The present time,23:00



「やっと来たか。ふむ、予想より2分37秒遅いと言うことは…嗚呼、ここの計算が…」


俺の到着が予想通りではなかったらしく、何やらデータの変更をノートへと書き込む側近の姿に安堵の息が漏れた。良かった、3時間半ぶりかに会った蓮二はちゃんと蓮二だ。勿論、そんな簡単に人が変わる訳ではないけど、今日は流石に振り回し過ぎたかと一応心配はしていたんだ。疲れてはいるんだろうけども、種類は違えど仁王と並ぶレベルのマイペースには不要な心配だったらしい。


「ふふ、何か違ったのかい?」

「この人の数だからな、何人がどの様な言葉掛けを王子にするのかを予測するのは少し難しかったようだ。何よりお前の返答が予想と違ったよ」

「…あれは間違いだ、訂正したい」

「ふ、そうだろうな。だが随分と浸透しているようだぞ?今回のラストダンスは王子自ら踊って下さる、と」

「嗚呼、もう最悪だ。だいたい10人くらいしか言ってないのに…もっと違う言い訳考えれば良かったよ」

「珍しい話は広がり易いからな」


普段そこまで感情を感じさせない蓮二が心底面白そうに笑う様子に、少しだけばつが悪くなる。多少なりともご立腹だったか、俺の苦悩に胸がすくような気分なんだろうか。「…ごめん蓮二。怒ってる?」と問いながら、この城の広さを呪った。

この城、そしてこの規模の舞踏会、やはり移動に時間が掛かる。兵士や使用人用通路が羨ましくとも王族は使用禁止だ。おかげで人間がごった返すダンスホールを縦断せざるを得なかった。そうなれば掛けられる声を無視する訳にはいかない。ダンスや雑談の誘いを断るにも言葉がいる。最初はその都度合わせた様に返答していたものの、途中から考えるのが面倒になり「そろそろラストダンスの準備がありますので」という台詞をテンプレ化していた。その台詞が失敗だと気付いたのは抜けて来た人波からさざめく様に聞こえてきた会話。


「本日のラストダンスは王子様がされるそうよ」

「まぁ、珍しい!」

「それ本当ですの?お相手はお決まりなのかしら」

「さぁ…でもお見掛けした時はお一人でしたわよ」

「ならわたくしがお相手になれる事も…」

「それはどうかしらねぇ。何にせよ、ラストダンスが楽しみですわ」


立海城舞踏会の締めと言えば主催者側のダンス。つまり王族から1人代表してダンスホールの中央で踊らなければならないのだ。
幼い頃は父と母――王と王妃が優雅に踊る様子を見詰めているだけだった。しかし俺も妹も、もう子供ではない。王子王女の成長につれ、それは俺達の役目となる。ここ数年の舞踏会では、ラストダンスの時間と同時に、気配を消しに掛かる俺を苦笑した妹が「では、私が。」と前に出てくれていた。踊るのが好きと言う理由もあるのだろうけれど、我ながら出来た妹だと思う。そんな妹が「どなたかお相手をしてくださいませんか」とホールに呼び掛ければ幾人もの手が上がる。
でも男の俺がそれをすると、幼少の頃からついている教育係がいい顔をしない。男であるならば自らダンスを申し込むべきです!と諌められるわけだけど、申し込みたい相手がいない場合はどうしたらいいんだ。適当に選んで、もしかしたら私が次期王妃に、なんて勘違いされるのは勘弁して欲しい。
そう考えれば考える程、俺はダンスに消極的になっていく。そんな経緯から王子は舞踏会で踊らないと言う認識が定着していた。

ラストダンスの準備がありますので。
まさか俺が踊ると受け取られるとは思っていなかった。そろそろそういう時間だから進行の最終確認があるんです、くらいのイメージだったのに。確実に言葉選びを間違った。

