恐怖すら侵蝕してみせよう

※ちょっと卑猥



時刻は午前0時を過ぎた頃、場所は2年の付き合いになる彼の部屋。カーテンを閉めきった真っ暗な空間に窓の隙間から転がるような虫の声が入り込む。その軽やかな音の合間に響くのは、心拍数が上がった私の荒い息と彼の乱れない呼吸。


「、…やっぱり…だ、め!」

「え?」

「も、やめよ…?」

「名前が誘ったのに」


ふっ、と息を吐いて精市はゆるく笑うけれど、私は全身強張ったままだった。両手で顔を覆ってふるふると首を横に振りながら拒否を示す。確かに私からお誘いしたことだ。でも、もうこれ以上は私がもたない。


「ぅ…っ、これ以上はわたし…しぬ…」

「大丈夫だよ。ほら、」

「っ…こわく、ない?」

「…それはどうかな」


私の手をそっと取り去り、絡められた精市の指を強く握り返した。
たっぷり数十秒黙り込んだテレビがチカチカと光り、次の瞬間の衝撃を予感して息を飲んだ。


「っ…!」

「見たかい?今の特殊メイク」

「…っ見てない見てない何も見てない!」

「陥没した顔とかも?」

「言わないで!もう今すぐテレビ消して!!この映画やめよう!あと電気付けて!!」

「電気付けたら雰囲気殺がれるよ」

「雰囲気殺ぎたいの!」


矢継ぎ早に催促しても精市は呆れた息を吐くだけでテレビの前から動こうとしない。ふたり掛けのローソファに座ったまま視線は液晶画面へと投げていた。映像を停止させようと思ってもリモコンは精市の右手が掴んでいるし、部屋の明かりを付けるにも電気のスイッチまで1人で移動するのが怖い。不気味な効果音に耳を塞いで精市にぴったりとくっつきながら、もう一度映画鑑賞会に幕を降ろしに掛かった。


「もうやだ怖い…なに今の気持ち悪い…ねぇ、やめようよ」

「名前がホラー映画にしようって言ったんだよ」

「こんな怖くてグロいと思わなかったの…!」


そもそもの間違いは息抜きと称してコンビニに行ったことだ。
夕方から一人暮らしの精市宅にて課題を広げ、じゃんけんで負けた精市が冷製パスタを作ってそれを食し、再び課題に戻って数時間が経過した頃に甘いものが欲しくなり私が立ち上がった。1人じゃ危ないからと精市と共にコンビニに向かって、帰りにレンタルショップへふらりと立ち寄ったのが間違いだった。


「でもこれ、ただ怖いだけじゃなくて話しっかりしてて面白いよね」


確かに妙にストーリー性があって序盤から引き込まれるんだけども、ジャンルは完全にホラーで中盤からはスプラッタ要素も中々強い。確かに面白い映画ではある。しかしホラーが苦手でスプラッタも得意ではない私には、怖いもの見たさの好奇心だけでは最後まで耐えられそうにない色々と。


「…精市ってホラー映画好きだったっけ…」

「いや。特別好きじゃないよ」

「じゃあやめようか今すぐに」

「えー、これ続き見たいよ。最後どうなるか気になるし」

「えぇぇ……、っ!?」


安易に視線を画面にやって後悔した。超美人だけど超おぞましい薄ら笑いを浮かべた着物の女性と目が合い、真夜中なので叫び声はなんとか押し殺して精市の首に縋り付く。


「…名前、この態勢はきついよ。あと見にくい」

「…」

「わかったよ。この態勢でいいからもう少しちゃんと俺の膝の上乗って?」

「全然わかってない…」

「とか言いつつちゃんと乗るんだね」

「…うるさい」


止める気がないのは十分理解した。こうなったら精市にしがみ付きながらひたすら耐えるしかない。私が乗りやすいように胡座に変えてくれた彼の膝の上へと移動した。ぎゅぅっと抱き付いて安心感を得ても耳が塞げない事に不満が募る。そのうちに地を這うような声が耳に届いて、私が悲鳴をあげたのは主人公の女の子と同時だった。


