The present time,23:14



王座に座る父の表情を見て、嫌な予感がした。
般若のような顔でもなく、悲しみでもなく、いつもより少し柔らかな表情で自身の側近である蓮二父と言葉を交わしている様子は、機嫌が良さそうで。だからこそ、嫌な予感がするんだ。
これだけの時間を俺が舞踏会から姿を消していたのに、その機嫌の良さはなんだ。元々あまり怒らない人ではあるけど、いつも以上に職務から逸脱してしまった事に加え、蓮二の話からするとそれなりに躍起だったパートナー探しの意図に沿う事からも逸脱してしまっていたのに。呆れているのが当然だと思うんだけど。

なんでそんなに、嬉しそうなんだ。
引き返したい気分になりながらも王座の正面へと歩み寄る。靴の踵が床を鳴らせば、2人の視線がこちらを向いた。


「あぁ王子、お待ちしておりましたよ」

「遅かったな精市」

「ごめん、ちょっと話し込んでて」


いやでも、機嫌が良いなら、寧ろ好都合ではないだろうか。これならダンスを断られたと言っても残念に思うだけで終わってくれるかもしれない。憤りを覚えてる時の方が、人は無意識に征服欲に駆られ細かな理由を求めがちだ。怒っていないのなら、あの不本意な上部の言い訳だけで躱せるかもしれない。父さんが懐疑を示さなければきっと、余程の事でない限り側近は口出ししないはずだから。

ぐっ、と気を引き締めて、眉を下げながら笑って見せる。父さんは、朗らかに笑った。


「構わない。何にせよ、ラストダンスが楽しみだ」

「…え?」

「本日は王子が踊って下さると言うお話だとお聞きしました。珍しい事もあるものですな」


まさか、こんな所にまで伝わっているのか。いよいよ本気で逃げられなくなってきたのかもしれない。どうやら今の父さんの機嫌を保っているのはラストダンスの件のようだった。前々から俺に誰かと踊る様に促していたから、嬉しいんだろうけど…今日ばかりは否定する訳にはいかない。機嫌がいいならこのままであって欲しいし、変に否定して色々と突っ込まれるのは避けたい。…あんな適当な言葉、やめとけば良かった。

ちゃんと言葉を選ぶべきだったと苦く思う反面、可笑しいなとも、思う。招待客の噂が王座まで届く事があり得るだろうか。城側からの正式な発表もない不確かな噂をもってして、王に話し掛けるだろうか。

怪しまれない程度に、曖昧に笑ってから「それは招待客の方から聞いた事ですか?」と側近の方へと問い掛けた。蓮二のような静かな雰囲気の中に、蓮二にはあまりない威圧感のある空気が揺れた気がした。…少し、苦手な人だ。全て気付かれている気がしてならない。


「ええ、ある貴族ですよ。確か最近舞踏会に顔を出し始めた方でしたか、王」


貴族。その貴族は、本物だったろうか。もしかしたら―――。


「お前がその程度の認識しか持っていない相手では、私は顔すら見覚えがない」

「はは、そうですね。20年ほど国外で服飾関連の仕事をしていて、戻って来たばかりの方だったかと。元より話した事はないので紙面上の概略しかわかりませんが。」

「…そうですか」

「どうかしたのか、精市」

「ううん、なんでもないんだ」


蓮二の父でも、仁王の変装を見破るにはいくらかの外的情報がないと難しい。過去に話したことがある相手でなければ、その人物が“偽者”だとは思わないだろう。長年立海王国にはおらず、戻ってきたのも最近かつ蓮二父とは面識なし。都合の良い輩だ、仁王の可能性があるけれど、これ以上深く訊ねるのは逆に怪しまれる。確認は取れなさそうだ。とりあえず諦めるしかない、と小さく息を吐いた。


「その話していた彼女と踊ってくれるんだろう?」

「しかしどちらのご令嬢でしょうか。王子、その方のお名前は?」


だけど、困った事になった。

話が回るの早いね、なんて笑いながら今日のラストダンスは観念せざるを得ないと心中でため息を吐いた。
こうなったら仕方ない。灰加の所へ戻る前に適当に誰か捕まえよう。何かあった時のために話を合わせてもらえるよう上手く籠絡出来るような人が良い。成り上がりではなくて、生粋の貴族の血統であった方が変に欲もなく、また純粋無垢で籠絡しやすいだろうか、それだとどの招待客が1番適切か。蓮二に聞けば絞り出してくれるだろうか。
そんな酷薄な考えも、今の俺には憚る気がなかった。今は灰加さえ守れれば、問題ではない。一国の王になる器じゃないなと、心中で自嘲してから「そう言えば、名前を聞くのをすっかり忘れてました」と軽く返す。


「彼女との話に夢中で…後で聞いてみます」

「ほう、珍しいこともあるものですね」

「名を聞くことを忘れる程か?」


何を話していたんだと興味深そうに訊ねられ、灰加との会話が脳内を流れる。彼女の声が響いた頭の中から、色々あるうちのひとつが浮かんだ。きっとこの会話が上がってくるのは、父さんを目の前にしてるせいもあるだろう。

これくらいなら本当にあった事を話しても大丈夫だろうと思い、「ほら、父さんが書かせた曲があるだろ?」と会話を繋ぐ。背後から弾んだ声が入ってくるまで、それが軽率な判断だったと俺は気付かなかった。


