幸村くんに背を向け歩み出しながら、左手首に光る腕時計の針を辿りため息を堪えた。思ったより時間が押している。城の廊下を急ぐのは紳士的ではないと理解しつつも、背に腹は代えられない。マダムを待たせるのは失礼にあたる上、面倒にもなりかねないのだ。
数歩、普通に足を進めてから少し歩みを速めた。…つもりが軽く駆けてしまいあっという間に廊下の角を曲がってからハッとしてスピードを落とした。それと同時に現れた人の気配に一瞬ばつが悪く思ったものの、その人物が誰かわかれば色んな意味で力が抜けた。


「お前さんも中々の詐欺師ぶりじゃのう」

「…やめてください。人聞きの悪い」

「幸村もすっかり騙されちょる」

「騙すと言うほどの事はしてないでしょう。だいたい誰の頼みですか、仁王くん」

「すまんすまん」


感謝しとるー。と、隣に並んだ見知らぬ顔の兵士が放つ棒読みの礼に息を吐いた。正体は言わずもがな、今日の舞踏会を影で引っ掻き回している男だ。

修繕に忙しい舞踏会の最中、仁王くんの頼みを聞くのは、今日はこれで2度目だった。
今やり遂げた幸村くんへの荷届けと、ある貴族の数分の足止めだ。長らく国外で暮らしていた貴族だったが、衣服の布を仕入れ大規模な商いをしている人物だったので面識はあった。「お久し振りです」と声をかければ数分の足止めは容易で、その間仁王くんはその貴族の外見を使って王の所へ行っていたらしい。一国の主にペテンを仕掛けにいく肝の据わりようは、国の諜報員をやめた今でも変わらずだ。


「足止めを私に頼むのはわかりますが、幸村くんへは私でなくても良かったのでは?」

「俺が今幸村に会ったら質問攻めにされるじゃろ。そんな暇ないぜよ。…それに」

「?」

「間接的な方が怪しまれん。そのクッション材がやぎゅー」

「クッション材にしないで下さいよ全く…」


騙す気は更々なかった。しかしクッション材になるくらいの信頼を得ているのに、殆ど事情を“知らない振り”で幸村くんに関わってしまったのが少し申し訳ない。

いや、確かに仁王くんのしたい事全てを知っている訳ではないし、彼女“本人”とは面識がないのも、彼女のドレスを直したのも確かだ。
ただドレスが緩んできているかも、などという不安要素は全くなかった。彼に言われて、適当な理由を添えただけだから。

何を伝えたかったかは私も知らないけれど、「あれで伝わるんですか?」と問いかければ、ニタリと笑う仁王くん。当然だと言わんばかりの笑みには苦笑が落ちた。


「伝わる。幸村の事じゃ、問題ないぜよ」

「…花の茎に結んだあのスカーフは返して頂けるんですよね?店の商品ですよ」

「わからん」


…だと思いました。えぇ、最初から薄々予想はしていました。
私の店の品は、どうやら仁王くんにとっては私物同然で、仕事に必要だなんだと持っていってしまう。しかも事後報告が殆どで、今日も店にあった女性物の靴が一足なくなっている事に気が付いたのは城へ出向く直前の事だ。

今日は幸村くんのお相手が決まる舞踏会だと聞いていた。舞踏会だからいつもの様に城での仕事がある。そのための支度を済ませ、最後に次期王妃となる方へのプレゼントの靴を鞄にしまおうとした時、それがないことに気が付いたのだ。

犯人に予想はついたものの、あまり探し回ってる時間はなかった。しかし今日渡そうと思っていた物だ、それに今追いかけなくて戻って来なかったら。そう考えたら仁王くんを探さない訳にはいかなった。
彼が行きそうな場所を訪ね、目撃情報を辿り行き着いた先は、森の手前にある豪商の屋敷だった。久し振りに訪れた屋敷の前に、1人の少女と仁王くん。聞こえた仁王くんの言葉が女性に対して随分と非礼で、思わず割り入ってしまったのが運のつき、とでも言おうか。今回の件の大きな歯車の一部に組み込まれる事となった。…私が組み込める歯車であったと言うことは、誰のせいでもないけれど。
そのまま仁王くんに流されるように少女の可憐なドレスを手直しして、異議を唱える隙もなく彼女の足にはめられる次期王妃への贈り物が城行きであろう馬車に連れて行かれるのを見送るしか出来なかった。


