六話
お昼を少し過ぎた頃、学校の宿題を片付けるために部屋で勉強をしていた時、ふと別の課題を思い出してキッチンにいるママのところへ降りて行った。
ママはケーキの支度をしてくれているようで、何やら忙しそうだ。
今日は私の誕生日だから。
ママは毎年私の誕生日にはママのオリジナルケーキを作ってくれる。今年はどんなケーキだろう。
「そうだママ、学校の宿題で赤ちゃんの時の写真持って来てって言われたんだけど、どこにあるー?」
「ママとパパの寝室の押し入れの中にあるよ。アルバムが入ってるボックスがあるから、見てごらん。ママ今ちょと手離せなくて。ごめんね」
「わかったー」
寝室の押し入れを開けるとそのボックスはすぐ上の棚に置かれていた。
椅子を運んできて上を覗いて見るとそれぞれの背表紙にタイトルと年月日がきっちりと貼られて整理されている。
きっとこういうのはパパの仕事に違いない。
パパは几帳面でちょっと神経質なところがあるから。
私が生まれた年が書かれたシールの貼られたアルバムを手に取ってから椅子を降りて押し入れの扉を閉めようとした時、一番端に置かれたひと際重厚なアルバムが目に飛び込んできた。
「青春学園中等部 卒業記念アルバム…」
え?青春学園中等部?さっきテレビでやってた…。
パパのいた学校は神奈川だし。ママってば、青春学園の出身なの?
さっき聞いた時は何も言わなかったのに。
なんで隠すんだろう。そんなの不自然だよ。
何か隠さなきゃいけないことでもあるんじゃないの。
ママってばいつも自分の昔のことは教えてくれないんだもん。
それには何か理由があるに違いない。そしてこのアルバムを見ればママの秘密が分かるかもしれない。
ママの秘密を暴くなんて悪い子だけど、でも本当のことを教えてくれないママが悪いんだよ。
それに私はお昼のママの態度に腹を立てているんだ。
こっちはやるべきことはやってるってのに。
そもそもこの写真探しだって元々は宿題を進めるための作業だったんだから。失礼しちゃう。
私は探偵さながら気分でママの卒業アルバムをケースから取り出した。
パラパラとめくるだけで10クラス以上あるほどのマンモス校らしい。
「これ全部見るの…」
ママが全然教えてくれないママの過去を知る数少ないチャンスだと思って、気合いを入れ直してアルバムに向き合う。
…でもそんな気合いは不要だったらしい。
3年1組のページ、つまり一番最初のページにママはいた。
予想外に早く見つかったことに少し拍子抜けしつつも、証明写真が並ぶページを捲り、クラスの日常が写されたページの写真を1枚1枚慎重に見つめる。
今よりもずっと幼い表情をしたママの姿を見逃さないように。じっくりと、時間をかけてそこに映り込んだ人物の顔を確認していく。
沢山あるスナップの中からママだけを見つけるのは中々難しい作業の末、ついに1枚だけママが写った写真を見つけた。
「これって…」
あどけなさの残るママとその隣に並んでいるのは、先程テレビに映っていた人。
「知らないって言ってたじゃん…」
何か行事の時だろうか。体育着を来たママと手塚さんは二人並んで座っていて、ママは両手を大きく広げて笑いながらポーズをとっているのに対し、手塚さんは後ろに両手をつきながらじっとカメラを見据えている。
こんなに大きく口を開けて笑っているママ、初めて見た。
「なんか、ママ。楽しそう」
そのあとアルバム全体を眺めてみても他に手塚さんが写っている写真はなかったから、それ以上ママと手塚さんの繋がりを示すようなものは見つけることができなかったけど、でもこれでママは手塚さんのことを知っていたというのは確実になった。
どうしてママは彼を知らないなんて言ったんだろう。
これ以上アルバムを眺めていても埒はあかない。
とりあえず今日はここまでにして自室に戻ろうと思った時、アルバムが入っていたケースに一つ封筒が入っていることに気が付いた。
白い封筒の端は少し折れているけれど、封もされて綺麗なまま。
表の宛先に書かれているのはママの旧姓。
差出人は「手塚 国光」
消印は私が生まれるずっと前。ママの卒業アルバムに書かれた年と同じ年だった。
「やっぱり知ってるんじゃん…」
手紙の封は閉じられているように見えたけれど、軽く剥がそうとしてみるとそれはすぐにペリッと捲れて開いた。
「もう読んでる…」
のりしろの部分がしわになって、少しだけ剥がれた端の部分が封の部分に張り付いている。
丁度今、ドイツの空港に着きました。20分後にここを出発するバスに乗って寮へと向かう予定です。