「あの曲が綺麗だって言ってて」

「あぁ、あの曲か。なるほど、」

「私と踊る為にあなたが書かせてくれったっていう曲ねっ?その経緯を知ってる方は内輪にしかいないのに、精市が気に止めた子があの曲を気に入ってくれたなんて、運命的だわ。とっても素敵」

「、か…母さん?いつからそこに」

「ちょっと前から後ろにいたのよ?…楽しみね、ラストダンス。…ふふ、」


素敵ねえ。
振り返った先でため息混じりに繰り返された言葉にはとても思いが込もっていて、少女のようにうっとりと微笑む母に苦笑が漏れた。王の隣が空いていたのは気になったけど、元々社交界へ憧れの強かった王妃もとい母さんは、ダンスホール内のあっちで喋りこっちで踊り、とあまりじっとしていない。色んな招待客と踊る王妃は、立海城の歴史を振り返っても母さんが初らしいけど、若い頃のままだ、と父さんは咎めるどころか嬉しそうに見ているわけだから。王妃の席が空いていても、さして疑問にも思わなかった。

俺がラストダンスを踊ると信じて上機嫌な王と、その相手が運命的だとうっとりする王妃、何かを測るように俺の様子を窺う王の側近。この状況に、じりじりと追い込まれている事を感じ始めた。
母さんにまでラストダンスを期待させる事になるとは思いもしなくて、安易に会話の一部を教えてしまった事に内心頭を抱える。周囲の期待が増えると、身動きが取りにくくなるのは目に見えているのに。

ただ、運命的、と言う言葉にどこかで嬉しく思っている自分がいて。この人達の子供であると妙に納得した。


「じゃあ俺は一旦戻るよ」


これ以上何か訊ねられても困る。言葉に詰まれば怪しまれるし、安易な返答はよくないと先程悟ったばかりだ。彼女を待たせているからと言葉を付け足しながら、早々に踵を返した。

王座の斜め前にある扉から一旦廊下に出る。きらびやかなダンスホールから一転したいやに静かな長い廊下の先、1ヶ所だけ光が洩れ使用人が忙しなく出入りしているのが見える。そこのダンスホール側の壁際が、蓮二の定位置だ。

灰加と真田の元へ戻る前に、もう一度蓮二に会う必要がある。今日のラストダンスからは逃れられそうにないけど、相手がいない。もちろん父さん達は俺が話し込んでいた相手をイメージしているだろう。でも灰加が踊ってくれるとは到底思えない。誰か探してと頼むしか他ないだろう、あぁそれと絆創膏か何か持っているか聞きたいんだった、彼女の靴擦れに有効な物を。帰るにしても手当て出来るならそれに越したことはないだろうから、なんて考えながら光を目指して歩みを進めていた、その時の事だ。


「――あぁ、幸村くん。ちょうど探していたんです」


突然後ろからかかった声。ぴたりと足を止めて振り返りながら、さっき廊下には誰も居なかった気がするんだけどと頭の隅で思う。
体ごと後ろへと向き直れば、見慣れた人物が立っていた。


「…柳生、?」

「ええ、仁王くんではありませんよ。信じて頂けるかはわかりませんが…」


あ、この柳生は本物っぽい。というのは直感でしかないけど、身近な人物であれば、その直感もあまり外れない。それに、この困ったような苦笑に少し申し訳なさそう空気が滲むのは、柳生特有だと常々思う。柳生になりすました仁王が同じ表情をしても、申し訳なさはあまり感じられない。申し訳ないと思うのは、柳生の性格から来る無意識的な思い、かつ仁王への身内意識からだろうから。


「本物だね。…うちの仁王がすみません、的なやつは。」

「え?」

「ふふ、柳生のその笑い方」

「…はは、そうですね…今日は特に思っていますよ」


その口振りから灰加の件への、柳生の関与が窺える。
さて、一体何の用だろうか。舞踏会中はある意味で俺よりも忙しいはずの柳生がわざわざ出向いているのだ、何か用がある事は明白だった。


「今、お時間大丈夫でしょうか?少しでいいのですが」

「…うん、少しだけなら」


本当は、一刻も早く蓮二に会い灰加の元へと戻りたい。だけど使用人に言付けを頼まず自ら俺を訪れると言うことは、公用ではなく、私用だと言うことだ。

普段、舞踏会中に私用で柳生が動く事はない。仕事中はあくまでいちテーラーであり、個人的な話を持ち込まないのが柳生のスタンスだ。外には優しく振る舞うが、自分に対しては案外ストイックな部分があり、だからこそ周囲の評価も高い。
その男が今、仕事を置いて俺の目の前にいる。加えて今日このタイミングとなれば、時間を裂いてでも聞いておく必要があることもまた、明白だった。

レンズ越しの瞳がどこを見たかはわからないけれど、辺りに気を配ったのが感じられる。ざっと確認するように周囲に向けられた意識が俺へと向いて、そうしてから柔らかく柳生は口を開いた。



またひとつ、歯車が動き出す
仁王が城にいた頃、上流層の腹を探るべく、マダムに人気の仕立屋である柳生と組んで幾つか仕事をこなしたと言う話は聞いていた。当初は詐欺師と紳士という異質な組み合わせだと思っていたけど、何か隠れて事を動かそうとしている時の柳生の空気は、仁王そっくりだと改めて思いながら、落とされた声に耳を傾けた。



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