The present time,21:18 こっちへ来るな。その意を込めて階段の下まで近寄っていた赤也を少し睨んでみたけど、この新米兵士が俺の意図を汲んでくれる…と言うか、気付いてくれるはずもなく。赤也が庭園からバルコニーへの階段を駆け上がって来たのは、本当に帰るね、と灰加が口にした瞬間だった。タイミングが良いのやら悪いのやら。 「えっと…お話中、失礼します」 赤也がペコリと頭を下げる。つい1年前までは誰が誰と話していようと会話に乱入しては真田に怒られていた赤也も、断りを入れるというルールを身に付けたようだ。俺の正面に立ち軽く一礼した新米兵士は、若干顔を引き吊らせる侵入少女へと向き直った。灰加が小さく肩を揺らす。 「さっきはどうもッス」 「こ、こちらこそ…?」 「うーん…大して似てないッスね」 「へ…?」 ぽかんとする灰加を赤也はまじまじと見つめながら、似てない、と繰り返した。彼女が普通の招待客ならば失礼だろと諌めるところが、幸い灰加は招待客ではないし何より赤也の言葉の意味が解らず、同じように彼女の顔に視線を移した。 「あの…私が何か…?」 「仁王先輩の妹さんなんスよね」 「……えっと…私が?」 「さっき案内した兵士がそう言ってたんスよ。だから似てないなーって」 「…あはは…そう、ですか…」 仁王さんまた適当な嘘を、と呆れた様に呟かれた言葉は、真横の俺に聞こえても赤也の耳には届いていない。灰加を案内した兵士が仁王ではない、灰加は仁王の妹だ、という嘘を信じているようだ。この様子だと大小問わず他の嘘も鵜呑みにしているんだろうなぁ、そういう所は城に来た当初と変わらない。そんな事を思って苦笑を洩らした俺と同様に苦い笑みを浮かべる灰加を、交互に見やる赤也は不思議そうに首を傾げる。 「…俺変なこと言いました?」 「私…仁王さんの、」 「いいよ、そのままにしておきな。…他に答えを求められても困るだろう?」 「…確かに」 「え、え、なに、気になるッス!」 色々と説明を要されるの面倒だと思い灰加に制止を掛けた。途端詰め寄ってくる赤也を押し返しながら、他の話題を探す。何か赤也の気を逸らせるものは、と考えた結果、俺の疑問が口をつく。 「ところで、どうして庭から?」 「え」 「何か用があったんじゃないのかい?」 「…そうだ!俺副部長探してて!」 こう言った点では扱いやすさ満点の新米兵士は、はっとした様に辺りを見渡し始めた。真田なら、と小さく後方を見やり、俺は漸く気が付いた。バルコニーとダンスホールの境目にある柱の影に直立しこちらを窺っていた護衛が、いない。いつからいないんだろうか、真田どこいった。いるものと思い込んでいたから少しの衝撃を受けると同時に、思わず苦笑が漏れた。そんなにも灰加との会話に夢中になっていたのか、と。 ちらりと灰加に視線を移せば、緊張気味に赤也を見ていた。見られている本人は、真田の所在に首を傾げている。 「でもいないみたいッスねー…部長のとこにいると思ったんスけど」 「連絡、取れないのかい?」 「トランシーバーなくて…だから部長目掛けて来たんス!」 「ふふ、残念だったね」 「やべぇ、早く伝言しなきゃいけねぇのに…」 「………」 赤也の気は逸らせたが、今度はこっちが問題だ、灰加からの視線が突き刺さる。怪訝。彼女の心情はその一言に尽きるだろう。 兵士に“部長”と呼ばれているのに舞踏会に参加している俺の立場が、彼女にとっては不可解なのだと、客観的に思う。 この不思議な場面を作り出しているのは、赤也の俺に対する呼称…これは仁王が元凶なのだが、一番最初に護衛隊の副部隊長だった真田を“副部長”として赤也に教えたのが始まりだ。本来、我が城では“副部長”と言うと、城の事務関連を担当する部署にだけ存在する役職で、それを担うには信頼や実績が求められ、勤続30年が原則。護衛隊は体力勝負な部分もあるので若くても役職に就ける仕組みだ。 要するに、仁王が“老け顔”を隠喩してそう称したのだ。そしてその“副部長”を俺が顎で使っているように見えた赤也は真田の上司だと思ったらしく、俺を部長と呼ぶようになった。呼び名なんてなんでもよくて王子以外も面白いかも、なんて思って、あえて訂正を入れなかった結果が今にある。 早く赤也にはこの場を退散してもらおう。このままいくと赤也の口から俺が王子だと灰加に伝わってしまう。…隠す意図じゃない。灰加に王子だと知られるならば、自分の口から伝えたいのだ。そう思うのは、彼女が少しずつ自身のことを教えてくれたから、自分の肩書き隠していることに多少の後ろめたさを覚えたせいかもしれないが、とにかく、誰かを介在して教えたくはないから。 「つか部長、こんなとこにいていいんスか?」 「あぁ、うん、別にいいんだよ」 「でもきっと柳先輩探してますよー。だって今日の舞踏会って部長の、つまり王」 じ、の最後の一文字と共に赤也が横、ダンスホール方向へ吹っ飛んだ。確かにそれ以上言うなとは思ったけど、ぶっ飛ばしたのは俺じゃない。視界から消えた赤也の変わりに滑り込んで来たのは目を引く赤髪。 「おっと悪ぃな赤也、足が滑った。つか今のタックルでカクテル溢さなかった俺って、天才的?」 突撃の瞬間は見ていなかったけど、赤也がぶっ飛び床で伸びている様子からするとなかなかの衝撃だったのだろう。けれど、ブン太の持つトレーに乗ったふたつのカクテルは、一滴たりとも溢れた痕跡はない。ずごい、と純粋に感心してしまう。 「ブン太、ナイスタイミング」 「だろぃ?…StandSeaのケーキ保守!」 StandSea、とは確かブン太が通いつめている洋菓子店の名前だった、ような。ガッツポーズを決めている様子からして何かしら―――大方、邪魔者排除くらいの約束で仁王と取引済みらしいことが窺えた。ブン太の突撃はそれが原動力だったのか、と納得する俺の隣で、灰加は相当驚いたらしく口に手を当てて固まっていた。 突然の救世主 突飛な新米兵士を吹き飛ばしたのは髪色が突飛な使用人。 赤也には悪いけれど、ハイタッチを求めたブン太に思わず応えてしまった。 (back) |