お相手は誰かしら。後方からひそめく声がして、また頭が痛くなって額に手を添えた。

依然口角を上げたままの蓮二は「いや、」と首を横に振る。


「怒ってはいない。ただ少し、彼女に興味があるな」

「え?」

「気に入ったんだろう?だからこの時間まで消え失せていた。精市が主役だとあれほど説明したはずの舞踏会だと言うのに」


いや、やっぱり怒ってるだろ、これ。刺のある言い回しに、もう一度小声で謝れば、蓮二の笑みが困ったようなものに変わる。


「…本当の招待客なら、これ以上の好都合はなかったのにな。王子が身を固めてくれる、と王も大層喜んで」

「…そうかもしれないけど、招待客だったら気に留めていたかはわからないよ」

「そうだな、我が主は上流層嫌いな王子だった」


蓮二の少しおどけたような声音に、怒気は含まれていない。
出来た側近だと、改めて思った。俺が蓮二の立場だったらこんな王子、とっくに愛想が尽きているだろうに。自分の事ながらどうしようもないな、と心中で苦笑した。


「それで、王の方なんだが…」


と、蓮二は本題を切り出した。けれど、それ以降中々言葉が紡がれない。何か不都合な展開になっているらしい事がその沈黙から窺えて、余計に蓮二の様子が焦れったくなる。

何だい、と催促するように声をあげれば、蓮二は再び口を開く。しかしそれは答えではなく、俺への問い掛けだった。


「王への説明の仕方は決まっているか?」

「…まぁ、一応。彼女の経緯を伝えて、協力を仰いでみようかな、と。父さんは仁王の事気に入っていたし、城に危険性がない悪戯くらいなら前から寛容に見てるっていうか…あの人も結構楽しんでる部分あるから」

「あぁ、その辺は流石お前の父親だと思うよ。…だが仁王に寛容なのは、王だけだ。俺の父はそうはいかない」


わかってはいた。王である父の意志だけが全てでないことくらい。

立海城、城主。立海王国、国王。間違いなくこの立海国のトップはあの人、俺の父だ。けれども規律を重んじる体制が強いこの国において、全てが王の意のままに動く訳ではない。勿論、周囲の意見を聞かず、王が決断したままに意志を貫けば、それは可能な事だ。

しかし、それはほぼあり得ない。この国は臣下と共に築いている。その意識が立海王国には強いのだ。完全なトップダウン式の氷帝王国の様に王の一存で全てが行われる訳ではなく、上下がなく皆の意見で進行される横並びの青春共和国ともまた違う。我が国は、その間の様な形式だと、俺は認識している。主従の構図があり、しかし臣下の意見は王の考えと同じ次元で扱われ、時には王よりも尊重すべき意見にもなりうる。

そんな立海王国に総じて言える事がある。王も王妃も、俺や妹も臣下達も皆、それは共通している。それが国を纏めていると言っても過言ではない、それは―――。


「彼女に対しての最終的な処分は、王の一存でどうとでもなるだろう。だがその処分までの過程は、臣下の意見の方が通り易い。父…王の側近は、彼女の捕縛を指示する、と読んでいる。確率は98.79%だ」

「はは、随分と高いね。…根拠は」

「俺が父の立場なら、そうするからだ。己の為、そして国の為に」

「…それは信頼性がありそうだ」


国を守る事が臣下を守り、王族を守る事が国を守る。
国を守りたい。主たる王族を守りたい。従者たる臣下を守りたい。その相互的な守護が、立海王国を形作っているのだ。

だからこそ臣下達は必要以上の厳しい視点で物を言うし、その思いを汲めば王族はそれを無下には出来ない。


「精市が王となり、それを支え守護する立場になったのなら、微小の異変も見逃す訳にはいかない。精市に危害が加わる事は勿論、国に支障を来す訳にはいかない。国が揺らぐと言うことは即ち、王自身の危険も意味する。王の危険もまた、国全体に波紋を及ぼす。だから問題がないと判断出来ても、確証を掴むまでは女子供無関係に逃す訳にはいかない。…俺がそう思うからだ。父も国は勿論、王の事を大切に思っているのは見てとれるからな」


あの感情を気取らせない父からでもそのことだけは伝わってくるのだ。そう言う蓮二は少しだけ笑ってみせた。その笑みはとても優しく、改めて人に恵まれているのだと思った。

王の側近である蓮二の父が、彼女の存在を黙認するとは考えられない。そして王もまた、仁王の手引きなら問題ない、などと安易な発言はしないだろう。その言葉は自分の立場に相応しくないと判断するだろうから。

