見果てぬ先の甘い夢

真田先輩の手の中に収まる袋をひや冷やしながら見詰めた。確かに風紀を乱す物ではあるけれども、返してもらえるだろうか。明日であればあまりの数の多さに黙認されたかもしない、バレンタイン前日の今日。チョコレートの包みを運悪く、元風紀委員の人に見つかってしまった。…と言うと語弊がある。単純に拾ってもらったのだ。

放課後の廊下、目的の人物を探して歩き回っていた私は、ラッピングしたチョコレートを手にため息をついていた。これを渡したい相手がバレンタイン当日に人だかりの中心となることは目に見えている。しかも1つ上の先輩という事もあり3年生に混じらなくてはならない。そんなの気が引けてとてもじゃない、でもこのチャンスは逃したくない。来年は、もう同じ校舎にはいないのだから。
そうして考えた末、バレンタインの前日に渡すというフライング技を思い付いて実行していたんだけれど、これは失敗だった。当日であれば彼がどこにいようと見つけられただろうし放課後も遅くまでいることになるんだろう。けれど今日は普通の日である。そして渡したい先輩は、私のことを知らないのだ。連絡の取りようもなく、ひたすら校内を探してみたんだけれど見当たらない。
もう帰ってしまったのかも。とその包みをしまうため半ば乱暴に鞄を開いた時に、自分の腕が当たりうっかり包みを落としてしまったのだ。「落ちたぞ」とそれを私より先に拾ってくれたのが、真田先輩だった。しかし明らかに学校生活と関係のなさそうな包みに真田先輩の動きが止まった。現役の風紀委員でなくとも学校の規律を正す姿勢は立派だと思うのだけど、今回だけは見逃してもらいたい。


「あ、あの…」

「バレンタイン関連か」

「えっ」


和の要素しか感じられない真田先輩の口からまさかの“バレンタイン”。あまりの違和感に思考が止まりかけたけれど、この時期の風紀委員の議題によく上がるのかもしれない。だから真田先輩も“バレンタイン関連”と言っているのだろうか。
いや今はそんなことはどうでもいい。頷いたら没収されてしまうのだろうか。なんて不運な。フライングなんて抜け駆けみたいな真似をしたせいか、と落ち込み掛かった私の気を引っ張り上げたのは、突然割り入った声だった。


「こら、真田。人のとったらだめだろ」


その声の主の手が、真田先輩の手からひょいっと袋を救い上げる。私は思わず目を見張った。探していたその人、渡したい先輩。いつも遠目から見ていた柔らかな空気が私を内包出来るくらい近く、今、目の前に来ている。
不運だなんて、嘘だ。


「なっ、人聞きが悪いぞ幸村」

「真田もチョコレートが欲しいのかい?普通の男子に比べたら毎年もらってる方だろ、贅沢だよ」

「だからそんな話ではない!風紀を乱す物は、」

「そんな事言ったら当日なんて取り締まれるレベルじゃないだろ。たまたま見付かった子だけ没収なんて可哀想だなぁ」

「……それは前々から風紀委員の議題だ。目に付いた者だけでは俺も不公平だと思う」

「じゃあ解決してから取り締まりに来たらどうだい」


ってお前もう風紀委員じゃないけど。幸村先輩がそう笑えば、真田先輩が「改めて委員会に提議せねばな」と思案しながら踵を返した。どうやら用事の途中でわざわざ拾ってくれたらしく、幸村先輩と別れを交わして直ぐにいなくなってしまった。

目的の人物に出会えたことと、何より助けてもらったことが嬉しくて、つい頬が緩みそうになるのを堪えた。彼は、ふと笑って私に向き直る。


「せっかく用意したんだから、真田にとられてる場合じゃないよ?」

「と、取られたわけじゃ…落としちゃって」

「ふふ、うん。実は見てたんだ。はい、どうぞ」

「あ…ありがとうございます」


袋を持った幸村先輩の手はこちらに差し出された。渡したい人の手から渡されるとはなんとも不思議な気分だ。反射的に受け取ってしまったので、一旦私の手元に戻って来たそれを腕に抱えた。

袋を見詰めたまま、幸村先輩は首を傾げる。


「でも本来は明日だよね?」

「…渡したい人、明日はちょっと近付けそうにないので」

「あぁ、なるほど。人気なんだね」

「そ、そうですね…」


貴方なんですけどね。と心の中で苦笑した。表面で出ている笑みが不自然になっていないことを祈りたい。

そう、彼、幸村先輩に渡したいのだ。
けれどもこの思いは、恋と呼べる程甘く煮詰めた気持ちじゃない。確かに言葉で表してしまえば、幸村先輩が好き。でも先輩のこういうとこが好き、と言える程彼の内面を知らない。もっと漠然とした思いだ。


