The present time, 23:34



「王との話はどう……何か荷物が増えているな」

「うん、ちょっとね。それより面倒な事になった」


廊下からダンスホールの入口を覗き込むように顔を出せば、すぐに蓮二は俺に気が付いた。どうした、と声を落とした蓮二は、俺が左手に抱えている細長い包みを捉え訝しげに眉を顰める。招待客の目に付きにくいように扉の影に隠れたまま「ある紳士に会ったよ」と言ってみれば、その人物は簡単に伝わった。その証拠に蓮二の訝しさは深まる一方だ。


「…それは本人か?」

「あぁ、多分ね。で、父さんの方なんだけど、」

「上手くダンスから逃れられなかった、とお前は言う」

「…理由まで予測出来てるかい」

「機嫌が良くて切り出せなかった、か?期待を裏切って、今まで何をしていたんだと色々詰め寄られるだろう」

「それだけならまだ良かったよ」


はぁ、と落ちるため息そのままに、肩を竦めて見せる。軽く首を傾げた蓮二に、キャメル色の布を捲って仁王からだと言う花を見せてみれば、訝しげな様は再び深まった。


「…オンシジュームか」


呟かれたその花の名前に頷けば、思案するように一度閉じられた蓮二の口は再び開かれる。


「中南米を中心に分布する、ラン科の大属。洋ランとしても広く親しまれ、また切り花などとしても流通する。複数花、往々に多数の花を総状、円錐状につけ大きく広がった唇弁が花の大部分を占め、属内の花色は黄色がもっとも多い」

「そうそう。ふふ、花にまで詳しいとは思わなかったよ」

「王妃のお気に入り、城によく届く花となれば多少の知識も必要だろう。だがその花が何だと言うんだ?」

「仁王からの伝言。いや、要求かな。そのせいでダンスから逃れられそうにない」

「…?」

「母さんが気に入っている理由までは、知らないみたいだね」

「…そう言えば、聞いた事がなかったな。単に見た目かと思っていたが」

「それもある。でも一番は違うよ。…父さんが書かせたあの曲の名前、知ってるだろ?」

「あぁ、勿論知っているが…」


それがなんだ、と言いたげな様子からして蓮二はきっと知らないんだろう。

母さんと踊るために父さんが書かせた円舞曲、父さん達は勿論のこと俺にとってもお気に入りの…そうだ、灰加が綺麗だと言っていたあの曲は、曲名を“オンシジューム”と言う。勿論それは蓮二だって、城の常勤者であれば誰だって知っている。しかしその由来を知っている者は案外少なく、けれども王妃お気に入りの花の名前を王が曲名にしたと思い込まれているせいで今更誰も由来を訊ねない。そして今更 、王や王妃も話題にあげない。
当人達にとっては、当たり前の事だからだ。王妃の好きな花の名をとって“オンシジューム”という曲名にしたのではなく、王が王妃と踊るために書かせた曲名に“オンシジューム”と名付けたから王妃はその花に特別な愛着を持つようになった、という事が。これが案外知られていない王と王妃の馴れ初めを内包した由来だった。


「母さんが城に侵入して、当時王子だった父さんになんて声を掛けたか知ってるだろう?」

「『私と踊って』、だろう。ふ、有名な話だ。招待状を持たぬ少女が城へ入り込み兵士に追われていながらも王子にダンスを申し込み、今や立派な王妃となられた、と。」

「ふふ、そう。それがあの曲、“オンシジューム”の由来だよ。…曲名が先なんだ。母さんが気に入ったのは、花そのものからじゃない」

「それは初耳だな。いや、それ以前に由来の事は疑問にも思わなかったが…」

「だいたい皆そうだよ。王女も知らないんだから」


そう、妹さえも知らないし、俺も疑問に思い訊ねなければ知ることはなかっただろう。王にも王妃にも、隠す意図はないらしい。けれど自発的に言い触らすつもりもないそうだ。その理由を聞けば、「ふたりの秘密みたいでいいでしょ」と年甲斐もない言葉が返ってきて幼心にも聞かなければよかったと密かに思ったのは、もうどれくらい前だろうか。

