短編 | ナノ



真夏の逃避行_


午前3時40分、いくら夏とは言えど日が昇るにもまだ1時間はある。

部屋の中はまだ薄暗いのに、一度覚醒した意識は中々元に戻らない。
どうしようもなく手持ち無沙汰の私は枕元にある端末を手に取り、頭によぎった人物の連絡先を開いた。
どうせこの時間に返信など見込めないだろうと思い、深く考えもせず一言だけ送った。

[起きてる?]

起きてるわけないじゃん。
自分で送ったその言葉に自分で勝手に突っ込みを入れて、端末を閉じる。閉じていたカーテンを開けてみたけれど、まだ暗い外が室内を照らしてくれることはなく、ただただ薄暗い夏の早朝の空が広がるだけだった。
カーテンを開け放ったままとりあえずベッドに寝転び、仰向けになって天井を見つめる。

予想に反してすぐに返ってきた返信に半ばくらいつくようにして端末を取り上げ画面を見つめる。

[寝られへんの?]

[もうね、お目目ぱっちり]

[どっか行くか?]

[潮風が恋しいなあ]

[迎え行くから準備して待っといて]

ほんの2,3分の間にこれほどのやり取りを交わして、私はいよいよベッドから抜け出して服を着替え始めた。侑士がくるまではきっとあと2,30分ほどあるだろう。顔を洗って歯を磨いて、化粧までするほどのことでもないから軽くパウダーだけ叩く。
丁度私の支度が終わったころをまるで見計らったかのように、携帯が光る。

 [着いたで]

そのメッセージを確認して寝室の窓を覗いてみれば、彼の車が停まっているのが見えた。
本当に来たんだな。
少しだけ遠くの空は白み始めているけれども依然として暗い住宅街はまだまだ街灯がしっかり灯っている。

「起きてたの?」

助手席の扉を開けて体を中に滑り込ませながら、運転席でスマホを弄っていた彼に尋ねた。

「んなわけないやろ、起こされてんねん」

「えーごめん」

さして思ってもいない謝罪を言葉だけで伝えても、侑士だって私の考えくらいお見通しのようで「ほんま、しゃーないなあ」と言いながらシートベルトを締めた。

車を走らせればいつもは数えきれないほど沢山の車がみんな一斉に同じ方向に向かって走っているのに、この時間では流石に台数も少なく、ほんの数台だけがどこかを目指して一直線に駆けている。

キャミソールにショートパンツ、一応持ってきたパーカーもあるがこの時間でこれほどの気温であれば今日はきっと必要なさそうな気がする。
夏は身軽で良いから好き。冬のように重たいコートや分厚いマフラーも必要ない。
私の動きを阻むものはなにもなく、自由に動ける夏のほうが私は自分に合っている気がする。
隣に座る侑士を盗み見れば、彼もまたTシャツにジーンズという簡単な出で立ちだ。
これ以上ないほどに身軽な私たち。
このまま、どこまでも行ってしまいたいような気分になる。

車が進めば進むほど街は明かりを取り戻していった。ステレオからは私が前に好きだといった緩やかなメロディーが流れてくる。透き通ったボーカルが澄み切った夏の朝にマッチする。
ごちゃごちゃした都会の街並みを抜ければ、左手に水平線が見え始めた。
車が走っている有料道路からはまだ遠いその青と薄ら色の空が混ざり合うように見える。
窓を全開にして窓枠に腕を乗せながら顔を外に出して風を感じれば、湿った空気と程よく冷たい温度に肺がリフレッシュされる。

「乗り出しすぎや」
強風が吹き荒れる車内では音楽もろくに聞こえず、少しだけ声を張った侑士が私の右腕を引いて助手席に座らせる。
正面を見据えてハンドルを握る侑士の髪はサラサラと風に靡いている。

「気持ちいいよ」

「落っこちたらどないすんねん」

「落ちる前に引き戻してくれるでしょ」

「当たり前や」

ボタンを押してウィンドウを上げ10pほどだけ残しておけば、車内には再び心地よい音楽が流れる。
少しずつスピードを緩めた車はウインカーを出して高速を降りていく。
海はもうすぐそこだ。

午前4時40分。
穏やかな旋律と心地よい揺れに誘われて眠気が襲ってきた私は1つ大きなあくびをして、眠気を噛み殺そうと試みた。
私の喉から発せられた声とも言えない音を聞いた侑士は、そっと息を漏らして笑っている。

「もうすぐ着くで」

「うん」

信号待ち。隣から聞こえてきた穏やかな声色に視線を向ければ、その声と同じかそれ以上に優しげな顔をした彼がこちらを見ていた。
ああ、あの声を出すのは確かにこんな顔だろうな。
私は何故か納得した。随分と大事なものを見つけたみたいな顔をするじゃないか。
助手席に沈めた身体をそのままに、返事をする力も湧かず喉で返事をしたのを最後に視界がぼんやりと暗くなっていった。

