The present time,21:31



「兵士の彼、大丈夫なの…?」



伸びたままの赤也を心配そうに覗き込んでいた灰加が、これまた心配そうに口を開く。同じようにして赤也の様子を見ていた俺の口を付いたのは、全然大丈夫だよとなんとも身勝手な言葉。それがブン太と重なって思わずと笑い合えば、可哀想と言いつつ彼女は苦笑する。

この一場面に、既視感のような、妙な感覚に陥った。…可笑しいな、灰加とは確実に初対面だしブン太が赤也を吹っ飛ばしたのなんて初めて見たっていうのに。



「赤也は頑丈だからな。問題ねぇだろぃ」

「いくら頑丈だからって、危ないよ…本当に彼、大丈夫なの?」

「大丈夫だって。なぁ幸村くん?」

「…」

「…どうしたの精市?首なんて傾げて」



既視感を心中で不思議に思ったせいか、俺は少しだけ首を傾けていたらしく。灰加並びにブン太も、俺を見て首を傾げていた。けれど説明するには感覚的過ぎて難しい。考えた結果、首を横に振ってからブン太に話題の焦点を当てることにした。



「何でもないよ。…ところで、そのカクテルは?」

「あぁ、これ、幸村くんたちに。…招待客に近寄るには口実がねぇとな」

「ふふ、ありがとう。じゃあまずは、」

「女性から、だろぃ?決まりだしな」

「…」

「…わかってるかい?君のことだよ」

「……え、あ…私?」

「他に誰がいるんだよぃ」



身分云々よりレディーファーストを念頭に置けと、俺はマナーとして、ブン太は仕事として教わっている。女性から、の意味が何故か通じなかったようで、灰加は自分だと思わなかったらしく、ブン太に向き直られ目を白黒させている。呆れ返ったブン太を見て、眉を下げた灰加は困ったようにこちらを見やる。どこかすがるようなその瞳に、思わず心臓が脈打ったのは秘密。
侵入者という立場上、遠慮気味な彼女へ助け船と呼ぶには不出来な言い分をあげることにしよう。



「今回の舞踏会は招待客限定なのは知っているだろう?つまりこの場にいる君は、自動的に招待客。ってことでどうだい?」

「…それはさすがに無理が、」

「はい決まり!もうそれでいいだろぃ」



灰加を遮って咳払いをひとつ。笑みを湛えて恭しくトレーを差し出したブン太は、招待客のご婦人方に大人気の使用人そのものである。



「ってことで、お飲み物はいかがですかお嬢さん?因みにノンアルコールなので、お帰りの際もご安心を」

「……」



微動だにしない灰加に、埒があかないと判断してトレーから二脚のカクテルを引き上げる。招待されてもいない舞踏会に参加、加えて飲食。遠慮するのはわかるが、受け取らないのではブン太も厨房に戻りにくいだろう。ブン太は失笑してトレーを降ろした。



「じゃ、俺は戻るぜぃ。…この伸びてるワカメ連れて」

「苦労かける。助かったよ、ありがとう」

「幸村くん…とケーキのためなら、こんくらいなんてことないぜい。ほら帰んぞ赤也ー」



室内へと戻っていく二人を見送りながら、若干引きずりぎみに、ブン太に連れていかれる赤也を流石に可哀想かと思った矢先。面倒見の良い使用人が二人に駆け寄った。彼が溜め息を吐いた様子は少し離れたこの位置からでも視認が出来る。バルコニーとダンスホールの境界で、赤也はジャッカルに担がれて去っていった。

テラスに落ちる影は再び俺と彼女のものだけになる。恐らくもう21時を回っているはず。なのに他の招待客がここに来ないなんて今日は珍しい日だ。それは、好都合以外の何者でもないのだけど。



「ほら、君が受け取らないと俺が飲めないだろう?レディーファーストなんだから」

「押し付けがましいレディーファーストね?」



カクテルをひとつ、灰加へと差し出し半ば無理矢理その手に渡した。嫌味を含めて笑う灰加は、この華美な世界に向いている気もするが、そんな事を言ったら彼女は嫌がるだろう、なあ。そう思うと少しの寂しさが過る。俺としても好きな世界ではない。でも生きている世界であることは確かで、この世界を彼女が共有してくれるならば、少しは見方が変えられるような気がした。その共有を、このカクテルに見出だそうなんて可笑しな思考だとは思うけども。



