紺に留まりて染むこゝろ(後)

「食事はどうだい?」

「あ…えっと…」

「欲しくないのならやめておこうか」


とても食事が喉を通るとは思えない。しかし断り機嫌を損ねて私自身が食材になりはしないかと考え出したら言葉に詰まってしまった。私の返答を待っていた幸村はさして気にした様子もなくあっさりその選択肢を消し去った。なんだか、心を読まれていやしないかと不安になってくる。そういう能力があっても不思議ではないが、私がまだ生きているあたり多分大丈夫なんだろう。鬼を倒したいならもう少し鬼について情報収集するべきだ、あの村は。いや情報収集しないんじゃなくて、出来ないのかもしれないが。


「でも、貴方は」

「俺は大丈夫かな。君に必要かと思って聞いてみただけだよ」


気遣われた事にまた戸惑う。じわりと心臓が動く。でも嫌な感じではない、これは一体なんだろう。肯定されることも、気遣われる事も、私の存在を認められている様な扱いに慣れていないだけだろうか。


「独りだとたいして空腹も感じなくてね」

「ひとり…」

「ふふ、誰かいるように見えるかい?」

「…いいえ。ずっと?」

「あぁ、ずっと独りだよ」

「…寂しくは、ない?」

「ないね」

「…強いのですね」


ぱちりと幸村が瞬きをする。そんなことを言われたのは初めてだ、と彼は困った様な、どこか嬉しそうにも見えるような表情で曖昧に笑っていた。

寂しくないなんて、私には断言出来ない。でもずっと独り、それは私と同じ。…だめだ、心を寄せてはいけない。私は鬼を殺して、名誉を手に入れるんだ。そして独りではなくなるんだ。利己的な思いで彼を殺すこととなるが、これは私が得たチャンスなのだから。

自身に暗示を掛けていた私に彼は呼び掛けた。


「もう遅いし、そろそろ眠ろうか。寝床は一つしかないけど、一緒でいいよね?」


そう言って幸村は布団を捲った。簡素な寝床だが二人くらいは余裕で収まる。
そこへ横たわりくるりと背を向けたのは幸村の方だった。拍子抜けして思わず「え、」と声が漏れる。


「ん?なんだい?」

「いや、あの…何も、しないのですか」

「…ふふ。何か、して欲しいの?」

「そう言う意味ではっ…」


上半身を起こし私に向き直った幸村は口角を上げながらそう問うた。
何もしないのか、なんて問うべきではなかった。彼が眠ればそれで良かったのに。概括的な計画が形を無くしていくような感覚に、次の手がわからなくなる。


「―――その刃を俺に突き立てるには、何か疲れさせるようなコトをする必要があった?」

「っ!、な…離して…!」

「けれどそれはあまり賢くないかな。体力を消耗するのはお互い様だ。寧ろ女性の方が負担なんじゃないのかい?」


咄嗟に懐へ伸ばした手は幸村に掴まれてしまった。どんなに振り払おうと腕を引いてもびくともしない。それどころか逆に腕を引っ張られおかげで布団に引き倒されてしまう始末。

しまった、気付かれていたなんて。どこで、と一瞬にして記憶を辿り、その場面は直ぐに思い起こせた。あの時、か。私の喉に触れた指、それが下がっていった先は。あれは胸に触れたのではなく確かめていたんだ、この刃を。

これまでかと思う反面、遣り切れなさに私は声を上げた。


「わかっていたのならっ、どうして…!」

「君みたいなことを言ってくる子は初めてだった。だからちょっと付き合ってみただけだよ」

「は…そんなはず…」

「さぁ、遊びはここまでだ。君の望みはなんだい」


二度目の問いだ、意味がわからない。それに、私が初めて?どう言うこと。


「言ってごらん。可能なものなら叶えてあげる」

「い…言ってる、意味が…」

「そのままの意味だ。なまえは何を望んでいるんだい?俺を殺して名誉を村に持ち帰ること?ただ村へ無事に帰ること?それとも、新たな地で人生を切り開きたい?」

「、え…?」

「残念ながら一番目のは叶えてあげられないんだ。殺される気はなくてね」


だめだ意味が理解出来ない。確かに歴史書に残る“桃太郎”は望むもの…富と名誉を手に入れたが、私はまだ彼を、鬼を倒していないのに。
だと言うのに、私を見下ろしてくる幸村はまた、望みは?と問うのだ。彼に拘束されたままの腕には最早抗う力が入らない。


「ま、って…今までの子達はどうなって…」

「ここに来た女の子達はまず『死にたくない』と言うんだ。同じ様に何を望むかを問えば皆一様にして“新たな地”を選ぶ。一部の男もそうだ。だから舟を用意して島の反対側に出られるように、」

「助けてるって…言う、の?」

「ん?まぁそうなるのかな。ここに来るのは皆可哀想な子達だ。天涯孤独で縛りなんてないはずなのに小さな村の中では居場所がない。君もそうだろ」

「……」


黙り込んだ私に、彼は慰めるかの様な優しい声音で続けた。


「でも居場所がないと言うことは、そこへ帰る必要性もない。だから皆新たな地に焦がれるんだ」

「じゃあ…戻ってきた一部の男達は。脱け殻みたいだって…貴方の仕業なんでしょう…?」

「脱け殻、ね。的確かもしれないな、人において五感は全てだから」

「五感を、奪ったって…?」

「俺を殺して名誉を得たいと言って聞かないから、そうするしか外ないだろ。殺すのは趣味じゃないし、自分の首を差し出してまで望みを叶えてあげる義理はない。“脱け殻”をここに置いといても仕方ないから舟に乗せて沖に流してるんだ。潮の流れ的にちゃんと村に着いてるだろう?」