寮へは空港から2時間ほどだそうです。こちらは日本よりも涼しく感じます。もしここに来ることがあれば、その時は日本よりも暖かい服装で来る方が良いでしょう。これから先、暫くは忙しくなると思いますが、また書きます。
P.S. 一先ず空港で見つけたポストカードを同封します
封筒の中に入っていた一枚のポストカードを取り出して見てみた。
有名なパティスリーのものなのか、お店のブランドのようなものが中央に筆記体で印字されている。
背景はお洒落なアップルパイのようなスイーツが深い青色のお皿に乗せられている。
「なんでこんなデザインのポストカード…」
普通綺麗な街並みとか、お城とかそういうの選ぶんじゃないの…。
手塚さんの趣味に首をかしげなら何気なく裏を捲ると、文字でびっしり埋められている。
手塚へ。手紙ありがとう、あなたからの便りが届いて嬉しかったです。返事を書くのが遅くなってしまってごめんなさい。ドイツでの生活はどうでしょう。こちらは相変わらずです。高校に上がったと言っても、周りはほとんど中学からの持ち上がりなので特に変わりはありません。1つだけ変わったことと言えば、あなたがいないことでしょうか。自分でも驚くほどあなたのいない学校生活が詰まらないものに感じます。早く大人になってドイツへ行ってみたいです。体に気を付けて。練習頑張ってください。
P.S. いつか本物を食べれる日を楽しみにしています。
「なに…これ」
少し幼さの残る文字。だけどこれは紛れもなくママが書いた手紙だ。
消印も何もないそのポストカードはきっと投函されることなく何年もの間ここに眠っていたんだと思う。
ママはどうしてこの手紙を手塚さんに出さなかったんだろう。
あなたがいないと詰まらない…。
普段自分の気持ちを滅多に口に出さないママがこんなこと書くなんて。
色々な情報が一気に入りすぎて全然頭が整理できない。
知っているはずの人のことを知らないと言ったり、共通点だったはずの学校についてあまり話したがらなかったり、もらった手紙を捨てずに丁寧にとっておいたりして。それってまるで…。
「ただいまーー!!」
玄関から聞こえてきたパパの声。
今日は私の誕生日だから少し早く帰ってきてくれる約束だった。
帰宅したパパを出迎えに玄関へ向かうために手紙をアルバムケースにすっと差し込んで、急いで寝室を元通りの状態に戻す。
「パパ!!おかえり」
「ただいま。ママは?」
「もう、いっつもママのことばっか。ママは今ケーキの準備」
「そっか。ケーキ楽しみだね」
「うん!ねえ、パパ、プレゼントは?」
「もちろん用意してるよ。でもそれは後のお楽しみ。先にママの手伝いをしよう?」
「はーい」
玄関から寝室へ一度向かって服を着替えに行ったパパの後ろ姿に問いかけてみた。
「パパはママと付き合う前に好きな人っていた?」
「突然どうしたの?いつも言ってるだろ?パパの人生にはママしかいなかったよ」
ネクタイをほどきながらそう答えるパパの顔は自信に満ちた表情で、ママとのこれまでの歩みを誇りに思っているみたいだ。
「へえ?」
「ママはさ、大学の頃なんかほんっとよくモテてたんだよ。今だってあんなに綺麗だろ?でもさ、ママってば男にはからっきし興味なくって。物凄くクールだったんだよ。何となく想像できるだろう?でもそれがまた男たちを魅了してやまなくてね」
「あーはいはい、うちのママは自慢のママだもんねー」
「ママだって、パパと付き合う前に恋人はいなかったんだ」
「え、ママがそう言ったの?」
あの手紙の人は?あんなやり取りするなんて、そんなの恋人同士に決まってる。
もしパパがママの過去の恋人を知らないなら、それはママがパパに言わずにいるだけなんじゃないか。
「ママに直接聞いたことはないけど、ママの高校生の頃を知ってる人がそう言ってたよ」
「そうなんだ」
つまりパパでさえ、あの手紙の主のことは知らないんだ。
私もパパも知らないママが存在すると思うと何故だか急に泣きたい気持ちになってきた。
どうして言ってくれないの。あんなの大昔のことだって言って笑い話にしてくれたらいいのに。
アルバムの中で無邪気に笑うママと、はしゃいでいる私やパパを少し離れたところで見守りながらいつもニコニコしているママは同一人物のはずなのに雰囲気が全然違った。
あの写真ではまるで手塚さんがママを見守って、逆にママが力いっぱいはしゃいでいるようだったから。
両手を伸ばしてカメラにポーズを決めている体育着姿のママが目の裏に焼き付いて離れない。
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