裸の枝を見つめていた視線に重なる。
あの時の椿はまだ1房だけ残っていた桜を見つけて、嬉しそうな声をしていた。その声を紡ぐ彼女の表情はとても柔らかかった。寂し気な瞳と明るい表情のコントラストが妙に印象的だったのを覚えている。もっともそれも一瞬のことだ。彼女が公園を去るころには何事もなかったような表情で、あっけからんと立ち去っていった。

 いつまでも、たったの一歩すら踏み出せずに前に進めないままの俺とは正反対に、知らない土地で自分の居場所を見つけて、新しい仲間に囲まれて過ごしている。後ろなんか振り向かずにどんどん前に進んで生きている椿は凄い。
「かっこいいのは椿の方やで」
「そうか?よう分からんけど、ありがとう。」
少し照れ臭そうに笑う姿が可愛い。中学の頃いつも俺の近くで無邪気に笑ってはしゃいでいた女の子が、大人に近づいているのを感じた。
「昔から椿のことはかっこええと思っとるで」
「そうなん?知らんかったわ」
「初めて言うたからなあ」
「せやな、初耳や」
昔っから言うてくれたら良かったやん、そう言いながら声を出して笑う彼女の姿は昔のままに見えた。昔の俺らの話をしながら、「そんなん覚えてへんよ」「記憶違いちゃうの?」なんて笑うのが懐かしい。こうやって昔のことばっかり振り返るばかりで、その居心地の良さにかまけていたらもう二度と会えないような気がした。3年前がそうだった。またあの時のように後悔するのは御免だ。これ以上椿が遠くなる前に伝えなければいけない。
「初めてついでにもいっこええか?」
俺と向き合って座ってる椿の視線が隣のコートから床に落ちた。俺らを真っ直ぐ照らす西日の茜を遮るように、髪の毛が垂れ彼女の表情も覆われた。
「なんか嫌や」
「言わせろや」
「拒否権ないやん。」
今言わんと、椿はまた遠くに行ってまうんやろ。

「俺、後悔しとんねん。昔のこと。」
俺がそういった瞬間、椿の顔がぱっとこちらを向いた。茜色の光に照らされた瞳は澄んだ明るい色をしていて、透きとおったガラス玉みたいだ。視線が合った瞬間に見開かれた瞳は、また視線が下げられたことによってその色が見えなくなってしまった。今度は手元のボトルに向けられた視線が忙しなく動き、あてもなくボトルを弄っていた指がボトルをきゅっと握りしめる。
「なんのことや。」
「わかっとんのやろ。分からんふりしたらあかんで。」
真っ直ぐに彼女を見つめながら声を届ける。俺の気持ちが届くように願いながら、真剣に向き合った。
「後悔って、なんやねん。」
呆れてるんやろうか。怒っとるんやろうか。それとも面倒くさいと思っとるんか。そのどれともとれる声だった。その表情は俯いて隠されているせいで見えない。
「椿が告白してきてくれるずっと前からな、俺お前のこと気になっててん。それこそ1年の頃からや。」
入学前のあの日から俺はお前に惚れとんねん。椿が俺を見つけるずっと前から、俺はお前に夢中になってんねんで。
「それも確かに、初耳や」
「でもな、あの時は部活のことだけで精一杯やった。ほんま、かっこ悪いよな。」
「…」
「俺、焦ってたんやと思う。3年になった時絶対全国で優勝せなあかんって。みんなを優勝まで導かなあかんって。」
俯いている彼女がふふっと笑っている。
「知ってたで、そんくらい。白石が部活のことばっか考えてんの。自分のことなんていっつも後回しや。」
「あの時全国で負けて俺ほんまにテニスやめよう思っててん。純粋に楽しめなくなってるのに気づいてな。でも言うてくれたやろ?俺のテニスが好きやって。その言葉聞いて俺、なんかホッとしたんや。」
やっとこっちを見てくれた。
「チームの勝ち負けよりも、俺が自分で楽しめればいい、って。その時はじめてそう思うたんや。チームのことばっか考えて、自分が好きなテニスも楽しめなくなって、そんなん勿体ないやろ?」
「だからな、俺もう誰かのために無理すんのは止めにする。」
「…」
「俺と付き合うてくれへんか。」
揺れる彼女の瞳は真っ直ぐにこちらを見つめている。何を考えているかは読めない。
困ってるんやろうか。今更こんなこと言われて。驚いてるんやろうか。
「別に今すぐじゃなくてもええから。俺、椿のこと待つから。考えてくれへんか。」
「…」
「必死なんや。繋ぎとめておきたくて。」
こんなに必死にべらべら喋ってかっこ悪いのは承知している。それでも、手放したくない。
「なあ、白石。」
椿が静かに俺の名前を呼んだ。太陽はもう地平線にほとんど沈み、あれだけ明るかった茜も薄くなり、遠くに残る陽を残して空は菫色が支配する。椿のガラス玉は陽が落ちても透き通っていて、その瞳に見つめられると奥深くまで飲まれそうになる。
「うちな、白石とは付き合えへん。」
そっか。
「…そうか。悪かったな。こんなこと言って。」
もう遅かったんやな。
「いや、」
あほやな、俺。
「あん時、ちゃんと素直になっときゃ良かったなあ。ほんま、あほや。」
笑いが漏れてきた。なんとなく内心期待してたんや。もしかしたらまだ間に合うかもしれないと思ってた。でも本当は、もう椿は俺なんかじゃ手の届かないくらい遠く、前に進んでたんやな。ああ。やっぱかっこええな。
「…せやな」
そない、思い詰めた顔せんといて。
「なんや、笑えや。」
あほやな、白石、って笑い飛ばせばええんやで。
「…じゃあ、私もう行くから。またな。」
椿には笑顔が一番なんやから。一緒部活に行ってた時みたいに思いっきり笑ってくれればええんや。
「おう」
なんやねん、そんな今生の別れみたいな顔して「また」って。そんなんお前には似合わへんで。はよ笑えや。

茜色に燃えていた空はすっかり落ち着きを取り戻して、黄昏時も過ぎ去っていった。






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