「でも…、じゃあ…た、べたりしないの…?」

「はは、それはどう言う意味でかな」


混乱からとうとう舌まで回らなくなって来たらしい。拙い音声で投げ掛けた問いに彼は可笑しそうに笑いながら答えた。


「別に肉を喰らう趣味もないし、変な意味でも食べたりはしてないよ」


鬼と言うのは害なんじゃないのか。いなくなった子達は偏見の目が向けられる村ではないどこか知らない地で自由に生きてる、と?これではまるで人間の方が害なんじゃ。今まで信じていた現実が突然覆り、頭が真っ白になる。
放心した私を流石に彼も心配になったんだろう。「大丈夫かい?」と柔らかな声が反響して耳へと溶け込む。手の甲で私の頬に触れた幸村は困った様に眉を下げた。喉に触れらた時は気にしている余裕がなかったが、とても温かな手をしている。


「なまえは…名誉が欲しかったのかな。でもそれは俺にもあげられないんだ」

「…違う。名誉なんて、いらない」


名誉を道具にして孤独から逃れようと思っただけ。でもこのまま村に帰る理由なんて一つもないし、帰りたいなんて思えなかった。かといって、他の“桃太郎”達みたいに新たな地で一から生きていく気概も持ってない。望みは、と問われて困惑する一番の理由は、自分が何を望んでいるかわからないからだ。冷たい孤独の中の独りが嫌だと言う事しか私にはわからない。それしか思って生きてこなかった。

望みって、何。独白の様に落とした言葉に幸村は少し考える素振りを見せた。そうしてから「じゃあ、」と口を開く。


「なまえにはもう一つ、提案してあげようか」


村に帰ること、新たな地へ行くこと、それともう一つ。

すっ、と彼は上体を倒した。覆い被さる様にして縮まった距離に息が詰まる。そして彼の声が私の耳朶へと囁いた言葉はましても飲み込みにくいものだった。


「ここに残ると言うのも、一つだ」


つまりこの島で、この鬼と…幸村精市と、暮らすと言うことだろうか。あまりに現実離れしたような提案に言葉が出てこない。
確かに美しい男だ、良い鬼であることにも違いない。だがいつ喰われないともわからない。肉を喰らう事が趣味じゃなくとも相手は鬼だ、どうなるかは全く保証されていない。少なくとも、殺す主旨である事を理解しながらも普通に会話をして、殺す主旨で来た私に残る事を許可する辺りやはり通常の思考とは思えない。人ではなく鬼だから、と言われてしまえばそれまでだが、それで納得出来る程鬼について知らないというのに。

それなのに、心が揺らぐ。理由はわからない。だがどうしようもなく揺さぶられる、これは一体。


「たまに酔狂な女の子がいてね、ここに置いてって言うんだ。でも独りの方が楽だからいつもは断ってる。だから君は特別だよ」

「…貴方が、綺麗だからだと思う」

「ふふ、有難う」

「でも、どうして、私…?」


困惑を抑えきれないまま言葉を返せば、彼が少しだけ頭を上げる。正面に捉えた美しい顔は鼻が触れそうなほど近い。幸村の大きな手が私の両頬を包み、そうしてコツリ、と小さく互いの額がぶつかった。


「さあ、なぜだろう。気に入ったからかな」

「…私、を?」

「俺は独りでも構わない。でもなまえとなら二人でも悪くない気がするんだ。特別な理由はないけど、必要もないだろう?歓迎するよ」

「…私まだ何も」


答えてない。それを声にする前に、焦点の合わない視界の中で彼がとても柔らかく笑ったのがわかった。


「理由を訊ねると言うことは、その気があると言うことだろう?」



紺に留まりて染むこゝろ
そうして鬼との共同生活が始まった。今のところ喰われる様子はない。毎朝手足を確認している私に彼は苦笑を溢す。
「おはよう、なまえ。だから人間を喰らったりしないって」
「おはよう精市さん。ごめんなさい、つい」
「まぁいいけどね。今日は天気が良いから島の裏側を案内するよ、今の時期は花がとても綺麗なんだ」
「うん、行く」
不思議と恐怖はない。それどころか冷えきっていた心が、温かく感じる、様な気さえする。生憎その温かさを体験した事がないから気のせいかもしれない。でも。
「なまえ、手貸して。この辺足場悪いから」
「…う、ん」
「ふふ、君も照れたりするんだね」
この手の体温は、間違いなく私を温めてくれている。もう手足の有無を確める必要はないのかもしれない。



――――――――――――
50000hit追記にてひっそりフリリク2/2|ナツ様

大変お待たせ致しました…!!兎に角お詫び申し上げます…遅くなり申し訳ありませんでした。
言い訳になるのですが、色んな設定を考えました。最初はヒロインを鬼で、と思っていたのですが桃太郎感が皆無すぎて、桃太郎を押し出して幸村を桃太郎に据え猿(真田)、雉(柳)、犬(赤也)のゲスト出演させると収拾の付かないわちゃわちゃ感に悩み断念しました。結局幸村に鬼を交代してもらい“桃太郎のお話が実際にあった史実として受け継がれてる村”という設定になったのですが桃太郎パロと言えないレベルの捏造ですみません…。一環してシリアス、ヒロインが重め、オチも甘いと言いにくい…。
桃太郎にも色んな説や評価があるな中、「桃太郎の方が悪者ではないか」と言う意見をベースにしたお話でした。因みに「紺に留まりて」は留紺の色名を表すものでした。
あまり甘く終われている気がしないのですが、少しでも楽しんで頂けていれば幸いです。リクエストありがとうございました!

14.11.03 迅樹

留紺…黒にはならずもうこれ以上濃くならないという意味で「留」、藍色の中で一番濃い紺色

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