初茜の想ふ期待

年越しを会社で迎えるなんて思ってもみなかった。
こうなったのも仕事納め直前に同僚のミスが見つかって、巻き込まれる形でデスクに逆戻りとなったおかげである。まぁ別に、正月だからって私に大して意味はないけれど。強いて言えば両親が実家に帰って来いと言っていることくらいだけども、同市に住んでる訳でやっぱり特別な意味はない。

漸く解放されたと思ったら、なに、もう1月1日?あと数時間もすれば初日の出が見られるだろうけど、その頃にはきっと私は夢の中。朝日より今何が欲しいって、休息だ、睡眠だ。

住んでいるマンション付近は道が複雑で案内が面倒だったので、家の最寄り駅まで同僚に車で送ってもらい、深夜の静まり返るいつもの道のりをとぼとぼ歩いていた時だった。


「今帰りかい?」

「っ、びっくりしたぁ…」

「あぁ、すまない」

「…幸村何してんの、こんな時間に」

「それはこっちも聞きたいよ」


突然、私の真横に一台の車が止まり、運転席の窓が降りたかと思えば声を掛けられた。時間が時間なだけに恐怖が先に立ってしまい思わず息を飲んだが、見知った人物だとわかれば身体から力が抜けた。安堵の息を吐きながら、見上げてくる目に仕事帰りなのと返せば、その瞳はまん丸くなる。


「え、仕事?飲み会か何かじゃなくて?」

「ちょっと色々あってね。…本当は2、3日前には仕事納めだったんだけど」

「あぁ…それはお疲れ様」


職種に差はあれど、私と同じ会社員の幸村ならなんとなく察しは付いたんだろう。労いの言葉をくれた彼は、乗って行きなよと助手席を指さした。


「送ってく」

「ありがとう。でもいいよ、もうすぐそこだし」

「…少し付き合って欲しい場所があるんだ。家まで送るのはその後になる。…駄目かな」


そう言われしまっては、駄目だなんて、疲れているだなんて言えなかった。これが幸村以外の人間だった場合、真っ直ぐ家に帰る事を選択していただろう。けれども彼の誘いには、私は例外なく乗ってしまうのだ。別にこれくらいの贔屓は当たり前。だって、好きな人なんだから。

幸村には疲労を見せない様に笑顔を向けてから、助手席へと乗り込んだ。暖かな車内に自然と息が洩れる。


「ふぅ…あったかい…」

「ふふ、鼻赤いよ」

「…寒かったの。見ないでよ」


幸村がくすくすと笑うものだから、まだ冷たい指先で鼻を覆った。車は滑らかに走り出す。

幸村とは大学が同じで仲良くなり、彼を通じて知り合ったテニスサークルの面々とも交流が出来、時が経ち就職した今でも飲み会なんかに誘ってくれる。忘年会なんかはつい最近の話だけども、あくまで友人としての付き合いでしかない。当然だ、恋愛感情だと自覚してからまだ1ヶ月未満なのだから。


「そう言えば幸村、何してたの?」

「何って、苗字のマンション目指してたんだよ。マンションの下に着いたら電話掛けて、3回コールして出なかったら諦めようと思って。そしたら道歩いてるだろ?びっくりしたよ」

「そうだったの。いや私もびっくりしたってば。」

「ふふ、だろうね」


そんな会話を笑いながら交わしていれば、疲れなんてものはすっかり霧散してしまった。しかしそれは精神面で、蓄積された体に残る疲労感やそこから生じる眠気は、簡単には消えてくれない。ふと会話が途切れれば、一瞬にして睡魔に襲われる。もっと話していたいのに、まだ目的地がどこだか聞いていないのに。
暖かな空間と小さく流れるクラシックに、瞼が自然と落ちてしまった。


「それで後2時間くらい走って……苗字?」

「……」

「ふふ、お休み」


意識と無意識の狭間で聞こえた声が、現実なのか夢なのか、私には定かではなかった。



* * *



ぷっつりと、眠りの糸が切れるのを感じて瞼を上げた。私の座席の背が少しばかり倒されていて、胸の辺りから掛けられていた男物のジャケット。目覚めて最初に気付いたことは、彼が気遣ってくれたことだった。
エンジンが付いたままの暖かな車内には、私を眠りに誘ったクラシックが流れる続けている。けれども、運転席に彼の姿はなくて。


「、さむっ…」


外との温度差で曇った窓ガラスが小さくノックされたので、膝に乗せてあったコートに袖を通しながら車外へ。想像以上の寒さに眉をひそめてしまう。コートのポケットに手を突っ込む幸村を見て、ジャケットは、と訊ねるのはやめた。幸村は、おはようと笑いながら、半端な着方になっていた私のコートを引っ張った。