今回は何を考えているのだろうか。ちらりと横を歩く兵士を窺い見る。私の視線に気付いていながら口を開く気配がないあたり、今は話すつもりがないらしい。
今更そんな彼に焦れたりする訳もなく、ただ一言、店ために言っておくことがあるくらいだ。


「スカーフの代金、請求しますからね」

「ケチじゃの」

「盗人猛々しいとはあなたのことでしたか」

「そう怒りなさんな」


他人事のように笑いながら、ひらりと片手を振った仁王くんは兵士専用の帽子を目深に被り直し、廊下の突き当たりを私とは逆の方向へと曲がる。「本番はこれからじゃ」、愉快そうな小さな呟きが聞こえたけれど、彼の方を振り返ることはせず、自分の控室へ戻った。

中で待つご婦人に「お待たせしました」と頭を軽く下げながら、布を手に取って仕事に取りかかる。なんだか疲れたと感じる要因、今日これまでの流れを脳内で思い浮かべながら。


結局、仕事の予定時間に遅刻と言う失態を犯した理由が理由だけにそれを述べれず、真田くんから貰い過ぎた「たるんどる」の言葉を仁王くんに渡してやりたいくらいだ。柳くんが割って入ってくれたお陰で真田くんから解放され、その後はいつも通りに仕事をこなしていた、はずたったのだが。

事の発端はメイドを経由して届いた手紙。真田副部隊長からだと手渡されたそれは、その名を謳い軽はずみな開封を禁じた仁王くんからの依頼書だった。ある貴族を、指定された時間、王座から見えぬ場で数分引き留めてくれとの事。理由も目的も、何も明記されていない依頼文を見詰め、逡巡せざるを得ない。
彼の願いを請け負ってしまえば何か問題が起きてしまうのではないか、逆に拒む事で何か不都合が起きてしまうのではないか。その狭間に揺れた結果、指定時刻の10分前に私は大きく息を吐いて部屋を出たのだ。きっと、この結果は彼の思い通りなんだろうと思いつつも。


そのひとつ目の頼みを終え控え室へ戻った直後、見計らったように依頼者が顔を出した。…まぁ、見知らぬ風貌の兵士だったが。扉を開けるなり「助かったぜよ」と言われれば、その顔が仮面であることに気付かないほど短い付き合いでもない。今日の目的を問いただそうと私が口を開く前に、キャメル色の布に包まれた一枝の黄色い花が彼から差し出された。見覚えのあるスカーフが括られているそれを、幸村くんに渡してくれと言うのだ。そしてくるりと向きを変え、来たばかりのこの部屋を出ようとする。仁王くん、と呼び掛けて返ってきた言葉と言えば、「俺の頼み事だけでお前さんが動くと共犯じゃと怪しまれて受け取ってもらえんかもしれんから、適当にお前さん個人の用事を付け足して、の」と言う要望だけだった。

そこで再び逡巡を強いられた訳だが、答えはきっと決まっていた。
仁王くんが動いている理由は、ひょんなことからドレスを直し、靴を貸し出すことになったあの少女だろうことだけは察しが付いている。彼女の為になるなら、協力を惜しむ理由はない。今は亡き、常連客の娘。彼女への認識はその程度だったが、常連客だった彼女の母親には店の発展に関することだけでも色々と恩があった。その恩を返す間もなく還らぬ人となった今でも、何か恩返しが出来るのならば。

逡巡は一時的な理性でしかない。恩人が愛してやまなかった一人娘の彼女の手助けは、きっと喜んでくれるだろうから。そう思えば仁王くんの不透明な依頼にも乗っかってしまうのだ。私が恩人だと思っているその人は、仁王くんにとってもそうなのだから。


「仁王とグルか」


幸村君への荷届けを終え、控室に戻って仕事も終えて。もう少しで王子憂鬱の舞踏会も終幕となる時間。残すは王族によるラストダンスだ。この行事だけは裏方の私でも、ダンスホールへ招集される。そろそろ頃合いかという時間より気持ち早めにダンスホールへ向かい、扉を潜った時だった。
横から投げられた声、断定とも取れるその口調には、微かに疑問符も込められていた。


