短編 | ナノ



不要不急_


不要不急の外出は自粛して頂きたく…ーー
会社の休憩室に置かれたテレビから流れる会見の音声が私の耳を通り抜ける。
政治家が記者やカメラに向かって淡々と話しているその映像を見ている人はこの休憩所には誰もいない。
「不要不急の外出って言われたってねえ〜」
離れた席の誰かがそんなことを言ったのが聞こえる。
世の中がこんな風になってから彼とは一度も会っていない。

[今日何時終わり?]
[18時過ぎには上がれると思う]
[じゃあ18時半に迎え行くわ]
そんなやりとりを月2回ほど繰り返していた。

侑士の車に乗り込んで、煙草に火をつける。仕事終わりの一服。
彼の香りが充満する車内の空気を塗り替えるために、煙をふかす。
侑士の家に車を置いて、そこから歩いて少ししたところにある歓楽街へ向かう。
居酒屋が立ち並ぶ一角にあるイタリアンレストランで適当にアラカルトを頼んでワインを楽しむ。
レンガ調の店内にはキャンドルが並べられ、大きなピザ窯が店の奥に鎮座している。
「侑士ってセンスあるよね」
「そら、おおきにな」
「私、侑士が連れて来てくれるレストランみんな好きだよ」
「まあ、好みやと思って連れて来てるしな」
忍足侑士はそういう男だ。
女を悦ばせる術を知っていて、私もそんな彼にハマってしまった一人に過ぎない。

2人で白ワインを1本開けてほろ酔いのまま、腕を組んで移動する。
3ブロックほど移動すれば、この夜の歓楽街の中でも一際異彩を放っているエリアに辿り着く。
ほとんど意味もない小さな噴水を入り口に据えている建物の扉をくぐり、空いている部屋を見つけてエレベーターに乗り込む。
エレベーターの扉が閉じた瞬間が私たちの時間が始まる時。
弾かれたようにキスを交わして、扉が開けば足早に部屋へ向かう。
重たい扉を開いて、乱暴に靴を脱ぎ捨てて、互いの服を脱がし合いながら冷たいシーツに倒れ込む。
強く抱き締められたときに香るのは彼の車の中と同じ香り。私の大嫌いな彼の香り。
ベッドの上で抱き締められながら耳を執拗に攻められれば、聴覚も嗅覚もすべてが麻痺して徐々に思考が奪われていく。
「綺麗やで。もっと乱れてみせて?」
「っん…侑士…っ!」
「ん?」
「あっ・・・!んん…っ」
私の好いところを知り尽くした侑士が触れるたび、全身が震えるほどの快感に包まれる。

繋がり合ったときの切なげな目線も、ギュッと掴んで離さない手のひらも、私の名前を呼ぶ声も。
五感が侑士を感じて、私に刻み付けていく。
「ほら、こうされるの好きやろ?」
奥深くに熱を突き立てられて、抉るように刺激されれば自然と声が漏れて頭がチカチカする。
「んっ!!!…やっ!」
うん、好き。そう言いそうになった言葉を寸でのところでグッと飲み込んだ。
身体を重ねれば重ねるほど抜け出せなくなっていく。

例え本人についてじゃなくてもその言葉だけは口にしてはいけないような気がしていた。
一度口をついて出てしまえば自分でもまだ気付いていない何かが止めどなく溢れてしまいそうで、行為だけじゃなくて彼自身にも溺れてしまいそうな危険をその言葉は孕んでいた。
「そろそろイクで…!」
その頃には既に何も考えられなくなっていた私は侑士が打ち付けてくる熱をただひたすらに受け止め続けることしかできずに、私の中に吐き出された欲を逃さないように深く絡みついた。

何度も重なり合って離れることがないように抱き締めったのに。
結局私たちの関係は碌に知りもしない政治家のたった一言で立ち消えてしまうような薄い繋がりだったんだな。
最後の夜に残された胸元の痕が徐々に薄れていき、それがすっかり消える頃には私たちの関係もなかったことになるんだろうか。
耳障りなテレビの声を片隅に聞きながらそんなことを考えた。





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