短編 | ナノ



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自分にはこの男しかいない。女は男に抱かれながら確かにそう感じていた。

「今日は奮発して外食にしましょう」

慣習となっていた抱擁。

柳生比呂士は必ず帰宅後に女をその腕の中に包み、一秒にも満たない短い口づけを落とす。

魚が水中で尾びれを揺らめかす様な、眠る赤子の胸が静かに上下する様な、それ程自然な行為だった。

「どうしたの、急に。珍しい」

「今日は豪勢にしたい気分なんです。偶には贅沢も良いでしょう?」

柳生の腕に包まれながら、柳生の提案に紛れた甘い響きを彼女は噛みしめていた。

外食は珍しい行動ではない。二人の休みが合致した日には度々そうしている。

しかし今晩、何故か柳生はそれを「贅沢」であると述べた。

彼女が珍しいと述べたのはその由である。

まるでいつも繰り返す外食が特別な行いであるかのような柳生のその調子への感想だった。

そして日常的な行いが急激に高尚な行いへ展化されたことによって帯びた「禁忌」に彼女は興奮した。

「どこに行こう」

「何処へでも」

なんて甘美な響きなのだろう。何処へでも。

他の何ものすら一切を感じることのない場所まで連れて行ってくれたらいいのに。




▽未完の長編より



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