蓮二の予測を聞けて良かった。迂闊に灰加の事を話して彼女が捕らえられてしまったら、取り返しがつかない。彼女は、この舞踏会に招待されている身内に、自分がいることを知られたくないと言っていた。それはつまり、彼女には捕まっている時間がないと言うことだ。
終了時刻の午前0時はプログラム上の話で、実際は午前0時に舞踏が終わり、そして王から閉式の挨拶、そこから招待客同士の挨拶が交わされる。それと同時進行で迎えのある貴族を地位順に送り出したり馬車を手配したり―――と、まぁまだまだ使用人は忙しく、兵士も使用人同然の駒使いにされる。かなりの上流層で屋敷が比較的近い貴族でも、自宅の門を潜るのは午前1時前になるくらいだろう。

そんな忙しさの中、捕らえられた者の処遇は舞踏会が全て――招待客を全て返し終わるまで後回しになるのは当然のことだ。数多の客人に手一杯で構ってる暇がない、となれば彼女の身柄は拘束されたまま夜明けを迎えるだろう。順立てて説明して、俺から父さんに訴えかければお咎めなく解放してはくれるかもしれない。少なくとも、出会った直後とは違い灰加の解放を強く求める気が今の俺にはある。
しかしそれでは灰加の、舞踏会に来ている身内に知られたくない、という願いは叶えてあげられないことになる。


「…父さんには他の言葉を用意するよ」


優先すべきは、彼女の願いだ。
適当な言葉で父をかわし、それを蓮二の父に気取られないようにして、彼女の元に戻り不用意にも引き付けてしまった招待客の視線を潜り誰の目にもつかぬよう逃がす。どこかでしくじれば一環の終わりだ。俺の身内である城側に気付かれるのはまだよくても、灰加の存在が彼女の身内に知られる危険性も伴うことになるし、総じて言えばとても面倒な事だ。それでも、敢えて挑戦を選ぼうとするのは、僅かな可能性でも彼女の希望に沿えるなら賭けてみたいと思うからだ。
結果的には灰加の為。しかし、やはり俺の為になる。彼女に感謝されたい訳ではない。諸々の事情を伝えなければ、俺が彼女を見逃した、程度で大した恩にはならないだろうし、そもそも言うつもりもなかった。ただ、灰加の望む物が掴める可能性を含むなら、俺が手渡してやりたいと思う、それだけだ。俺がそうしたい、という願望が、彼女の望みを叶える事に等しいだけのこと。


「気分が悪くて1人でバルコニーに隠れてた、とでも言って…」

「……そうも、いかなくてな」

「どういう事?」


蓮二が1度言葉を切った本題が、再び舞い戻ってきたらしい。それを報せたのもまた蓮二本人だった。
端的に語る事が多い蓮二が言葉を濁していると言うことは、つまり蓮二にとって不都合なのではなくて、俺にとっての不都合だろう。


「時間がないんだ、蓮二。手短に頼む」

「…そうだな、わかった。…精市が彼女を追い掛けていった後の話になるんだが、」


俺は王に呼ばれた。予想した通り「精市はどこへ行った」という理由で、…実は今回の舞踏会でパートナーとなる人を精市が見付けられるよう努める事を王に誓っていたのだがさっそくお前がいなくなるから呼び出しをくらった訳だ。「人に酔った様なので少し外へ…直に戻るかと」という台詞を用意していたんだが、そこに王女が現れた。「お兄様ならダンスを申込みに…あるご令嬢を口説かれに行きましたわ。お兄様が目を留めた方ですもの、王子だから、なんて理由だけではそう易々と手を取っては下さらないかも。結果はわかりませんわね、お父様?」…王女の発言を遮る訳にはいかなくてな、現在王はその報告待ちと言う事だ。


「ダンスを受けて貰えたかどうかの報告が遅くて怪訝に思っているようなんだ。…反面、期待もあるようだが」

「あぁ…もう、ちょっと待って、どうしてそんな事に」

「お前にダンスの輪を外れる誤魔化しを頼まれたからだと、王女からは聞いたぞ」

「…そう言えばそんな事も言ったっけ…」

「だから最後に、“結果はわからない”と付けておいたそうだが、王にとってはさして重要ではなかったようだな。…精市、上手く合わせた上で今まで何をしていたか説明しておいてくれないか。それと、彼女の事は伏せた方が望ましいと俺は思う」

「…はは、断られました、って?」


気に留まった女の子を追っかけて、声かけて、色々話してみて、最後に踊って下さいって言ったら断られたから今までの時間無駄になっちゃった、ごめんね父さん。って事になるんだろうか。普段なら造作もない言い訳が、今日ばかりは気に入らなかった。それを口にする事が自虐的に思えて仕方がない。そう思うのは、俺が手を差し出したとしたらその手を取って欲しい、と言う事の裏返しだろうか。…それ以外にないか。

