The present time,21:52



『君には、この色がよく似合いそうだ』

先程の俺が落とした一言が、灰加の機嫌を上向きにさせた事はわかったけれど、グラスをブルーに染めていたカクテルを飲み終えた今でもその理由はわからなかった。でも、どうしても理由が気になって、彼女と言葉を交わしつつグラスに口を付けながら、一応思索はしてみたんだ。
例えば、カクテルのあの色を“水色”として灰加が受け取ったとし、彼女が纏うドレスも同じ色名を当てはめることが可能だからドレスが似合うと受け取ったとも思える、とか。しかし、カクテルの色は限りくなく透明に近いペールブルー。簡単な色名に落とし込めば“水色”に納まるとは言え、実際カクテルの色から彼女の纏う澄み切った空のような水色をイメージするのは、少し難しい気がした。現に、俺が指す色と彼女の纏う色とを繋ぎ合わせるまでには俺自身、数分間の思索を要したわけで。結論、この推測は違う。

筋道を立てたつもりでぐるぐると辿ってみたけども、いまいちわからない。雰囲気やニュアンスから感情を読み取ることはまだ出来ても、こういう推測等は蓮二の得意分野であって俺は専門外だ。改めてそう思った。

なぜそんなにも理由が気になるのかは、正直わからない。しかし意味もなく妙に引っかかる時は、現在ではなく未来に意味を持つものになり得る。と、それは俺が幼い頃に父がよく言い聞かせた言葉だ。心の隅でその言葉を思い起こしてみたものの、果たして彼女との関わりに未来が存在するのだろうか。舞踏会終焉後に彼女は夢だったと言われても否定出来ないほど、灰加の明確な情報がないというのに。そんな事を思った所で一旦、思考に終止符を打った。

俺の意識へ差し変わるように「少し甘かったけど、」と響いた声の主は、どこか嬉しそうな様子でグラスを撫でていた。



「美味しかったよ」

「なら良かった。ブン太も喜ぶよ」

「さっきの彼にお礼を言ったら、帰ろうと思うの。もう何回帰りそびれたやら」

「ふふ、帰る運命にないんじゃない?」

「…だったらいいのにね」

「え…」



ぽつりと落とされた矛盾を孕む言葉が少し引っ掛かったけど、すぐにダンスホールへ視線を彷徨わせる灰加につられそちらに意識を向けた。…まぁ、いないだろうけどね。

彼女の探し人であるブン太の姿を遠目に探しても、見当たらないのは必然だろう。料理が置かれたテーブルは厨房から程近い出入口のある廊下側の壁沿いに配置されている。立食形式ゆえ、使用人はそのテーブルと厨房との行き来が増え、ダンスホールの奥手までは行動範囲が広がりにくくなってしまう。けれど、その辺は腐っても城の舞踏会に招待される程度の人々の集まり、パーティー慣れした招待客ばかりだ。飲食を求める場合は入口へ、求めない場合は奥手へと人が動く。それがまた使用人の行動範囲を限定する要因にもなっているのだが、大規模な舞踏会において暗黙のルールとも言えるこの流れはもう当然の事だ。と言う訳で、特別言い付けられない限り給仕で動く使用人はあまり奥手に回ってこない。

この城特有の事情を彼女に伝えなければ、ブン太が姿を現すまで灰加はここにいてくれるのだろうか。ふとそんな考えが過りもしたけれど、流石にそれは騙すようで気分が悪い、な。



「…来ないと思う」

「え?さっきの彼?」

「うん、丸井ブン太ね。今日は大規模で、立食形式だし」

「へぇー……?」



完全に首を傾けながら返事をする灰加の頭上に浮かぶ疑問符。その様子に小さく笑ってから、つまりね、と簡易的に理由を説明してあげれば心底納得した様子で灰加は頷いていて、彼女が見せる妙な素直さに少しだけ頬が緩むのがわかった。



「じゃあ待っていても仕方ないんだ」

「まぁ、そうなるかな」

「…ならお礼は、精市に言えばいいのかしら?」



灰加の含みのある視線とニュアンスがこちらへ向いた。きっとこれは、俺から返ってくる言葉を予想しての投げ掛けだ。「さぁ、どうだろね」とか、「俺に言われてもね」なんていう“はぐらかす”ような返答を灰加が描いているだろう事は、その口調でわかった。俺をからかってるつもりかな。ふふ、だとしたらいい度胸だ。

予測しきった声音で紡がれた言葉に、彼女の予想とは逆の方向へと駆り立てられる。…天の邪鬼?確かに、それもある。しかし彼女の不意を突いてやろうかと思うのは、俺にとっては灰加の反応見たさからの条件反射的なものでしかなく、実の所、逃したタイミングが再び巡ってくるのを待ってただけで。