頬を撫でる滑らかな指の感触に意識を引き戻されゆっくりと瞼を上げると、車はとうに駐車場に停まっていて、シートベルトを外した侑士がこちらをそっと窺っている。
行き来する侑士の親指が心地よくて、添えられたその手に寄り添うように頬を寄せて再び目を瞑れば「起きるで」と一言、低く小さな声が聞こえてきた。
「うん」
ぼんやりとする頭で返事をしながらシートベルトを抜きとって、ドアのロックを開けた。
大きく一つ伸びをしながら空気を肺いっぱいに詰め込めば、磯の香りが全身を包み込む。
むき出しの両腕を撫でる風は、家を出た時よりも幾分か生ぬるさを増していた。

「行こか」

差し出された手を取って浜辺の方へ歩き出す。


午前5時。

砂をかき分ける二人分の足音が誰もいない砂浜にまるで響き渡るように聞こえる。
週末のお昼時には多くの人で賑わうここも、この時間はがらんとしている。

「誰もいないね」

「月曜のこの時間やしな」

「なんか贅沢」

目の前に広がる広い海とこの砂浜をまるで二人占めしているような錯覚に陥る。
どこまでも続く青をもっと近くで見たい、そう思った私は侑士の手を離れて青へ駆け寄った。
遠くから見ればあれほど透き通った濃厚な青も、近くで見ればなぜかそれは少し濁った茶とも青とも空色とも取れない色をしている。打ち寄せる波の白さだけが際立つ。
波が私の足に届くか届かないか、ぎりぎりの位置に立ってもう一度、腕を空へ伸ばし思いっきり深呼吸をした。

浜辺の方を振り返れば、砂浜に座っている侑士が小さくこちらへ手を振った。
片膝を立てて胡坐をかいている彼は、立てている方の自分の膝に腕を乗せて頬杖をついている。
上へ伸ばしたままの両腕をそのままにして大きく手を振り返せば、彼が笑ったのが見えた

一歩進むごとに砂の中に沈む足を懸命に動かしながら彼の方へ歩み寄れば、それまでの体勢を崩して膝を開いた体育座りのような姿勢になった。
私の名前を呼ぶ声に自然と導かれてその膝の間に身体を滑り込ませれば、背後から腕が回されて彼の中に閉じ込められる。背中に感じる体温が潮風に曝された私の身体を温めてくれる。

「今日はいい日だね」

「せやな」

間近で耳を撫でる侑士の声が心地良い。

「最近忙しかった?」

「割とキツかったかもな」

「侑士がそう言うの、珍しいね」

「会われへんのが一番堪えんねん」

甘えるように鼻先を私の方に埋める彼がギュッと腕の力を強めた。
力が込められて少し張っている彼の腕に自分の手を重ねて、肩口にある彼の頭に私の頭を寄せる。

久しぶりに感じる互いの存在を確かめ合うようにして、私たちは身を寄せ合う。

どれくらいの時間そうしていたのかは分からない。時計もスマホも余計なものは全て車の中に置いてきている。

太陽が少しずつ高くなり、その輝きを増しながら暴力的なほど強く私たちを照らす。

完全に日が昇り、一面が陽気に照らされだした頃、顔を上げた侑士が大きく息を吐いた。

「そろそろ帰ろか」

「そだね」

ほんの少しだけ汗ばんだ身体を離し、先に立ち上がった彼の手に引き上げられるようにして私も立ち上がる。

「侑士」

「ん?」

「ありがと」

これだけじゃきっと何に対するありがとうかも分からないだろうに、その言葉に彼はふっと微笑んで私の目元を親指でなぞった。
手を繋ぎながら二人で海を背に、焼け付くような陽の光を浴びながら駐車場へと戻る。


車の中に入ると、車内には潮の香りが微かに漂う。

キーを回す音を聞きながらシートベルトを締めて再び助手席に身体を沈めれば、来る時に流れていたものと同じアーティストの曲が流れだす。

再び穏やかな旋律が車内に廻り、まだ身体に残る侑士のぬくもりと潮の香りを目を閉じて堪能する。そうすれば瞼を開くのが少しずつ億劫になり、そのままフワフワとした意識の中で侑士がこちらに身を寄せる気配を感じる。

「ゆっくり寝るんやで」

微睡みの中で聞こえた侑士の声は相変わらず低く、落ち着いていて、眠りを誘うには充分すぎるほど優しさが込められた指先が頬を撫でるのを感じながら意識を手放した。



▽エロの絡まない忍足侑士さん。
仕事が忙しくてしばらく会えなかった忍足さんと女の子。単純に自分が会いたかったのももちろんあるけれど、夜中に眠れない女の子がよく眠れるようにという想いで彼女が好きな海まで連れ出してくれる侑士さん。
指先から伝わる愛情、というのを意識してみました。
キスもしない、でもそうする以上に感じる穏やかな愛情を表現してみたかった。

車内のBGMはcigarette after sexというバンドの曲を想像しながら書きました。早朝にぴったりの音楽な気がします。バンド名がまたいい味出していると思います。



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