「…いいえ」


関係があるかと問われれば、それは否定出来ない。しかし共謀者ではないと誓える。かなり助力はしただろう自覚はあるが、それでも駒に過ぎない。屁理屈とも言えるが、今はこの答えが最適だった。仁王くんの意図が掴めていないとは言え、グルかと問われるくらいには柳くんに迷惑を掛けているだろうことはわかった。頷くのは賢くないと、判断しての返答だ。


「彼の頼みはいくつか聞きましたが、その目的は知りません 。その頼みも、問題がないと判断した事しか受けていませんよ」

「…そうか」


引き留めて悪かった。その言葉に会釈を返し、ダンスホールの奥、開けたバルコニーを目指す。あの場所は外と繋がっていて息苦しさも少ない。そう考えて人並みを縫って進んでいたのだ、けれど。


「申し訳ありませんが、ラストダンスが始まるまではこれより先への立ち入りをご遠慮……ってなんだよぃ。柳生かよ」

「丸井くん。何か問題でも…」

「どうせ仁王とグルだろぃ?通ってもいいぜ。けどあんま人目につくなよ」


丁寧に声掛けて損した、と言わんばかりに投げやりな声調で言葉を残し、直ぐに立ち去ってしまう赤い後ろ姿。丸井くんの考えるグルとは少し違うだろうが、許可を得たことに違いはない。人気の薄まったバルコニーの方向へと足を進めることにした。


「ふふ、これで止めたらいいんじゃないかな」

「…?綺麗ね、ヘアクリップ?」

「あぁ、ドレスが緩んできていたら使って、って。柳生から渡されたんだけど、見たところ必要性はなさそうだよね」

「そうね。別に緩んでないし、緩みそうにもないけれど…」


ダンスホールの煌めきが伸びた先には2つの人影が見えた。1つは後ろ姿でもわかる、真田くん。もう1つは、と聞こえてきた男女の会話に意味もなくつい柱に身を寄せながら声の主を視線で辿る。馴染みのある声は、こちらに背を向けている幸村くんのもの。もう1つはあの彼女のものだろうと思いながらも存在が確認出来なかったが、それは単に幸村くんと重なっていたからだと気付いた。

なぜ彼女が欄干に座っているのかと、なぜ幸村くんとの距離が物理的に妙に近いのかとか、なぜ真田くんが何とも言えない空気を纏いながら黙っているのかとか。
色々と理解の及ばない状況に割り込むことはせず、盗み見るに留めているのは、私とは反対側の柱の影に同じ様に身を隠している人物を見つけたからだ。仁王くん、などと呼び掛けることは勿論しないが、視線を投げ掛ければ彼は私に気が付いた。先程とは打って変わって、招待客に溶け込むようなタキシードに目元を隠すような黒髪。それでも“彼”が仁王くんだとわかるのは簡単な話、許可がないと立ち入れない区域にいるからだ。私と目を合わせるなりニヤリと歪められた口唇、そこへ立てられる長い人差し指は悪戯に溢れた口元を誇張する。

この後、幸村くん達に降り掛かるであろう“何か”を思うと、妙に心がさざめく。訳も聞かず手を貸してしまった結果が大きな問題を生まずに、彼女の助力となることを心で祈りながら柱からそっと離れた。



仕立屋のお膳立て
ラストダンスを報せるファンファーレが響く直前、柱から動いた人影がわざとらしく靴を鳴らしてバルコニーとダンスホールの境に立った。
「なんと珍しい事か!」
仁王くんだと思うと違和感しかない。しかし今の彼は招待客の男。大きく叫ばれた声はダンスホールからの注目を集め、ファンファーレの開始を塞き止めた。
「本日のラストダンスは王子が踊ってくださるそうだ」
立入禁止なんて忘れ、どっとバルコニーの方向へと人が動き出す。どよめきだす招待客に紛れ消えて行く後ろ姿が、今日私が最後に見た仁王くんの姿だった。


The present time, 23:52

 

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