短編 | ナノ



泡_


「…元気にしてるかな、」

主語のない、独り言にも似た呟きは浴室に反射して、自分が想定していたよりも大きく響いた。

「あいつの事だ、心配ない」

無意識に溢れた独り言のつもりだったから、応答なんて期待していないどころか予想外のことで、心地よいぬくもりの中で遠のきかけていた意識が急に現実に引き戻された。

湯船に半ば溺れながら、隣で黙々と髪の毛を泡立ている手塚を見上げた。
私からは彼の表情は窺えないけれど、鏡に映る彼は目を瞑っていていつも以上に彼の考えがわからない。

バランスよく筋肉がついた背中はその見た目以上に硬いことを知ることになったのはあの子のせいだ。
頭を洗っているその両腕は、幼い頃から何年間もかけて鍛え上げられてきた重さを孕んでいることを知ったのもあの子のせいだ。

本当だったら私はこの男のこんな姿知るはずもなかったのに。


「男ってどいつもこいつも、結局は自分が一番ってこと。いつも隣で身の回りの世話して、調子がいい時も悪い時もいつだって心身ともにサポートしてあげてる女のことなんてどうとも思ってないのよ、本当は。口では愛してるだの、なんだの言うけど、心の中じゃ自分の今の生活は自分のひとりのおかげとしか思ってないんだから」

ほんっと思い出すだけでも腹が立つ!
そう言いながら乱暴に冷蔵庫の扉を閉めたあの夜の彼女は、いつになく刺々しい雰囲気を纏っていた。

「また男?」

「そう。また、男。もう二度と男なんて作らない」
何もしなくたって充分に大きいその目を大袈裟に見開いて、ぐるりと回してみせる彼女はため息まじりにお決まりの台詞を吐いた。

もう男なんて懲り懲り。
何度彼女の口からその言葉を聞いたことか。
そしてその度に私が何度慰めてきたことか。

「別にいいんじゃない?私がいるんだし」

「それもそうだね」

私の言葉を当たり前のように受け流して笑った彼女は、グラスに注がれた牛乳を勢いよく飲み干した。まるで私の言葉も一緒に流し込んでしまったみたいだ。私は本気なのに。

彼女が液体を飲み込むたびに上下する喉が色を放って私を誘ってるみたいに見えてしまった。
彼女も彼女なら、私も私だ。
いつまで経っても懲りることを知らない馬鹿な女たち。私たちはきっと似た者同士なんだろうな。
ソファから徐に立ち上がった私はまっすぐ彼女の元へ突き進み、シャワーを浴びたばかりでまだ湿気を纏う彼女の喉元に噛みついた。

「ちょっとちょっと、せめて飲み終わってからにしてよね」

普段よりほんの少し高い声でコロコロと笑う彼女の声を今も鮮明に聞こえる。

湯船に沈んだ両手を水面から出して顔を擦ろうとすると、水面がチャプチャプと揺れて、なぜかその音が彼女の笑い声と重なる。

手塚も彼女のあの声を知ってるんだろうか。

まあ知らないはずがないか。私と過ごす間、彼女と手塚はずっと恋仲だったんだから。
どこかのクソ男と別れるたびに、私に泣きついてきてるもんだと思っていたのに。
結局ずっと一人の男と一緒にいて、そいつに抱かれ続けてたんだもんな。
もう別れる、もう二度と顔も見たくない。どこかの恋人と喧嘩する度に私には言っていた彼女は、一度たりとも別れたことがなかったんだ。嘘ばっか。

「手塚」

「どうした」

「まだあの子のこと忘れられない?」

私の質問に答える代わりに、シャワーのコックを捻った手塚の頭上からお湯が勢いよく流れ出て、彼の髪の毛に絡みついた泡を流していく。
手塚の身体の形に沿って流れるお湯とそれに溶けた泡が排水溝に吸い込まれていく。

勢いよくお湯を掛けられてぺったりと貼り付いた髪の毛、その毛先から首筋を伝って、背中の厚い起伏の上を辿っている。引き締まったウエストのあたりで不規則な流れを作った水流はそのまま手塚のお尻を伝って脚全体を包むように勢いよく流れ落ちていった。
頭部を洗い流すために曲げられた肘の先からは不規則に水が滴って時々湯船にいる私の方まで飛んでくる。

顔にかかった水滴を手のひらで拭いながら垣間見た手塚は瞼を閉じて、濯ぎ残しの無いように丹念に髪の毛を無造作に洗い流している。性格が出るな、と思った。

彼女はこんなに丁寧にシャワーを浴びなかったな。

そう思ってから自分の認識を訂正せざるを得なかった。

なぜなら私は彼女がどうやって自分の身体を洗っていたのかを知らない。
彼女の身体を泡で包むのは私の役目だったから。

まあ、手塚があの子を忘れられるはずないよね。
だって中学の頃からの付き合いだったんでしょ。
それも噂で聞いただけだけど。

手塚がもう一度コックを捻ってシャワーを止めた。
濡れた髪の毛を掻き上げて湯船に沈む私を文字通り見下ろしてくる。

開かれた両目が何を訴えているのか、私には読めない。
あの子なら視線だけで彼の考えが理解できたのかな。

浴室には手塚の髪の毛から滴る雫の音だけが響いて、妙な間が私たちの間に流れた。

「いつまでも忘れられないのは、お前の方だろう」

私の独り言以上に小さく浴室に木霊した手塚の言葉は、サブサブと一際大きな波を立てた水の音にかき消された。
左脚から湯船に侵入してきた手塚は私の背後に回って、当然のように私の身体を包み込んでその場に落ち着いている。

手塚が入ってきたせいで水位が一気に上がった浴槽に収まりきらなかったお湯が一気に流れ落ちて、排水溝付近で渦巻いている。
あまりにも急激に大量の水が押し寄せたせいで上手く流れきれない液体がいつまでもグルグルとその場を回転する。自分が落ちる順番を待っているみたいに。

私の首筋に顔を埋めた男の感覚を意識の端に感じながら、流れて消えていったお湯の行方に想いを馳せた。





▽多分手塚はもう吹っ切れてる。



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