「あぁ、そうだね」



頷き返せば灰加が固まることくらい、わかりきってる。



「王子に言えば、城全体への礼になるものだよ」



そうして次第に見開かれた灰加の瞳は、ダンスホールから溢れるシャンデリアの光をキラキラと輝き映す。綺麗な瞳を見詰めながら、嗚呼、やっぱり灰加には気取られていたんだなと悟った。遠回しな言葉でも意味が理解出来るのだから。いつからかはわからないが彼女は俺を王子と認識しており、そして俺がそれを伏せている事を察していたんだろう。

だからこそ、この驚きよう。たっぷりと沈黙をとってから、灰加はその瞳に瞼を下ろして小さく何かを呟いた。



「――して…?」

「え?」

「どうして、今更…」



そんなことを。
区切られた言葉の節々に彼女の戸惑いが伺える。けれど俺としてはそんな深い意味は、ない。政治的背景なんてものは一切存在しないし、知らないのなら知られないままで会話をしようと思ったのもまた、単なる私的な感情としか言いようがないのだ。
別に、隠すつもりはなかったんだけどタイミングを見失ってね?とでも言って。軽く笑って流そうと息を吸った一瞬、視界に捉えた灰加の表情に言葉が喉につっかえた。表すとしたら、悲痛という表現がまだ一番近いだろうか。

言葉を返さなかった俺に痺れを切らしたのか、ねぇ、と催促するような声が上がる。はっとして先程の台詞を言おうと口を開いた、はずだったのに。



「今、」

「え…?」

「何を考えていたんだい?なんでそんな顔して、」

「…私が訊ねているのに、その返し方ってある?」



あ、怒らせたかも。考えてたものと違う言葉が口をついてしまえば、それは灰加の気を害すには十分だったらしい。肯定したかと思えばかわされた、なんて翻弄されてるようで気分が悪いのは、当然か。俺の問い返しがはぐらかしたと思わせたのかもしれないけど、それは本意じゃないから。



「ごめん、怒らないで。そんなつもりじゃなかったんだ」



すっと背けられた灰加の顔を屈むようにして覗き込む。そうすれば逸らされていた視線が戻ってきて、くすりと困ったようにひと笑い。…ってどういうことだ。まさか演技かとも思ったけれど、上がった口角とは裏腹に灰加の声のトーンは一段落ちたものだった。



「違うの、謝らないで」

「でも怒らせたのは違わないだろ?」

「…精市には少しむっとしただけ。本当に、一瞬だけだよ?」



少しだけ申し訳なさそうにこちらを見上げ、だから謝らないで、と繰り返した。そんな灰加に少しの安堵感を覚えるのは、その一瞬に十分ヒヤッとしたからだ。
他人の反応に一喜一憂するなんて、こんならしくない話をしたら俺を知る奴らはどう思うだろうか。蓮二と妹は笑うんだろうな、ブン太や赤也なんかは驚いて…仁王辺りはにやにやするのが目に浮かぶ。その仁王の顔はすごく癪だけど、灰加がここにいるのは誰の手引きって、あいつの仕業だしなあ。そんな事を思えば少しだけ苦笑が溢れそうだった。けれど灰加の言葉の最中だ、苦笑は心中に留め彼女の声に耳を傾ける。



「本当に腹が立ったのは、むっとした自分自身にだから。」



それは自嘲めいた笑みと自虐的な声音で。



「…こんな我儘ってないわ。私は精市に隠してばかりなのに、貴方にはぐらかされたって思ったら…一瞬でもむっとするなんて。貴方に対して怒る資格なんて、ないのに。ふっ…ごめんなさい、呆れるでしょう?」



自嘲を混ぜてそう言った灰加の視線が地面へと落ちる。きっと、俺がいくら彼女を取り巻く環境を問うた所で、答えないと言う決意が灰加にはあるんだ。だからこそ、自分が提示出来ないこと――この場合だと自分を教えるということを、相手に、俺に求めてしまう感情に嫌気がさすんだろう。自分の事を棚に上げて…とはよく言うけど、人であれば自然と起こりうる感情だ。

しかし呟くように告げられた言葉は、彼女のありのままを伝えてくれるもので。灰加が自身の環境や背景を隠しているのは事実でも、自分を良く見せようと心内を隠したりはしないのもまた事実で。そんな彼女が眩しくて、呆れるのは自分に対してだった。

心内を隠し、感情を良いものに見せ掛けて相手に対応するのは常の事。立場的に職務とも言えるから、と割り切っているはずなのに、俺はきっと、体裁を繕うことをどこかで不本意だと思っているんだ。それを思っていながら続けているから、真逆の振る舞いを見せる彼女が眩しく感じた。影を色濃く映していた灰加は、一転して光も秘めているんだと。



