The present time,23:26



「仁王くんがお連れした方と一緒にいるとお聞きして、」

「仁王にかい?」

「はい。それで、仕事が一段落ついたので幸村くんを探していたんです。彼女のドレスは私が合うように手直ししたんですが…あくまで簡易的にだったので時間が経って弛んできていないか心配でして」


そういえば、仁王にもらったドレスだと言っていたっけ。仁王も器用だけど服飾は仕事柄、柳生の方が上だろうから調整を任せたのか。ならば元々、柳生には個人的に彼女と接点があったのだろうか。


「柳生は彼女のこと、何か知っているのかい?」

「いえ、街で何度かお見掛けした事がある程度です。話したことはありませんでした」


随分と、変わった答えだと思った。街で見掛けただけの人間を覚えていられるだろうか。記憶に残るくらい重ねて見掛けたということだろうか、と少し怪訝に思っていればそれを察したように、「何度か私の店を外から覗いていたので覚えているんです」と柳生は微笑んで見せた。


「若い女性が紳士服店を覗くなんて不思議でしょう?上流層以外は女性ものを扱っていると知りませんから」

「そうだね。何してたのかな…」

「…これは私の推測ですが、見ていたのは店内ではなく…ディスプレイの方だと思います」

「それって、…」


柳生の店、大通りに面した大きな窓。ディスプレイと称してそこに飾ってあったのは一点物の品が多く集まる市場で見つけたと言う、透けいるような水色が印象的な女性物の靴。
花嫁選びの意図を持った舞踏会が終わった頃、俺へと…いや、俺と共にこれからを歩んでくれるだろうその人に贈ってくれるのだと言うその靴を、彼女が見ていたからといってどうという訳ではないだろう。頭ではそう思うのに、高揚感にも似た言い様のない感覚が胸中にじわりと拡がった。
心に弾みかけるような感覚を抑え込む俺をよそに、柳生は緩く笑みを浮かべる。


「覚えていらっしゃいますか?」

「ふふ、勿論。俺にくれるんだろう?」

「えぇ、正確にはお妃となる方に、ですが。…今は盗られているので、返ってきたら差し上げます」

「盗られてる?…そのままでも構わないよ、当分結婚はしないと思うし」

「好い方が見つからなかったのですか?」

「それとこれとは、別かな」


気にしないで。と軽く付け足せば、不思議そうに首を傾げた柳生は小さく頷きながらその話題への空気を消した。この瞬時に空気を切り替えられる所もまた仁王と似ている。切り替えた先の話題は、本来の用事にすり替わった。


「では、彼女に伝えて頂けますか?ドレスがもし弛んでいるようでしたこのクリップを使って下さいと。」


左手に抱えている細長いキャメル色の包みに止めていた髪留めを、柳生は外しながらそう言った。
そうして差し出されて受け取ったのは、一見、普通のヘアクリップだった。
シルバーのストーンが光る土台に、インクブルーの天鵞絨地のリボンがついたそれは、壁に掛かるランプの光を受けて控えめに輝いている。この深い色もまた、彼女には似合いそうだ。そんな事を思えば無意識的に頬が緩みかかっていることに気付き、それを隠すように「伝えておくよ」と頷きながら優しくポケットへとしまった。


「でも、こんな物も持っているんだね」

「仕事道具のひとつですよ。弛んだ、破れた等の応急処置用です」

「これがかい?」

「えぇ、安全ピン等と違い装飾の一部にもなってくれるので見た目には修繕箇所だとわかりませんが、普通の髪留めよりもバネが強いので外れ難いんですよ」

「なるほど、“ジェントルマン特注の髪留め型クリップ”か」

「そうなりますね。表向きは紳士服店なので発注する際、業者には不信がられますが」


そう笑った柳生は、さすが顧客満足度の高い店のオーナーだ。応急処置としての機能は落とさず、しかし見目にも美しく。その細やかな配慮と確かな腕、上流層に受ける訳だ。

舞踏会中、給仕に走る使用人や警備に目を光らせる兵士にも劣らぬほど、仕立屋の柳生は忙しい。別に新な服を仕立てている訳ではない。招待客がその身を包むタキシードやドレスの修繕に、追われているのだ。

