短編 | ナノ



smoke without fire_


エレベーターもついていない古い雑居ビルの階段を上がり、3階にある黒い扉。
外からは中の様子は伺えず、店名が扉に書かれている以外そのお店を象徴するものは何も置かれていない。

重たい扉を手前に引けば、一枚板のカウンターが淡い暖色の間接照明によって照らされ、その背後には天井までずらりと並ぶボトルとグラスの輝きが目に飛び込む。
ゆとりをもって配置された座席は6席のみ。一番右端の座席に座る人物を見つけ私はその隣の席に腰を下ろす。

店内は薄暗く、周囲の闇に反してスポットライトに緩く照らされたカウンター上のグラスに注がれた液体が一際輝いて見える。
「遅かったんじゃない?」
彼の手元の灰皿を見遣れば、既に3本の吸い殻が並んでいる。
マスターが私にコースターと温かいおしぼりを出しながら、不二の灰皿を手際よく交換する。

マスターの背後にある棚を軽く眺めるフリをした。本当は飲むお酒なんていつも決まっているのに。
不二の目の前に置かれている、彼が今飲んでいるウイスキーのボトルを指してオーダーする。
「これと同じの下さい。水割りで。」
かしこまりました、そう言ってマスターが後ろの棚からグラスを取る。
「不二が早かったんじゃなくて?」
隣に座る彼の方に軽く上体を向けて笑えば、彼はまだ火をつけて間もない4本目の煙草をまっさらな灰皿に押し付ける。
「そう?僕はいつもと変わらないと思ったけど」
そう言う彼は空いた左手でコースターに乗ったグラスを悪戯に傾けている。

氷をアイスピックで刺す軽い音が響く。
砕かれた氷の塊はグラスへ収められ、バースプーンでカラカラと回転させられる。
グラスを急速に冷やしながら氷はグラスの中で回り続け、溶け出た液体はシンクへ捨てられる。

「突然どうしたの?」
カウンターに置かれているボトルをバーテンダーがサッと手に取りキャップを押さえたままボトルを捻り、キャップについてるコルクがボトルの淵を滑る音がキュッキュッキュと軽く鳴る。
「どうもしないよ。少し話したくなっただけ。」

傾けられたボトルからコポコポと子気味の好い音を立てて琥珀色の液体が氷の上に滑り落ちていく。
デキャンタから水が注がれ、バースプーンを軽く1回転させながら氷を持ち上げると急速に水とウイスキーが混ざり合っていく。
提供されたドリンクを手に取り、私たちは久しぶりに乾杯する。

「お疲れ様」
「おつかれ」
軽くて飲みやすいジャパニーズウイスキーの仄かな甘さが口内に広がる。
「仕事、忙しそうだね。」
グラスを口から離した不二が尋ねてくる。カウンターを一心に照らすライトのおこぼれに曖昧に照らされた横顔が綺麗だ。女性よりも美しさに恵まれてる男だと思う。
「うーん、最近はちょっとね。だからこうして外で飲むのも久しぶりかも」
「へえ。前はよく飲みに出てたのに。」
「それだって不二と飲みに行ってただけでしょ」
「最近はお誘いがないから寂しいなあ」
わざとらしい声を出しながら、右手で頬杖をついてこちらに微笑みかけてくる。
仕事が忙しくて不二を誘わなくなったのも事実だけど、理由はそれだけじゃない。

最初はただ気が合うというだけの理由だった。
お酒の趣味も、好みのお店も、食べ物の嗜好も、会話のテンポも。不二といたら心地よく過ごせたし、彼との時間は良い息抜きだった。
毎週のように金曜日に会って、一緒に食事をして、お酒を飲む。
大衆居酒屋みたいなところに行く日もあれば、洒落たフレンチに行く日もあった。その後に行くお店だって賑やかな立ち飲み屋、カジュアルなパブ、コンセプトバー、オーセンティックバー、色々なところを見つけては二人で足を運んだ。
大抵は私が不二に連絡を入れて、不二がお店を見つけてきてくれる。
最近見た映画の話、新しく聴いた音楽の話、撮ったばかりの写真の話。頻繁に顔を合わせていても話題は尽きることがなかったし、互いに仕事の話をお酒の場に持ち込むことは決してしなかった。

そんな心地のいい時間を提供してくれる不二に特別な想いを抱くのにはあまり時間はかからなかったと思う。
最初の頃は、それでもこうして一緒に過ごせるなら良い、そう思っていたから今まで通り不二に連絡をし続けていた。
決して悟られないように、この関係が終わることの無いように、芽生えたばかりの想いを胸の奥に秘めて今まで通りの振る舞いを心掛けた。
それでも一緒にいれば自然と気持ちが高まるし、失敗したくないと思ってしまうし、意識すればするほど今まで通りにはいかなくなるのを私は感じていた。

