The present time,22:35



「…ほら、行かなきゃ。皆貴方を待ってる」


先程叩かれた背中を優しく押された。促されるまま踏み出した足を緩く止め、灰加の方へと首だけを巡らせながら何を最後の言葉にするべきだろうかと考えてみても俺の語彙では見つからない。単純な別れの挨拶?それとも「またいつか」なんていう見え透いた建前?どちらも口にするのは気が乗らない。かと言って他に思い付く訳もなく、こちらを見上げていた灰加
と一瞬だけ視線を交えただけで前を向き直し再び足を進めた。

だけれど、正面に捉えた人物に足が止まる。柱の陰からすっと現れた顔を見て、タイミングの悪さに息を吐いた俺とは対照的に息を飲んだ気配が灰加から伺えた。


「…いつからそこにいたんだい?真田」

「たった今だ。…ゆき、」

「っふ、何その顔?どうしてそんなに疲れてるんだい」

「……」


現れたのは面白いくらい疲れた顔をしている真田だった。いつもよりも3割増しで老けてみえるな。その言葉に眉間の皺を深めながら、「…身に覚えが無いとは言わせんぞ」と真田は唸るけど、覚えなんてないな。


「俺が疲れさせてるのは主に蓮二だと思うけど」

「原因はお前だけではないだろう」


真田の視線が俺を通り越した。後ろの人物へと投げられたそれを追いかければ、灰加と目が合う。不安気な瞳がこちらを向くから、もう庇い立てるのは条件反射だろうか。


「彼女は違うよ。原因って言うなら仁王だろ」

「あぁ、わかっている。…その原因の事で、いつくか聞きたい事があるんだ」

「答えられることはないかな」

「…何故お前が返答するのだ幸村。彼女に聞いて、」

「彼女に用があるなら俺を通してくれる?」

「……」

「ふふ、なんて冗談だけどね。…蓮二の“多少図ってある”って言うのはお前の事なんだろ?」


真田の表情は睨まれているように感じるだろうか。けれど俺から見れば、これは“通常”だ。単純に見据えているだけで決して睨み付けてはいない。仁王の手引きを受けた侵入者、という認識であるはずの灰加を敵視しない理由となれば、蓮二の根回し以外ないだろう。そう考えながら現れたタイミングの悪さの腹いせに少しからかってみれば更に皺が深まったのでこれ以上はやめておこう。

宥めるつもりで真田に笑い掛けてから、灰加には大丈夫だと言う意を込めて目配せをする。緊張が抜けたようにへらりと笑った彼女を可愛く思うのは俺だけの感覚ではないはずだけど、真田には備わってないらしく「今はそんな冗談はいらんぞ」などと説教を始めたので軽く流した。


「…聞いておるのか、幸村」

「聞いてる聞いてる。…俺を通す必要はないよ、そんな権限ないからね」

「ならば本人がどうするかだけなのだな」

「…あぁ、そうだね」


ある程度、何かしらの事情を…俺が一番わかってない気もするけど、彼女が危険人物でないことを真田が把握しているなら問題はないはず。真田が言うように後は彼女の決断だ。真田へと視線を移した灰加からは逡巡が伺えた。きっと彼女の事だから、迷惑を掛けた兵士の力にはなりたいとは思うけど出来れば帰りたいというのが本音だろうかと勝手に推測してみる。意思が伴う人の選択に、真田は食い下がったりしないからこのままだと帰ってしまうだろうか。しかし迷うと言う事は、捨てられる寸前の選択肢でも可能性はゼロじゃない。
押せば承諾してくれそうだ。口の中で呟いた言葉はふたりの耳にも届いたようだった。


「どうしてそう思うの?」

「だって君、迷ってるだろ」

「そんなこと言ってないじゃない」

「違うの?」

「…違わない。でも帰らないといけないし…」

「そんなに早く家に帰りたいのかい?」

「…ううん、それは語弊がある。家に帰らないといけないだけで、帰りたい訳じゃないの。…帰るなら私はもっと別の所がいいんだけれどね」

「別の所、って?」

「それをこれから探すの!家を…国を出て、探すの」

「…随分と楽しそうだね」

「うん、家を出ることを考えるのは楽しいわ。でも今日は帰らないと。」

「帰りたくない場所に?」

「…そう問われると頷き難いんだけれど」

「ほら真田、押せば残ってくれるって。」


諦めたと思い込んでも未練が彼女を追い縋る。蓮二と会って王と話して、戻ってきてもまだ灰加がいたらいい。子供みたいに帰らないでとせびる事をしないだけで、彼女との時が1秒でも長く得られる理由を作り出そうとしている自分のやり口が随分と子供染みて感じた。


「押す…か。そうだな、城から出るなら、少し後の方がいいだろう」

「少し、って言うと…?」

「あと1時間程で最後の踊りがあり、閉式の挨拶となる。その間は誰しもが舞踏場に集まり、その中心に視線を向けるのだ。その時間帯が一番安全性が高いだろう。ここから城外に出るのならそこの階段から庭に降りる必要があるからな、今の時間は庭に招待客がいないとも限らん」

「つまり後1時間はここにいた方が安全って事ですか?」

「あぁ、その間は俺が警備をしよう」


今日の俺の護衛は、いつもの杓子定規が嘘みたいにフリーダムだ。舞踏会の大半を不在にしたかと思えばいきなり現れ、今度は護衛対象変更を宣言し出した。
そんな予想外も含めて思うように流れる展開に心が躍るから、諦めるなんて綺麗事過ぎたらしい。もっと灰加との時間が欲しい。それを認めてしまえば開き直ったも同然だ。どうやって彼女を手繰り寄せようかと途端に手のひらを返したような考えが思考回路を発火させる。