体裁や外聞を気にする輩は、当然身なりにも気を使うし、美を競う女性ならなおのこと。修繕の内容は、スパンコールが取れてしまった、などの……俺からしたら舞踏会中は我慢して家に戻ってから直せと言いたくなるような些細な不備から、スカートが裂けてしまった、などの大惨事まで様々らしい。他人の宝石の、指輪など装飾品の爪に引っ掛かり解れてしまう事なら、俺にも何度か経験がある。その程度は人が溢れる舞踏会には頻繁におこるから柳生は針と糸が手放せないのだ。恰幅のいい男の貴族に見られがちなのは、ボタンが飛んだという情けない例が多く、女性には故意にスカートを裂かれたと思われるような物騒な例がよくあると、柳生が前に言っていた。洋裁の他に医学の知識も有する柳生は、スカートを裂かれた際に足まで切りつけられた女性の服、体共々、担当してくれている。
舞踏会開始前は王妃や王女のドレスの最終確認、舞踏会最中の名目は王妃、王女の為に、念のため控えているだけ。…のはずなのだけど、実際は招待客の修繕に引っ張りだこ状態だ。

それを証明するかのように、長い廊下をひとりのメイドがこちらへ歩いてきた。「お話し中失礼致します」と丁寧に頭を下げ、手に何枚かの布を提げた彼女は柳生へと向き直った。


「柳生様、先程のご婦人が、やはりこちらの布で繕い直して欲しいと仰られて…」

「…だと思いました。そちらの色の方が合うと、私は最初に申し上げたのですがね」

「気が変った、と…。なんと、お伝え致しましょう?」

「…ご要望とあらば仕方ありませんね。今は少し手も空いているので、可能ですとお伝え下さい。お時間を頂くことになるので、その旨の了承も取って頂けますか。私もすぐに行きますので」

「畏まりました」


もう一度柳生に、そして俺にも頭を下げメイドは足早に戻って行った。
ふぅ、と小さなため息とも取れる音と、カチャリと眼鏡をあげる音が重なる。大変だね、と思わず苦笑が漏れた。口では言わないけれど、同じ様に笑う柳生のそれは肯定だろう。


「注文が多いのは答え甲斐がありますが、忙しい時は少し困りますね」

「すまない、仕事中なのに。わざわざ持ってきてくれて」

「いえ、私がお渡ししたかっただけですから。…本当は誰かに頼んでも良かったのですが…」


柳生はキャメル色の薄い布で覆われた細長い包みを開いた。「これを仁王くんから預かってまして、直接渡した方が良いかと」、そう声を落としながら此方へと差し出された、それは。


「…花?彼女に?」


それは、1枝の花だった。
細長い茎に、蝶のような形をした小さな花。いくつもの鮮やかな黄色の花弁を揺らす見慣れた花に、一番最初に過ったのは母の部屋だった。王妃お気に入りの花とされるそれは、よく城への贈られて来る。そして決まって、母の部屋にある花瓶へと生けられるのだ。

しかしこの花がなんだと言うのだろうか。仁王からと言うことは、灰加に渡せばいいのか、と考えながら受け取ってみたけれど、柳生は首を横に振る。


「いえ、幸村くんに渡してくれとしか…。それだけ言ってすぐにいなくなってしまったので詳しくはわからないのです」

「…俺に、ね」


彼女にと明言されていないこの花は、つまり俺宛て。きっと何かしらの意味が込められている。俺が理解しやすいような意味の持たせ方で、と考えればすぐに答えが浮かんだ。
そしてその答えは、先程の懐疑にも答えをもたらした。王やその側近に、王子が話し込んでいる相手とラストダンスを踊る、と告げ俺をダンスへと押しやった貴族は、確実に仁王の変装だろう、と。

俺に踊る事を求め、その相手に灰加を選ぶ事を求めている。この花からは、そう受け取れる、が。その真意までは汲めない。一体どういうつもりで―――。


「…その花、どこかで見た気がするのですが」

「母さんの部屋じゃないかな?この花が好きなんだよ」

「あぁ、そうかもしれません。ランでしょうか?」

「…うん、洋ランだ」

「何か意味が……あぁ、すみません。仕事がありますので、私はこの辺で失礼致しますね」


先程のメイドよりも優雅に腰を折ってから、柳生は踵を返した。

きびきびと歩くその後ろ姿から手元へと視線を落とす。キャメル色の布から覗く黄色の花、不自然にも茎にはパウダーブルーのスカーフがくくり付けられている。
このスカーフは、と問いかけるつもりで顔を上げたけれど、長い廊下にはもう柳生の姿はなかった。…急いでいたようだけど、まさか今見ていないうちに走ったなんて事は、ないよね。きちんとしたタキシードで、しかも柳生が疾走してたらなんだかシュールだな、なんて心の隅で笑いながら目的の場所へと俺も足を動かした。



オンシジュームの誘い
特に問題はないけれど、一応花は見えないようにしておくのがいいだろうか。ダンスホールに入る手前でそう考えて、キャメル色の布をそっと引っ張った。俺の腕の中でゆらりと揺れた花弁は、まるで踊っているかのようだった。



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