「ねえ、なんで僕に連絡しなくなったの?」

いつもより少し低い声で静かに聞いてくる。
右手の頬杖はそのままで、左手でグラスを持ち口元へ運んでいく姿が色っぽく映る。

「同じの下さい。」
空になったグラスをマスターに差し出し、再びこちらへ視線を向けてくる。
「忙しかったって、さっき不二も自分で言ってたでしょ。」
そう笑いながら私もドリンクを飲んで、氷で一層薄まったウイスキーと一緒に自分の気持ちも流し込む。

「ふーん。まあ、そういうことにしておいてあげるよ」
新しく提供されたグラスを受け取りながら、含みを持って笑う不二を見ていると私の考えなんて全て見透かされているんじゃないかと思ってしまう。

連絡をしなくなったらどうなるのか気になったのだ。
いつも私ばかりが声を掛けていたから、それが止めば不二から声を掛けてもらえるのか気になってしまった。
もし声が掛かれば少しくらいは不二も私との時間を求めてくれているということだし、声が掛からなければ私の一方的な感情でしかないということがはっきりする。

そして気が付けば6か月が経過していた。
ただそれだけのこと。

「不二は?最近どうしてたの?」
彼は一瞬考えるようなそぶりを見せて、すぐに悪戯に笑って見せた。
「僕?僕は誰かさんが付き合ってくれなくなったおかげで随分のんびりしてたよ」

不二が5本目になる煙草を手に取り、カウンター上の箱からマッチを取り出し軽く擦る。
シュッと擦る音のすぐ後に、ボッと火が灯る音が続く。
俯きがちに煙草をくわえた不二が火のついたマッチをそっと先端に近づけると、薄暗い照明ではっきり見えなかった彼の輪郭が一瞬だけ明るく照らされる。
その灯りさえも、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ不二の煙草にあっという間に吸い取られてしまって、仄かな朱と灰のみが彼の指先に残る。
一息つくようにそっと天井に向かって煙を吐き出した不二の視線は遠くを見つめているように見える。
「だから僕もこうして外でお酒を飲むのは久しぶりだな」


「ねえ」
そう不二に声を掛ければ、上を向いて煙を吐き出していた彼が視線だけこちらに向けてくる。
上から射抜かれるような視線に思わず心臓が捕まれたような感覚に陥る。
「なに?」
彼の指先で静かに燃えているものを指す。
「それ、一口頂戴よ」

言うが早いか私は煙草を持つ不二の右手に自分の左手をそっと重ねた。

不二の手だったら私の手でも包み込めるんじゃないかと思っていたけれど、思ったよりも大きくてがっしりしている手は私が重ねても到底収まりきらなかった。
わざとらしく自分の右手を彼の左腿に置いて支えにしていたから、不二との距離がぐっと近くなって、煙草の煙に混じる彼の香りが鼻腔を蕩かす。

彼の手を自分の左手ごと口元まで引き寄せ、そっと唇に触れさせてじっくり息を吸い込む。
一口を味わうように目を閉じて肺いっぱいに空気を取り込めば、左腿に置いた右手に不意に温もりが与えられて、私の手はいとも簡単に不二の左手に覆われてしまう。
彼の方から顔を背けて吸い込んだ空気をすべて吐き出せば、私が包み切れなかった彼の右手は私から離れていく。久しぶりの煙草は特別な味がして、思わず笑みが浮かんでしまうのを抑えきれない。

急に手持無沙汰になった左手がなんだか照れ臭くてドリンクに手を伸ばせば、冷たい液体で口内に残る煙草の味が掻き消されていく。
そっと不二の方を伺えば、涼しい顔をして煙を吸っている。その姿すら絵になるんだから、思わず魅入ってしまう。
こちらを見もせずにふっと笑った不二の左手に力が籠められ、指が絡ませられていく。

こんなことされたら期待しちゃうから、どうせならその煙草の火を消すみたいに私の中にあるこの熱も揉み消してくれれば良いのに。







▽火のない所に煙は立たぬ。
お酒の好みも食べ物の好みも、二人の嗜好が合っていたのは偶然じゃなくて、不二が女の子に合わせてたんだよ。でも決して無理はせず、あくまでも自分が楽しめる範囲で。
不二はきっと飲みやすいジャパニーズウイスキーよりも、スコッチのアイラみたいなクセの強いお酒が好きだと思う。



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