「じゃあ決まりだね」

「えぇ、そう言うことならもう少しここに…っきゃ…!?」

「…何をしておるのだ、幸村」

「夜の舞踏会はベンチが撤去されるんだ。前に酔っ払いが落ちて問題になってね」

「ちょ…ちょっと精市!何するのよ降ろして!」

「だから座る場所がない」

「欄干は座る場所ではないぞ」

「普段はここにあるんだけどね。アンティーク調のベンチがふたつ」

「ベンチのことなんか聞いてない…!それに彼の言う通り欄干は座る場所じゃないわ落ちるじゃないっ…!」

「大丈夫、ちゃんと座れば安定するよ。今は俺が支えてるけどじたばたすると危ないよ?」


だからほら、じっとして。その忠告を際立たせるかのように風が灰加の身体を揺らす。ぐらりと後方へ傾いた灰加を抱き寄せるように支えれば、彼女は完全に硬直しきってしまった。それは2階の高さから落ちそうになった恐怖からか、それともこの距離感からかは定かではない。灰加の頬が赤くなければ、前者以外の可能性を考えなかっただろう事だけは確かだけども。


「私…転落死…」

「じっとしてれば大丈夫だよ。それに落ちても庭木があるからクッションにはなるね、地面直撃よりは安全だよ?」

「…どこが安全よ。降りられないじゃない…」


蓮二と会って父さんに弁明して尚且つここへ戻ってくるのに1時間では足りないのは目に見えていても、「戻ってくるから待っていて」と頼む事は灰加にリスクが増すだけで利点がない。これでは頷いてもらえないんじゃないだろうか。…承諾が得られないのならいっそ許可なんて必要としなければいい。そう、これは単純な時間稼ぎだ。

強度と装飾美を兼ね備えた欄干は幅が広く、また人が腰掛けるには手頃な高さだ。しかしそれは男にとってであり、女性からすると少し高い。ラフな格好であれば問題がなくともドレスのまま自力で腰掛ける事は難しく、仮に座れたとしても自力で降りようものなら後ろへひっくり返る。というのがかつてこの城に侵入した町娘、今や王の妃である母の体験談だ。当時は王子であった父が庭で慌てて受け止めたという話は今は置いといて、灰加のように降りられないと判断を下すのが一般的だから、俺が再びここへ戻ってこないと彼女は永遠欄干の上だ。そこから降ろすには俺が今灰加を抱えあげた様にする必要があるんだけれど、時間になったからと言ってそれが真田に出来るかどうか。…愚問だろうね。


「だいたい何で欄干に座らせたの?」

「ベンチがないから」

「それは聞いた」

「ふふ、冗談だよ。足、痛いんじゃないのかい?」

「、なんでわかるの?」

「見てればわかるよ。流石にもう辛いだろ」


強引な思惑以外にもちゃんと最もらしい理由だって存在はする。彼女に伝えるのは都合の良いそちらだけ。

ふんだんな布の上からでは足は見えないけれども、立ち姿だけで差異は見分けられる。会話をしながら重心を右に左にと頻繁に変えては欄干に凭れてからまた左足を軸として立つ…ように見受けられる。この動きを昔、妹がよくしていたのだ。灰加に限らずその動作をする女性を見ると、教育係に落ち着きがないと叱られては足が痛いのだと口を尖らせていた時の様子と重なる。その度に靴擦れと言う単語が浮かぶのだけど、妹以外は実際靴擦れかどうかは知らない。足が痛いんだろうかと思いはしてもこんな風に「大丈夫かい?」なんて気遣ったのは灰加が初めてだった。


「大丈夫、だけど…確かにあと1時間はちょっと辛いかも」

「やっぱり欄干に座ってるのがいいね」

「それならそう言ってくれればいいのに。」

「ふふ」

「でも、ありがとう。…これでお別れね」

「……手、放すよ」

「、うん。落ちないように気を付けないとね」

「大丈夫だよ、ちゃんと守ってくれるそうだから。…なぁ、真田?」

「う、うむ。俺はここにいるから、早く蓮二の所へ向かってくれ」

「今行くよ」


そう言葉を返し終えてから、灰加の身体からそっと手を放す。ゆっくり数歩下がりながら真田に向き合えば「…1時間以内に戻ってきてくれ」と小声で告げられた。わざとらしく、どうして、と問えばいつの間にか消えていた眉間の皺が再び刻まれる。分かりやすいなと思わず苦笑したけれど、真田をからかってる暇はなかった。


「…誰が彼女を欄干から降ろすのだ」

「別に真田でも構わないよ」

「…早く行ってくれ。それで1時間以内に戻ってきてくれ」

「多分ね」


真田の釈然としない顔を最後に、元来た道を辿るべくダンスホールへと向きを変える。彼女に背を向けた瞬間、その声に名前を呼ばれたけれど応えはしなかった。別れの挨拶だろうか。だとしたらなおのこと今は応じられない。聞こえないフリでダンスホールへと足を踏み入れた。

灰加を引き留める事で問題が生じるのなら、それすらも覆い隠してしまえばいいんじゃないだろうか。王子の俺には大した力はないけれど、王ともなれば話は別だ。その事も含めて早く弁明しに行かなければ。全ての権限を有している我が父に。



綺麗事は投げ捨てて
随時素っ気ない別れ方だと思うだろうか。でも悪いけど、俺はこれが別れだなんて思ってない。



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