短編 | ナノ



告解_


「そんで?お前はどうしたいんや?」
今まで聞いたことのないくらい冷たい声をしていて、そんな声も出るんだ、と思うと一層涙が零れてきて息が苦しくなる。
「泣いてばっかじゃ分かれへんって」
正面に座る蔵くんが溜息を一つ吐いて脚を組んだ。

こんなことになったのも、元を辿ればすべて自分のせいだ。
出来心、と言えばそれまでだ。でもそんな浮ついた動機じゃなかった。
もっと蔵くんに見合う女の子になりたかった。そのためにもっと綺麗になって、女を磨いて、彼のために魅力溢れる女になりたかった。
彼以外の男性を知ればもっと世界が広がると思った。そうすれば必死に彼を追いかけるだけじゃなくて、少しくらい彼に追いかけてもらえるくらいの彼女になれるんじゃないかって。

だから、蔵くんじゃない男の人とデートをした。
知らない手を握って、知らない腕の中に抱き締められた。
その人が好きだと言った服を着て、好きだと言った色の下着を身に着けた。

「なんや、最近雰囲気変わったなあ、自分」
愛おしそうに私を抱きしめて頬を撫でる蔵くん。その言葉にそっと微笑み返す私。
抱き合って見つめ合ってキスをする。
今までと何も変わらない優しい彼を、これまで通り受け入れながら、彼の言葉が私の心に染みを作った。

デートをした時にはさほど悪いことをしているような気にもならなかった。
その人に抱かれた時も、不思議と蔵くんを裏切っているなんていう気は湧かなかった。
だから、平気だと思ってしまった。
蔵くんじゃない男の人と一緒にいても、私の心の中には蔵くんしかいないから、浮気なんかじゃないはずだったから。

でも、彼の一言が私の心に黒いインクをぽたりと一滴落としてきた。そしてその黒は瞬く間に広がって私の心に溶け込み、薄く汚した。

色のついた水溶液が二度と無色には戻れないように、蔵くんを想う私の心ももう二度と綺麗なものには戻れないんだと、その瞬間に気づいてしまった。
たったの一度だけ。浮気でもなんでもない。ただ知らない世界を覗いてみただけ。

なのにその一度がこんなにも私を縛り付けるなんて。
蔵くんがまるで今まで通りなのが余計に私を苦しめて、その度に私の心に黒い雫を垂らしてきた。

「…ごめんなさい」
最初の一滴がじわじわと染みわたってから、どれくらい時間が経ったか。
気付いたころには私は真っ黒に染め上げられていて、後戻りが出来なくなっていた。

「どないしたん?」
彼の家に行った休日。
二人でスーパーに行って、夕飯の食材を買って、冷蔵庫に仕舞っている時だった。この後は一緒に映画を見てから、夜にはパスタを作って一緒に食べるはずだった。
並んでスーパーを歩いて、食材を吟味しながら一つ一つ籠に入れるたびに、罪悪感が積み重なってきた。籠の重さが罪の重さの様だった。そんなもの測ることなんてできないのに。それでも私の心は着実に重くなっていた。
何でもない顔をして、夕飯の買い出しをして、ご飯を作って並んで食べる姿を想像した。
買ったばかりの食材を今度はビニール袋から取り出しているのを見て我慢できなくなってしまった。
私はこんなことをしていて良いのか分からなくなった。蔵くんを裏切ったはずなのに、その時は何も罪悪感を感じなかった私が、平然と、何も知らない彼の隣に戻ってきていて良いのか不安になった。

「わたし…」
俯いたまま中々話を切り出せない私に、蔵くんはビニール袋から食材を取り出す手を止めて向き合ってくれた。
「一旦座ろか」
そう言ってダイニングテーブルの方へ手を引いて導いてくれる。向かい合った2つの椅子に腰かけて、彼と正面から向き合えばますます顔を上げられなくなって、両膝に置いた自分の手を見つめることしかできなかった。
「なんかあったんか?」
優しく諭すように問いかける彼の声色に思わず涙が溢れ出る。
「そない思い詰めて、どうしたんや」
私の頬を伝う涙を拭おうと正面から彼の腕がスッと伸ばされる。
私にはそんなことしてもらえる資格がない、蔵くんに拭ってもらう涙なんてどこにもない。
そう思って反射的にその手から身を引いてしまった。