「ちゃんと着た方がいいよ」

「ん。あ、ありがとね、ジャケット」

「いや。…ごめん、疲れてるのに付き合わせて」


どこかの山の、中腹あたりだろうか。すれ違うのが厳しそうな一車線の山道の脇、車二台分の駐車スペースと寂れたベンチが1つあるだけの場所に私達は立っていた。そこから眼下に見えるのは所々を霧で覆われた木々、視線を上へと移せば日の出を予知させる薄明かるい空だった。

申し訳なさそうな表情でその空を見詰めていた幸村に、平気だよと軽く背中を叩きながら笑い掛ける。


「眠ったらすっきりしたし。…私、結構寝てた?」

「まぁ、2時間くらい走ったからね」

「ここどこ?神奈川?」

「あー…この山って…何県なんだっけ」

「知らないの?まぁいいけど」

「うん、忘れた。…この山からさ、」


日の出が綺麗に見えるんだよ。結構山頂には人がいたりするんだけど、こういう小さな休憩所にはあんまりいなくてさ。でもこの辺からも見えるんだ。ちょうどこの方向が東にあたる。
そうして幸村の指が、今向き合っている空を指差した。

休息を優先させようと諦めたはずの初日の出が拝めるらしい。良い1年になりそうかも、なんて安易な理由から2014年を予感したりして。でも年を越して数時間で、一番初めに会ったのが幸村なんだから案外、捨てた予感でもないかもしれない。
…しかしがっつり寝すぎたなぁ。一つには滑るような走りをする運転手にも問題があるんだよね。と、爆睡の言い訳を考えていれば、あ、と何かを思い出したように幸村が声をあげた。


「すっかり忘れてた」

「なにを?」

「ふふ、苗字も忘れてる。…あけましておめでとうございます」

「あ、本当だ忘れてた。おめでとうございます。今年もよろしくね」

「あぁ、こちらこそ」


すっ飛ばしていた新年の挨拶を終えれば、幸村は腕時計に目をやった。日の出の時間まではもう少しあるらしいけれど、日の出前の空は、とても美しかった。疎らに曇を浮かべた東の空はぼんやりと色付き始め、なんとも幻想的な茜色。


「わぁ…きれー…」

「ちょっと、危ないって」


思わず身を乗り出して、気持ちばかりの転落防止用の柵に手を付けば、慌てた様子で肩を引かれた。大丈夫大丈夫と目を空に向けたまま返せば、呆れを含む笑みが聞こえ私の肩から手は離れる。その手は元の位置、彼のポケットへは戻らなかった。見なくとも、体温で察しが付いた。柵を掴んでいる私の手の甲へと重ねられている、と。真意が知りたくて横目で幸村を盗み見るも、彼の瞳は初茜の空を見詰めるばかり。


「…苗字、さ。彼氏でも出来た?」


突然の問いに幸村の方へと顔を向けてしまったけれど、どうやら彼にはこちらを見る気はないらしく正面を向いたままだった。顔を空へと戻して、彼の手が重なる手をひっくり返す。掴むべくは柵なんかではなく、その人の手。


「いたら、こんな事しないよ」


ぎゅっと握れば、絡めた指から少しの躊躇いが伝わってくるようで。「そっか、」と言った幸村の声音には安堵が感じられた、なんて。これは願望。


「…なんで、そんなこと聞くの?」

「最近、ずっと思ってたんだけど」

「うん」

「苗字、綺麗になったよね」

「、」


幸村が褒めてくれるのは、珍しいことじゃない。昔から、髪型を変えれば可愛いと言ってくれたし、新しい服だと言えば似合うと言ってくれた。だからありがとうと、いつも通り返せばいいのに。

期待が胸を圧迫して、上手く声が出なかった。


「女の子は恋をすると綺麗なるって言うだろう」

「…言うね」


私のマンションに向かっていたことも、ここへ連れてきてくれたことも、小さな気遣いも、この手も、言葉も。彼の言動全てに。どうしようもなく、胸が高鳴る。


「その原因が、俺なら良いなって思うんだ」


これが期待損なら今すぐ消えたい。そんな事を思い目をぎゅっと閉じた、そんなタイミングで、幸村は言葉と共に私を引き寄せる。びっくりして目を張れば、日の出直前の、初茜空が彼の肩越しに広がっていた。もうすぐだよ、と口に出す程、雰囲気というものがわからない訳じゃない。スポーツマンだった名残である、未だ逞しいその腕が私を包んで。


「俺、苗字のこと、」


よくよく考えれば、幸村が私の期待に応えてくれなかったことなんてあったろうか。友人という関係性での話だけれど、いつでも私の期待値を軽々と越えてしまうのが、彼だっただろう。そう気付いたのは、私が待ち望んだ言葉を、彼が囁いたと同時だった。改めて、よろしくお願いしますと彼の背へ抱き着くように腕を回した。



初茜の想ふ期待
ほら。やっぱり今年は、良い年になる。


(140101)

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