随分と自虐的な説明になるな。自嘲と共に口の中で呟いた言葉に、また蓮二が困ったように笑う。そして、そこまでとはな、と口にしながら王座への道を示す様に身を引いた。


「彼女の事については、こちらでも少し調べてみる」

「別にいいよ。しなくても」

「そうはいかない。せっかくお前がその気になっているのだから、逃すのは惜しい」

「何を言ってるんだい。彼女の意志もあるし、俺だけの問題でもないだろ。それに帰すのにどういう意味で、」

「一度家に帰るだけの事。終わりではないだろう?少なくとも今まだ城にいるのは、彼女の意志だろう」


俺が引き留めたに過ぎないんだけどね。と苦笑を落とす前に、「精市に流されたから、程度の理由で城に留まっているような相手なら、お前がそこまで思い入れる事もないだろう?」と蓮二が先手を取った。

確かに、その通りでもある。だからこそちらりと期待が過って、でも彼女は帰る事を選択していて、その期待が萎んで。そして何より、灰加はこの社交界が好きではなさそうだから。


「たとえ気持ちが釣り合っても、世界が合わないよ」

「庶民の出だからか?それなら王妃だって、」

「母さんはこの世界が…社交界が憧れだったんだよ。だから父さんと同じ世界に入る事を選ぶのも喜びだった。…でも、彼女は違う」


王子と言う立場は面倒ではあるけど、ここに生まれ落ちた以上、俺は出来る事を探していくべきだろう。城を出るつもりも、王子を辞めるつもりもない。だけど俺の見詰める世界は、灰加が好まないであろう世界だ。それを理解していて、城で暮らさないかなんて言える訳がなかった。
灰加の立場や環境も知らないし、気持ちもわからない。それらに問題がなかったとしても、望まない世界を強要する事なんて、出来るだろうか。同じ世界を共に見詰めて欲しいと願う程の相手に、そんな事が。


「…社交界は、気に入らない側面も含む世界だ。でも俺はここで生きていく。それだけは、譲れないから」


大切な仲間と、大切な国の為に。俺は王子として、いずれは王として、この城で生きていく。いつからこんな確固とした思いになったのかもわからない程、それは昔から自分の中心にある意思だった。

だからこそ、国の中心であるこの世界を捨ててまで、国の末端に広がる普通の生活は選べない。良いも悪いも国の中心に左右される城外の末端まで広がる生活を、守っていきたいんだ。…少し語弊があるかな。まだ国民の為に、だなんて大きな事は言えない。俺が保ちたいのは、臣下であり友だと思っている存在達だ。彼らを守る事と国を守る事が同義なだけ。
そう口にはしないけれども、どうやら知られているようだ。


「…お前の側近であり、友である事は誇らしいよ」

「ふふ。…何だい、急に。」

「…いや」


彼女の環境や気持ちを聞けないのは、無闇に踏み込みたくない、と言う思いがあるからだ。けれど、社交界で生きないかと問えない1番の理由は、違う。
自惚れた仮定だけど、もし“社交界を捨て、自分と同じ世界を選んで”と灰加から言われてしまったら。俺の意志が揺さぶられるのは目に見えている。国と彼女を天秤にかけた結果が導き出せそうになくて―――でも“全幅の信頼をおける者も同じ世界にいるんだ”と言う俺の言葉を聞いてる灰加が、この世界を捨てろなんて言わない事もどこかでわかってる。

結局は、国と彼女を、明確に秤にかける事を避けたいだけだ。俺が“推し測って思い込んだ彼女の気持ち”のうちは、いくら秤にかけたって国の重量の方がはるかに重い。当然だ、俺の中の希望的観測の灰加の好意が、物心ついた時から持っている現実の意志より重い訳がない。でも、彼女の好意が仮想でなくなってしまったら―――。そう思ったら灰加の気持ちを聞く事なんてことは、選べなかった。


「さぁ、王がお待ちだ」


蓮二は少し哀しそうに笑って、王座の方へと俺の背を押した。



選択しない為の選択
俺は国を取るべきなんだ、そうはわかっているのに。どちらかなんて選べないのだから、その選択をする事自体への選択も、選べない。




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