The present time,20:45



あと一曲だけ、と言っていたその曲も中盤に差し掛かった頃。黙って聞いていた彼女が、突然口を開いて俺へと質問を投げ掛けてきた。



「貴方は、ダンスの輪に戻らなくてもいいの?」



戻らなくていい…訳がないのだ。今すぐにでも戻って職務とやらを務めなければならいだろうし、蓮二が探しているかもしれない。だがそれは面倒以外の何物でもなくて。それに正直、もっと彼女とこうして話していたい。せめて、この一曲が終わるまでは。



「…戻る必要なんてないよ」

「あ、嘘ついた」

「別に嘘じゃ、」

「なら今の間はなぁに?」



そう言いながら、わざとらしく首をこてんと傾けた彼女は俺を見上げる。その仕草とは不釣り合いにどこか真剣味を帯びた瞳から視線を外して「変な推察しなくていいよ」と返せば、彼女は表情を曇らせた。



「貴方は私と違ってれっきとした参加者なんだから」

「まぁ、そうだね」

「気遣ってここにいてくれるなら早く戻って。私なら大丈夫だから」

「…違う、」

「え?」

「俺はきっと、君のためだけに行動したりしていない」



言いたくないことを詮索すれば彼女は嫌がるだろうから、俺の印象を落とすことになる。今回限りの関わりだとしても、嫌われたくはない。そう思うのは俺だから、これは自身のため。
彼女が捕らわれないようにと考えているのも、引き留めてしまった罪悪感からでもあるし、捕まってしまうと彼女の今後の人生に一抹の不安を感じるわけだ。その不安と罪悪感を払拭するために、彼女の身を案じている。このどちらの感情も俺のものだから捕らわれないようにと考えるのも、自身のためになる。
会話なんて一番明白だ。話したいという俺の願望を満たすために彼女といるのだから、誰のために、なんて愚問だろう。



「俺のためだよ、全て」

「…優しいね」

「俺は優しくなんかないよ。言っただろう?自分のためだって」

「誰かのためなんて、単純にその人の自己満足。誰かを守ることだって、守りたいっていう願望だし」

「、」

「でも、それで相手が心を動かされたり、救われたと感じるならば。その願望って、優しさだと捉えられると思うの。……って全て受け売りだけど」

「…受け売り?」

「うん、お母さんからの。それでね、優しさかどうかを判断するのは自身じゃなくて、周囲の人なんだって。だから私は、」



貴方を優しい人だと位置付けるの。
そう言って彼女がみせた笑顔に何も言えなくなったのは、受け売りだというそれに否定が浮かばなかったからだ。何が優しさかなんて話に真実はないから、人それぞれの価値観で変わることだから、その人独自の持論が受け入れられるか否か。それが全てなんだろう。俺の思考は彼女の持論に拒絶反応は起こさなかった。
なんだか感慨深い気分になったけれど、それを伝えるには言葉が足りなくて笑い返すに留まった。



「ふふ…なら、君の中では優しい人になっておくよ」

「うん。そうしておいて。私が思う貴方は、優しい人だから。…少し意地悪でもあるけど」



優しい人、と繰り返されると妙に気恥ずかしくて、言葉に詰まる。笑みを含んだ“意地悪”という単語に、触れる余裕がない程に。それを知ってか知らずか。口元を緩めた彼女が顔を覗き込んでくるから、早急に話題転換を図ろうと、疑問に思ったことを口にしてみる。



「その、君のお母様って、今日の舞踏会に来ているって言っていた人?」



彼女から返ってきたのは沈黙だった。純粋な疑問だったのだが、詮索しないと決めた自分の規定に触れていると気付く。



「すまない。やっぱり、」

「ふふっ…」



何でもないよと続けるはずだった言葉は彼女の小さな笑いに遮られた。何が可笑しかったのかと怪訝に思っていれば、彼女は首を横に振った。掛けてあげた髪が、またはらりと頬に落ちる。



「何か変なこと言ったかい?」

「違う。貴方が妙に気を遣うから、なんだか可笑しくって」

「…気遣って笑われたのは初めてだよ。君にはつくづく俺が無神経に見えているようだね」

「そ、そんなつもりじゃ」

「ふふ、真に受けないで」

「……私は貴方の本気と冗談が判断出来ないみたい」

「それはそれでいいよ。からかい甲斐があって。」

「…本当に人で遊ぶのが好きだよね」



彼女は小さくこちらを睨む。正しくは、“人”ではなく、“君”なんだけどな。初対面ながら、彼女とのそんなやり取りが妙に面白い。そんな事を言ったらまた睨まれそうなので、肯定の笑みを送れば、呆れたような笑みを返してきた彼女は話の軸を元に戻した。



「舞踏会に来ている母と受け売りのそれとはまた、別の人」

「、」

「舞踏会に来ているのはお父さんの再婚相手。受け売りは、本当のお母さんから。…もういないけれどね」

「…そう」



それ以上、相槌の打ちようがなかった。別の人って、聞けば聞くほど複雑に思える家庭環境。
返す言葉を見失った俺を見透かしたように、そんなに複雑じゃないけどねと彼女は笑った。



「あまり重く受け取らないでね?もう何年も前のことだし、辛いとかそう言った感情はないから」



声とは不思議なもので、口調や態度を凌駕して感情を宿すものだ。彼女は一見してあっけらかんとしていて、確かに辛さや悲しみは感じられない。が、代わりに伝わってくるのは、寂しさや孤独感。…これは俺の感覚でしかないから真意は定かではないけれど、視線を落とす彼女の様子からして、あながち間違いではないんじゃないかと思って。



「でも、寂しそうに見える」

「…私が?」

「俺の勘違いかもしれないけどね」

「……考えたこともなかった…そっか、」



私、寂しかったのかな。その呟きと共に彼女は自嘲を溢した。よくわからないが、俺の言葉が彼女の虚を衝いてしまったらしい。
今掛ける言葉として何がベストかなんてわからない。ただ、言いたい言葉は浮かび上がったから、俯く彼女の頬にそっと左手を添える。そうすれば、弾かれたように彼女がこちらを見上げた。軽く見開かれた瞳が潤んで見えるのは、ダンスホールで煌めくシャンデリアの所為だろうか。



「、なに?」

「君はひとりじゃないよ」

「え…」

「少なくとも、今は」

「っ、」



彼女の置かれている環境なんて推測の域を出ないから、掛けた言葉が正しいかなんて解らないし、知らない。それでも、彼女がそんな言葉を求めているような気がしたから、俺は直感に従って言葉を放った。嘘にはなっていないはずだ。彼女は今現在、俺と一緒にいるのだから。
困ったように眉を下げた彼女は、小さく笑った。



「貴方はどこまで私を暴けば気が済むの?」

「なんだか聞こえが悪いな」

「一応、感謝しているの。…ありがとう」



嬉しかったと、はにかむように彼女は笑う。細められたその瞳から雫が落ちたのは、曲が終わると同時だった。





侵入少女が孕む影
泣かれるとは思っていなかったから、流石に動揺した。でもそのおかげで、曲が変わったことに彼女はまだ気付いていない。



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