「…ふふ、」

「…?」

「いや、前倒ししてる子初めて見たなと思って」

「…幸村先輩でも初めてですか、やっぱり」

「俺でも?」

「たくさんの女の子からもらってるから、1人くらい…と思ったんですけどやっぱりいませんよね…」

「あはは、君が初めてだよ」


一瞬、見抜かれたのかと思った。しかしそれは私の思い過ごしだ。女の子達に詰め寄られる自覚は勿論幸村先輩にもあるはず。だからといって目の前の見ず知らずの後輩のチョコレートが自分宛だと思う程、彼は自惚れた人じゃない。
君が初めてと言う意味が、単にフライングしてるのを初めて見たという意味だと理解して、「そうですよね」と苦く笑って返した。言葉を返すまでに不自然な間が出来てしまっても、彼は笑みを崩さなかった。柔らかな雰囲気をいっそう広げるように目を細めて、「そういうのも悪くないんじゃないかな」と彼は言う。

幸村先輩のどこが好きって、雰囲気が好き。彼の纏う空気感にとても惹かれるのだ。
柔らかくてふわりとした穏やさの中に儚さを含む空気感。でもどこか凛としていて張りつめた空気感。相反する空気を混ぜ併せたような雰囲気は、幸村先輩独特のものだと思う。運良くテニス部のレギュラー唯一の2年生切原くんと同じクラスだから、用があってか時折訪れる幸村先輩をちらりと拝見することが私の楽しみだった。小さく笑いながら切原くんと会話をする幸村先輩はとても温かで、さっき真田先輩と話していた時はもう少し砕けた感じで楽しげだった。感情をおおっぴらにしない幸村先輩の心が、彼の纏う空気に一番表れてるんじゃないかと密かに思っている。

友達には中々理解してもらえないけれども、恋人になりたいとか好きになってもらいたいだとかはあまり考えたことがない。ただちょっと、その空気に触れてみたいと思ったのだ。雰囲気として眺めるだけでなくて、その空気に入ってみたい。私的幸村先輩愛とはそういうものなので、今回のチョコレートは「良かったら食べてください」程度の、ほんのちょっとの会話をしてみたいが為の口実でしかなかった。


「まだその相手は校内にいるのかな?」

「い…ます」


そのはずだったのに、展開が予想外過ぎた。真田先輩に拾われた時点で終わりだと思ったバレンタイン。復活したと思ったらそれは幸村先輩の手によって。渡したい相手を経由して戻って来た包みは最早役目を果たしている。真田先輩や切原くんに向けるのとはまた違う、穏やかな空気に今触れている気がした。あぁ、ちょっとどきどきするけれどすごく心地いい。念願の会話、空気に触れることが出来たから、チョコレートはお払い箱行きか。


「ふふ、ちゃんと渡せるといいね」


幸村先輩の言葉は、お父さんに回そうか自分で食べてしまおうかと考えだしていた私の思考をピタリと止めた。元々接点のない人相手じゃ渡しにくいし、会話が出来たからこのままバレンタインは終わりにしようと思ったのに。

渡したい人が他にいると思われたままなのはそれはそれでなんだか寂しい。


「あの、」

「ん?」

「助けて頂いて、ありがとうございました。それと、これ…良かったら食べ下さい」

「ふふ、お礼のつもりかな。気にしなくていいよ、ちゃんと渡したい人に、」

「い、いえ!…元々、幸村先輩に渡したくて、先輩を探してたんです」

「え…俺に?」

「…はい。1度、お話ししてみたくて口実に用意したものなんです、けど…。知らない後輩から貰うのもあれだと思いますから、お礼として受け取ってもらえれば…」

「そうだったんだ。じゃあ、遠慮なく貰おうかな」

「!ありがとうございます」

「ふふ、こちらこそありがとう」


ふわりと、幸村先輩の笑みが咲く。その眩しさに少し当てられつつも包みを差し出してみれば、先輩の大きな手がやさしく受け取ってくれた。もう私に戻って来ることはないだろう。元より、渡したい!という思いは強くなかったんだけれど、受け取って貰えたことにすごく嬉しくなっている自分がいる。…人は欲張りだとよく言うけれど、こういうことを指しているのかもしれない、と思った。空気に触れてみたい少し会話をしてみたい、から、受け取って貰えると嬉しいかも、となって、今はこれがきっかけで私を覚えてくれたら、なんて思ってしまっている。