「っ…もっと音量下げて…!」

「十分小さいって。そんなに怖いなら何か違う事でも考えてなよ。明日の朝ご飯なに作ろうかなーとか」

「そんなこと考えたって気なんて紛れないし朝ご飯も私が作るって決まってない」

「今日の夜は俺が作ったから明日は名前だろ?」

「明日だってじゃんけっ…っ!!」


会話の途中でも耳に入るテレビの音に肩が揺れる。反応し過ぎ、とけらけら笑う精市。なんでこの人は怖がらないのか。不思議で仕方ない。


「じゃあもっと変な事考えたら?」

「変な、こと?」

「存在しないし見えもしない仮想の恐怖心なんだから、もっと現実的で猥雑な事考えれば気が逸れるかもよ」

「例えば?」

「今の態勢を体位で呼ぶなら対面座位だなぁ、とか」

「…体位で呼ばなくていいよ」


馬鹿、と精市の肩を軽く叩いたけど妙に、地に足がついた気分になった。確かにオカルトとセクシャルな話ってなんか温度差がある。前者は温かさを感じないどころか温度にすればマイナスだけど後者は感覚としてはなかなかの高温だ。そういえばこの態勢でしたことないかも。…って私も馬鹿だ。


「…名前?生きてる?」

「…生きてる。…変なこと考えさせないでよ」

「はは、考えたんだ?」


からかうような声を無視した所で再び不気味な音が耳に刺さって肩が大きく揺れる。見かねたのか、精市の左手が私の右耳を押さえた。


「…右だけ?」


精市の首筋に埋めていた顔を少し離して、横目に見た精市の表情は恐ろしく妖艶だった。テレビの暗くも強い光が照らし出すのは綺麗に弧を描く口元。視線は未だ画面を見たままで、精市は私の首筋に唇を押し当てる。


「んっ…」


ちくりとした痛みに思わず漏れた声に満足気な気配が首筋に掛かった。唇が離れたかと思いきや、今度はぬるりとした感触が肌を這う。くすぐったいような、何かを煽られるような、そんな感覚に精市の背に回す手に力が入った。


「左も塞いであげるよ」


首筋を下から上へと伝ってくる、ざらりとした温かく湿った舌は耳へと辿り着く。それが一旦離れれば、耳朶へと歯を立てられたのがわかった。じんわりと甘噛みされて、今度は唇で食むように。どくどくと、映画とは関係なしに心拍数が上がっていく。
そうして外堀からゆっくりと侵蝕され、とうとう耳の真ん中まで侵される。神経を通じて全身を這う逃げ出したくなるような感覚がつま先まで届いて肩がすくんだ。身を退こうにも後ろはローテーブルがあるし、右は精市の手によって動けない。


「ぁ、…ちょっと…っ」

「左も塞いで欲しいんだろ」

「手で良か、…それっ…やめ、」

「ふふ、イヤ」


耳元で落とされる子供染みた拒否はとても扇情的で、つい応えるかのように精市の肩に唇を当てる。すっかりほだされてしまった私は、同じように精市の鎖骨にキスを落とした。右耳を押さえる大きな手と鼻を掠める精市の匂い、耳朶を濡らす熱い舌が、先程まで私の全てを縛っていた恐怖心を融解していくようで。


「は、…変なこと、考えてると。本当に怖くなくなるね」

「、名前」

「っ?ん、」


唐突に身を退いたのは精市。視線が絡まるのも一瞬ですぐに唇が合わせられた。触れるだけのキスは刹那に終わり深いものへと変容していく。絡められる舌の熱さに、次第に感覚だけの世界へと沈み始める。精市の存在だけを貪欲に感知する世界へと私の全てが落ちていくようで。
右耳を塞いでいた手は後頭部へと回ったけれど、もう精市の息遣い以外何も耳に入らなかった。



「っねぇ……映画、は?」
「どうでもよくなった」
「…続き気になるって言ったじゃん」
手のひらを返した精市に口を尖らせてみても柔く艶やかな笑みが返ってくるだけ。私の顎に指を添え、片方の手で腰を撫でた精市は熱っぽく囁くように問いかけた。
「それより続きならこっちがいいかな。どうだい?」
「…なに、選んでいいの?」
「続行以外に選べるのなら。」
「…」
沈黙を返せば精市は満足気に笑って、私に口付けながら器用にリモコンでテレビを消した。



(140722)

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