「…あっ」
やってしまった、そう思って顔を上げた時に見た蔵くんの顔は怪訝そうに歪められていた。
「なあ、何があったん?」
落ち着いたトーンで聞いてくるその声は、もう先程のような優しさを孕んでいない。
責めるような口調では決してないのに、相手を絶対に逃さない、有無を言わせぬ雰囲気がその言葉にはあった。

一つ一つ、慎重に言葉を選びながら全てを打ち明けた。
鋭く射抜くような視線には何の感情も込められておらず、彼がこの告白をどう受け取っているのかも私には読めなかった。ただ、目の前にいる彼の雰囲気が変わったのは確かだった。

「そんで?」
俯きながら泣き続ける私に彼が痺れを切らしたように問いかけた。
「そんで、お前はどうしたいんや?」
残酷な問いだと思った。私にどうしたいか聞いてくるなんて。
本当は今まで通りこれからもずっと一緒にいたい。蔵くんの彼女として隣にいさせてほしい。
でもそんなこと私が言うなんて…そう思えば言葉が喉を詰まって嗚咽に変わるだけだった。

「泣いてばっかじゃ分かれへんって」
背もたれに体重を預け、脚を組む彼は黙って私の言葉を待っている。

「私は、蔵くんのことが好き」

「あんな、ええか?ほんまに好きやったら他の男に抱かれたりせえへんで、普通」

「…ごめんなさいっ」

呆れたような笑いを溢した蔵くんが私を鼻で笑う。

「その男んとこ行けばええんちゃうの?」

その言葉に私は反射的に声を上げてしまった。
「…いやっ!」

「いや…。蔵くんと、一緒にいたい」

私の言葉に大きな溜息を漏らした彼が徐に立ち上がって、キッチンへ向かった。
袋に入ったままになっていた食材を取り出して、それらを再び冷蔵庫へ入れ始めた。
黙々と食材を仕舞う蔵くんを私はただ黙って見つめ続け、空になったビニール袋を丁寧に畳んだ蔵くんがキッチンのカウンター越しに私の方を見る。

「俺は無理やで」

真っ直ぐ私を見つめる彼ははっきりとそう言った。

視線を逸らすことなくそう言う彼の言葉に迷いは感じられなかった。

「でも…!」

そう漏らした私の言葉を遮るようにただ一言、「もう帰りや」。
そう言った彼は、シンクに置かれた乾いた食器を手に取って食器棚へ戻し始めた。

まるで私の存在を無視するように、片づけを始める彼を見ながら、改めて自分の愚かさを噛み締めて泣いた。
水の入ったグラスを片付けるためそれを手に取ってキッチンまで持っていこうとすれば、「置いといてええから」と冷たく声をかけられる。
どうする事も出来ずに、とりあえず手に取ったグラスをキッチンのシンクの中にそっと置いて、自分のバッグを取りにリビングへ向かった。

一緒に観ようね、そう話していた映画のDVDが床に置かれたバッグの中から覗いている。
もし、私が何も言わずに隠し通していたら、この映画も一緒に観れたのかな。

何も知らないフリして、今まで通り過ごせたらこの先もずっと一緒にいれたのかもしれない。
蔵くんに隠し通すほどの強さを持っていない私があんなことをしたのが端から間違いだった。

自分のバッグからDVDを取り出して、そっとそれをテレビの前に置かれたローテーブルの下に置く。

バッグを手に取り、ダイニングテーブルに座っている彼に一言声をかけた私はそのまま部屋を後にした。






▽純情そうに見えて純情じゃない女の子。
ごめんなさい、でも君が一番が好き、そう言ったら許してもらえるんじゃないかって内心どこかで期待していて、隠すこともできない罪を許してもらって一緒にいることを望んでいた、という想定。
弱くて狡い女の子。蔵くん、とか呼んじゃうような女の子ですもん(ど偏見)。
最後に私物のDVDをこそっと白石の部屋に置いていくあたり、女の恐ろしさがあると思います。



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