「遠慮するのはわかるけど、気にしなくていいよ」

「…」

「俺が全てを許可するから。君が気にとめることはなにもないから」

「…ねぇ精市、貴方って……」



灰加の唇はかすかに言葉をかたどったけれど、それに音はなかった。それでも、何を言おうとしたのか分かってしまう。確かに灰加の唇は、俺の肩書きを紡いでいた、と。真っ直ぐな瞳に射抜かれて、反射的に灰加から目を逸らしてしまう。直ぐに再度、彼女に目を合わせて何かと問い返すも、言葉は返って来なかった。



「…ううん、なんでもない」



かぶりを横に振った灰加はすっと目を逸らす。嗚呼、とっくに感付かれているのだろう。ならもう伝える必要はない、と言うのはまた話が別か。気付いてくれればその方が楽かもなんて思ったのは間違いだ。これはむしろ、タイミングを見失ってる。失敗したな…。
どうしようかと考える俺の横で、するり、とグラスの脚に指を添えた灰加は改めて此方を見る。小さく浮かべた微笑みは、話題をかえる合図だと思った。彼女なりの配慮が今は少し苦しい。



「このカクテル、」

「…ん?」

「綺麗な色だね」

「そうだね。ブン太のカクテルとお菓子は定評があるんだよ」

「へぇ…。お菓子も作るの、彼?」

「あぁ、好きみたいだよ。作るのも、食べるのも」

「…それでなのね。ケーキで動いたのは」



灰加はカクテルグラスをそっと上に持ち上げて、その青色の液体をシャンデリアから延びる光に透かす。そうしながら、なるほどねと何かを納得した灰加は、そっとそれに口を付けた。



「…彼らしい味」

「というと?」

「甘い」



少々眉根を寄せての言葉に少し笑ってから、同様にそれを口に含む。彼女の感想からある程度の甘味を覚悟したものの、思ったより普通だった。

灰加を真似てカクテルを光に翳してみる。彼女のカクテルよりも色素が薄目だ、味の違いはそのせいだろうか。光によって青から水色へと変化したカクテルに、ふと柳生の店が頭を過った。大通りに面した大きな窓にディスプレイとして飾ってあったガラス製の靴。裏ではドレス作製も手掛けているとは言え、紳士服店の飾り付けには不釣り合いな女性物の靴の理由を、大分前に訊ねたことがある。それは一点物の品が多く集まる市場で見つけたもので、今は店頭装飾のひとつとしてあるのだと、その店主は語った。そしてそれを、この花嫁選びの意図を持った舞踏会が終わった頃、俺へと贈ってくれるのだ、と。まだ見ぬお妃様にと笑った、柳生が脳裏を過った。



「君には、この色がよく似合いそうだ」



その靴を見たのは少し前のことなので形やデザインこそ覚えていないが、靴の色だけはまだ記憶にある。それは正にこのカクテルと同じ、透けいるような水色。無意識にその色を彼女に重ねてみて思ったのだ。合うんじゃないかと。

一連の回想の狭間からぽつりと落とした脈絡のない言葉は、彼女の表情に訝しげな色を帯びさせるのには充分だった。



「…どうしたの、突然」

「あ、いや…カクテルを見ていて、ふと思っただけだよ。だから気にしなくて、」

「本当に、似合うって思ってくれるの?」

「あぁ、勿論」

「…だとしたら、」



すごく、嬉しい。と、言葉通り心底嬉しそうに灰加の頬が綻ぶ。誉め言葉と受け取っての喜びを表すには些か大袈裟な表現に思える。だが嘘とも取れないその笑み。何か別の意味を見出だしているのだろうかと思わざるを得ない。何故、と純粋な疑問が口から溢れた。



「どうしてかは、内緒」



未だ嬉しそうに笑う灰加からは、答えは貰えそうになかった。


貴女に合いし色彩
あの靴は、彼女に似合っただろうか。…水色が似合うのだから、きっと。




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