俺が疑問に思ったのは、“オンシジューム”という曲名に込められた意味に気付いた時だった。ちょうどその頃は、花を育て鑑賞する事に加え、歴史や背景、花を贈る意味にも興味を持ち始めたあたりで、そうなれば手近な物から調べようと思うのは安易でありながら自然的なことだった。花の名を冠した曲名があるとなれば、調べずにはいられなくて。


「だが『私と踊って』が“オンシジューム”の由来とはどういう事だ?」

「花には意味が込めれるだろう?」

「…花言葉か?」

「ふふ、正解」


花言葉に意味を潜めて、花の名前を曲名につける。一見ベタにも思えるけど、王が王妃と踊るために、言わば王から王妃へ贈った曲に含ませたのは、一番最初に王妃が王に掛けた言葉、なんて少しややこしい。


「『私と踊って』、それがオンシジュームの花言葉なんだよ」


ダンス好きな王妃へ最初のプレゼントが、この“オンシジューム”と名付けられた円舞曲だったという。「ふたりの秘密みたいでいいでしょ」と年甲斐もなく言う人だから、曲そのもの以外にも曲名の由来である花にまで愛着を持つのも自然な事だったようだ。


「それが仁王からの伝言、か」

「ふふ、男にダンスを誘われてもね」

「お前は実際どういう意味で受け取っているんだ」


冗談を混ぜて笑ってみたら、見事にスルーされてしまったあたり蓮二も仁王が謎で焦れている様子。肩を竦めてから、「父さんに俺がラストダンスを踊るって吹き込んでこの花を柳生に届けさせてた。…まるで彼女と踊れって言われてるみたいだよ」と息を吐けば、訝しさを取り払った蓮二はしれっとした口調で可笑しな事を口走る。


「ならば踊ってみたらどうだ」

「は」

「王にもラストダンスは精市が務めると思われたままなんだろう?いっその事踊るだけ踊って、その後に逃がすとか、」

「いや無理だよ。彼女はこの舞踏会に来てる事が身内にバレたくないんだ。その身内も舞踏会に来てる。ダンスホールのど真ん中で踊った挙げ句、こっそり逃がすんなんてどう考えても難しいし、顔を見られたくないんだろうからそもそも彼女に拒否されるだろ」

「顔なら隠せばいいだろう」

「いやだから、それだけの問題でもないんだけど」

「そうか?」


そうだよ。そうか?…そうだよ。
なんだか蓮二と噛み合わなくなってきた。けれどこれ以上、同じやり取りを繰り返していても仕方がない。いい加減時間が気になる、今何時だろう。頭の隅で残りの時間を気にしながら、とにかく彼女がそれを望まないから。と会話を閉じた。


「彼女とは踊れない。…もう行くよ、上手く城から出られるように真田に頼まないといけないし」

「だがラストダンスはどうするんだ?」

「あぁ、それさ、誰か適当に口裏合わせてくれそうな人考えておいてくれるかい?“今回っきりのダンスの相手”になってくれそうな人。王妃の座が欲しくてしょうがないようなのはやめてね、面倒だから」

「…お前の要求が一番面倒だよ」

「ふふ、ごめん。自覚はしてる」


じゃあ頼んだよ、と残して灰加達の所へ向かおうと踵を返してから、もう1つ用があるんだったと蓮二を振り返った。まだ何かあるのかと言いたげな様子の側近に思わず笑ってしまった。


「…何を笑っているんだ」

「ふふっ、いやなんでも。そんなに身構えるなよ、絆創膏が欲しいだけなんだ」


蓮二なら携帯しているはずだと踏んで、所持の有無を確認する前に手を差し出してみる。案の定、懐からするりと出てきた絆創膏、と懐中時計。求めたそれを俺の掌に置きながら、蓮二は文字盤に顔を向けていた。さっきから廊下のどこかにあるはずの柱時計を探していたのはお見通しのようだ。

絆創膏と呟かれた時間に礼を言って、今度こそ灰加と真田の元へ向かった。



王妃が愛すカナリーカラー
まさかとは思うけど真田が抱え降ろしてたらどうしようなんて不要な心配をするくらいには、彼女には城に留まっていて欲しかった。…王に協力を煽げなかった今では、もう意味はないけれど。強いて言えば、さっき蔑ろにした別れを告げる事が最後の目的になるだろう。仁王からのオンシジュームと、一緒に。
叶わない願いを含んだこの花は、彼女に渡してしまいたい。





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