「…感情に資格なんていらないだろ。誰の許可だい、それは」

「…そう言われると困るけれど……」

「それに俺は少しずつ君を教えてもらっているし、結構満足してるよ」

「…また変わった事を言う人ね」

「そうかな」

「だって私は自分の事なんて殆ど、」

「ねぇ、君が言うそれって要するに君を取り巻く環境の話だろう?俺が教えてもらってるのはそっちじゃないよ」



この数時間、会話を交わしていて灰加の語りにある共通性を見つけた。それは彼女が心内を語る時、都合よく色をつけたりベールをかけたりしないこと。それはすごく単純でありながら、大概の場合は自我に阻まれて困難であることが多い。誰もがそれを困難と感じなければ、人間に悩んだり相手がわかりづらいなんて事は起き得ないだろう。
彼女はありのままを、話してくれるから。たった数時間の会話だけで灰加の人となりを知った気にさせるんだろうな。だから俺が教えてもらってると感じてるのは、「つまり君自身なんだ」と言ってみても、再び控えめに疑問符が浮かび上がるだけ。



「えっと、表すなら…心、かな」



人は自分自身、狭義には心を美しく見せたがる。その内に建前や偽りが増え、本音との落差から生まれる葛藤を抑えながらいつの間にか、心は隠すものになる。それが悪いとは言わない。一種の処世術だと思ってるし、俺だって度々利用する。美しく見せる意図がなくとも、面倒事の回避にはもってこいの方法だった。
だが、その処世術を好ましく思っているかと聞かれれば、否。そうであればどんなに楽で葛藤もなく、自身に辟易することもないんだろう。



「私の…心?それって考え方とか感情も含まれる?」

「そうだろうね」

「ならその心だとしても、やっぱり変わった事を言う人だと思うけれど」

「どうしてだい?」

「私は人を憎むこともあるし、さっきみたく理不尽にむっとするしね?」

「ふふ、うん」

「私の心なんて綺麗とは言い難いもの。…知ったって気分が良いものとは限らないじゃない」

「大概の人間は皆そうだろ。そもそも綺麗かどうかの判断はいらないと思う」



そう言えば、へにゃりと情けなさそうに表情を崩して、灰加は柔らかく笑った。

怒りや憎しみ等の、負の感情があるから心が醜いだとか、優しさや善意があるから心が綺麗だとか、そんな人の価値観で変わり得る曖昧で複雑な基準なんて、俺はいらない。怒るなと言われても腹が立つものは腹が立つ。好きになれと言われても嫌いなものはどうしても受け入れ難い。自然と発生してしまうそんな感情を、善悪やら綺麗か醜いかに振り分ける意味はどこにある。それを仕分け出したら、自分の感情に自分が苦しくなるだけ。
そうとは理解していても、思考に価値判断が滑り込む。俺には体裁を繕う必要性はあるという事実、カケル、繕うのはあまり誉められた事じゃないという判断、イコール、葛藤、イコール、不快感。
いつものパターンがある。どうでもいい貴族相手に、どうでもいい様な事を繕って葛藤が発生。そこから不快感が派生し、なんでこんな金目当て貴族の為に不快感覚えなきゃならないんだよ、と思うと更に苛立ちやらの不快感が派生して、いい加減その感情を書き消したくなるんだ。そうして出た答えを紛らわすために、不快感なんてないと誤魔化し否認するからキャパを見失い疲れ果てて…あぁ、いつぞやの舞踏会で俺倒れたっけ。あの舞踏会は最悪で…ってその話はまたにしよう。
ようは自分の中に芽生える感情を認められるかどうかだけだろう。…とは言えそれが難しいのだが。

だから、かな。自分の感情を否定するような事を言いながらも、誤魔化そうとはしない彼女の偽りのないその姿勢こそ、俺には美しく映るんだ。善良な心や清廉な心よりも、綺麗事を実体化される事よりも、何よりも。



「でもやっぱり満足してるだなんて、変わった王子様」

「ふふ、そんな事ないよ。君を知るのは、楽しいよ」

「、」

「それにね、変わってるのは、君の方だ」

「え、そう?」

「うん。…でも君はそのままである事を推奨するよ」



ただ、ありのままを認める姿勢に魅せられたんだ。彼女という存在が放つ光に、目が眩むようだった。その光が俺の影を濃くするようで、彼女の隣がほんの少しだけ居心地が悪く思えたのに、同時に惹き付けられそこから動けないと感じるのは可笑しい事だろうか。



それを光と称すのでしょう。
君を知るたび、君に魅せられる。そうしてふくらんでゆく期待の行く末を、今の俺には知る術がない。



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