略奪協定_
「なあ?」
「んー?」
「高校ん時、財前ってやつ同じクラスにおったやろ」
日曜日の朝。
並んでソファに座りながら、粉をお湯で溶かすだけの簡単で安いカフェオレを啜りながら、私たちはただ身を寄せ合っていた。
すぐ横にある大きな窓からは朝日が差し込んで、電気のついていない部屋を照らしている。
「うん。それが?」
「あいつ、俺の同期だった子と付き合うてたんやけど、今度結婚すんねやて」
「へえ、財前くんが結婚か」
「ちょっと意外とちゃう?」
「うーん、でも」
財前くんがその人を繋ぎ止めておいてくれたから。
「よかったよね」
そのおかげで私の恋も成就したんだから。
***
「別にええで。あの先輩は俺が貰うから、お前はあの人んとこ行けばええやろ」
まだ私たちが二人とも高校生だった頃。
1つ学年が違う私はどうしてもあの人には敵わなかった。
同じ学年で、同じクラスで、あなたと一緒に1日を過ごすあの人は、私が一つ下のフロアで授業を受けている間にもあなたとの距離を縮めていくから。
到底私なんかには無理だと諦めていた。
ある夏の日の放課後。
「いつまでそんな顔してコート見てんねん」
自分ではない人の席に座ってぼーっと窓の外を眺めていた時にやってきた財前くんが教室の入り口から声をかけてきた。
「え?別に?」
「学校おるんやったら部活来ればええやろ」
「うーん、それはさ」
何となく今日はそんな気分じゃなかった。
気分とかそんなようなことで部活を休むのは気が引けたけれど、お昼休みに見かけた二人の様子が引っかかってしまって、今日ばかりはどうしても行きたくなくなってしまった。
[すいません、今日の部活休みます]
昼休みが終わる直前に入れた連絡には間髪入れずに返信があった。
[具合でも悪いんか?]
[ちょっとだけ]
[大丈夫か?あんま無理したらあかんで。部活の方は気にせんでええよ]
そんなやり取りをしている間にも、私の頭の中には先ほど見かけた二人の姿がこびりついていた。
並んで歩きながら何か冗談を言い合って、笑い合って、小突き合って。
ただのクラスメイトというにはあまりにも親しすぎる二人の後ろ姿が焼き付いて離れない。
「好きなんやろ」
「は?何が」
「誤魔化すなや。駄々洩れやで」
再びコートを見下ろせば、彼は相変わらず部員と打ち合っている。
財前くんのその発言にか、あまりにも遠い彼の存在にか、自然とため息が漏れる。
「でも、私なんかどうにもなれへんやん」
「…俺が」
いつの間にか財前くんも窓際に移動していて、私が座っている机の前に立って窓の外に視線をやった。
「俺がどうにかしたろか」
「どういうこと」
「いつもあの人と一緒におる先輩が気にくわへんねやろ?」
「別に気にくわんとかそういうんちゃうわ」
「あんな女、いなければいいのに」
「は?」
「いっぺんくらい思ったことあるやろ。あの人がおらんかったら、ってな」
そんな感じのようなことを一度も考えたことがないわけではない。
彼女がいなければいいとかそういうのではなく、彼の視線の先に何者も映らなければいいと思っただけ。
別に本気であの先輩を邪魔だと思ったことはない。
だって私にはどうにもできないことだから。
あの二人は互いに想いあっていて、通じ合っている。
たとえ付き合っていないとしても、互いの瞳がそこに映すのはお互いの存在で。
そこに私が入り込む隙間なんてない。
「別にええんちゃうの、そう思ってたって」
あっけらかんとそう言ってのける財前くんの視線の先にあるのはコート上の彼。
彼の瞳が何を捉え、何を考えているのは分からないけれど、なんとなくさっきの言葉は彼自身の本音のように聞こえた。
あの人がいなければ。
そう考えているのは実は財前くんなんじゃないかという考えが私の頭によぎった。
「もしかして財前くん、あの先輩のこと好きなん?」
ほんの一瞬だけ目を見開いて虚を突かれたという表情を浮かべた彼は、私のことを鼻で笑った。
「ちゃうで」
きっぱりと言い切った彼は、窓の外に向いていた身体をこちらに向け、椅子に座っている私を見下ろす。
「でも、お前があの女の先輩が気にくわへんってなら、俺がどうにかしたるで」
「どうにかって、何、どうすんねん?」
「俺があの先輩落とせば万事解決やろ」
「…財前くん、そんなこと出来るん?」
「やってみな分かれへんけど、なんもせんとずっとこのままやで」
目の前に立って射抜くように私を見つめるその瞳には強い意志が込められているようで、何故かその瞳を見ていると「彼に託してみるのも悪くないかもしれない」、そんな思いが込み上げてきた。
財前くんの言っていることは決して間違ってはいない。
何もしなければずっとこのまま、状況は変わらない。
「ええの?」
力強い財前くんの瞳をみていると、何か動くべきだという意志が沸き上がってきた。
[やらない後悔より、やった後悔]
在り来たりの言葉だけれども、その時の私の行動原理はまさしくその言葉の通りだった。
「別にええで。あの先輩は俺が貰うから、お前はあの人んとこ行けばええやろ」
想い合う二人を引き裂くような残酷な協定が結ばれた瞬間だった。
***
財前くんが一体何をどうしたのかは知らない。
あんなに楽しそうに笑い合って、じゃれ合っていた二人の隙にどう入り込んでいったのかは分からない。
でもある時から例の先輩の隣に並ぶのは財前くんに変わっていた。
それでもあなたの視線の先にいたのは変わらずあの先輩で。
財前くんが彼女の手を引いて歩く姿を目で追うあなた。
そのことに気が付く度、人知れず吐いた溜息の数は知れない。
でも何もしなかったら何も変わらない、そう語った財前くんの言葉を思い出した私は、あなたの視界の端に無理やり入り込んで行った。
あなたが一生懸命、彼女を視界に収めようとする度に私が邪魔しに行った。
そうすればいつか本当に私を見てくれると思ったから。
***
「俺らもするか?」
「なにを?」
「結婚」
日曜の朝、甘いカフェオレの香りが漂う薄暗い部屋でされたプロポーズ。
こんな脈絡もないような展開なのに、あなたの掌の上にはしっかりと小さなケースが握られていて。
良いかもね、そう答えた私の左手を取ったあなたが、ケースの中で輝く小さなダイヤの嵌められた指輪を取り出す。
あなたの手によって私の薬指にゆっくりと指輪が嵌められていくのを黙って見つめている時、
「別にええで、」
ある夏の日の放課後、財前くんが言った言葉が何かの呪文のように脳内に木霊した。
「…ぴったりやな」
下まで指輪が押し込まれた私の指先を見てそっと笑うあなたは、今、そのダイヤの奥に一体誰を見つめているんだろう。
▽ここでヒロインさんと一緒にいるお相手はいったい誰なんでしょうか。
財前くんはヒロインを想い続けるし、ヒロインの現在のお相手は例の先輩を想い続けている。
決して交差することのない矢印があっても良いと思います。
こういうのも浮気かなあ、というちょっと視点の違ううわき話でした。
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