私の、友達に理解されない幸村先輩愛はどこへ行ってしまったんだ。雰囲気として眺めるだけでなくて、その空気に入ってみたい。その程度の思いは、一体どこへ。

可笑しいな、今まで空気に入ってみたい以上のこと思ったりしなかったのに。そんな自分の気持ちと、未だに私の目の前に立ったまま去ろうとしない幸村先輩に内心首を傾げる。私が先に去るべきなのかなんて考え出した時、でも、と幸村先輩は口を開いた。


「君のことなら知ってるよ?」

「えっ?」

「いつも赤也がお世話になってるのって君だよね。授業中にフォローしてくれる隣の子、苗字さん」


切原くんの席は、窓際の一番後ろのベストポジション。自動的に隣の席は右側の私だけだし、居眠りしてる切原くんを起こしたりひっそり答えを教えたりもしているのも私だけだ。でも特別仲がいいわけではない。先生に起こしてやれと言われたら拒めないし、小声ながら全力で「答え教えて!」と手を合わされれば渋る理由も特にないだけで。

でもまさか、それが彼に伝わってるだなんて思いもしなかった。

私のこと、知ってたんだ。緩みそうになる頬に気付くと同時に、自分のことを理解した。
私の幸村先輩愛は、友達に理解されない思いなんじゃない。ただ単に、私が現実味のない願望を抱けないだけなのだ。幸村先輩を詳しく知らないから恋人になりたいと思わないというのも確かにあるけれど、一番はそんなの戯言にしか聞こえないから。クラスにもたくさんいる幸村先輩ファンが、名前で呼ばれたいだの彼氏にしたいだのと語らっているのを見ると、知られてもいないのによくそんなこと、と冷ややかな気分になる。だから、私にとって現実味のある思いとしての願望が、“雰囲気として眺めるだけでなくて、その空気に入ってみたい”なんてハードルが著しく低いかっただけのことで。それがクリアされれば受け取って貰いたいと思うし、またクリアとなれば自分を覚えて貰いたいと思う。そして、既に知って貰っていたとなれば。


「いつもすまないね。ふふ、お礼をしないといけないのは俺の方かな」

「い…いえ…!そんな、切原くんのことだし幸村先輩がお礼だなんて、」

「ホワイトデーのお返しってことのお礼なら受け取ってもらえるかい?一応、バレンタイとしてくれたんだよね」

「…はい」

「じゃあ3月14日、お返しするね。あ、」


13日の方がいいかな?
冗談めかして笑う先輩にからかわれて恥ずかしくなりつつも、胸が弾むような思いが心を満たす。想像以上に、惹かれる人かも。なんて頭の隅で思いながら、先輩のお返しがこの場限りの社交辞令ではないと確証が欲しくて、つい先手を打つように口を開いてしまった。


「でも先輩は、今年で…」

「うん。高校も立海だけど、この校舎とはあと半月くらいでお別れだね。14日に学校へ来れば、君に会えるかな?」

「わざわざ来てもらうの…。駅とかでも大丈夫です」

「あぁ、駅にしようか」

「はい。…もし、もしよければですけど、連絡先教えてもらえれば…」

「その方が確実だね。もちろん良いよ」


幸村先輩の連絡先、聞けそう。
心の奥で沸き上がる喜びを顔に出さないようには出来ても、意味もなく早鐘を打つ心臓を押し込めることが出来ない。どうしよう、すごく嬉しい。いやでも、喜び過ぎるのはよくない。彼の礼儀としてのお返しで、それをしっかり果たすための連絡先であって。過度の期待は後々苦しくなるんだから。そう頭で考えても、お返しをもらった後、あわよくば少しだけでも時間をもらえないかな、なんて無意識に思っている自分がいる。
私は現実味のある思いを叶えながら、どこまで行くのだろうか。見果てぬ先か、それとも直ぐそこで、叶わなくなるのか。

不安と期待がない交ぜになった気持ちを抱えながら、スマホを鞄から取り出した。




「うん、登録完了だね」
「…あの、やっぱり学校の方が便利ですか?」
「どうしてだい?」
「在校生からもらった分のお返しとか…幸村先輩は、皆にちゃんと返してくれるって聞いたのを思い出して…」
「今年は、誰からも受け取らない予定なんだ」
え、じゃあ私のはどうなるんだろう、と不安と驚きにぱちりと瞬く。幸村先輩は困ったように笑っていた。
「卒業後だと、お返しするのが大変だからね。後輩は学校に来ればいいけど、逆に同級生が渡しにくくなるだろう?」
「…そう、ですね」
「あの子には返して、あの子には返してないってのも悪いからさ。だから、君だけだからこそ駅の方がいいんだ。ふふ、」
特別だよ、なんて。悪戯っぽく笑う彼。後々苦くなる過度の期待も、今はただ、甘く感じるばかりだった。



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