3時間目と4時間目の休み時間も残り1分を切り、少しずつ自分の席につき始めた頃。私も同じように席まで戻る。次の授業の準備をまだしていなかったことを思い出して、着席する前に机の中から教科書を引っ張り出す。そうすれば、隣の彼が私を呼んだ。 「紫音、歴史の教科書貸してくれない?」 「え、なんで…」 「俺忘れたんだよね。だから、貸して」 「……」 この可笑しさにお気付きだろうか幸村くん。同じクラスの私に次の授業の教科書貸してって。なんだかとても変な要求じゃない? 02.些細な事で (自惚れてしまいそう) 「…私、歴史の教科書1冊しか持ってないんだけど」 「何言ってるの?それが普通だろ?」 「………」 「ほら早く。チャイム鳴るよ?」 「いや、急かされても困…」 「あっ!」 私の言葉を遮って、驚いた表情で幸村くんが窓の外を指さすから、つい、そちらへ視線を向けた。え、なに。そう口にしながら視線を戻せば、自分の机の上にはノートとペンケースだけ。さっき引っ張り出した歴史の教科書がない。代わりに、幸村くんの机の上にはさっきまでなかった歴史の教科書がある。 やられた…初歩的なものに引っかかってしまった。ちょっと酷いよ、絶対あれ私のだよ。幸村くんは相変わらずの笑みをたたえている。 「ちょっと幸村くん―――」 「おい彩木、チャイム鳴ったぞ。いつまで立ってるんだ」 「…え、鳴った?」 「…お前はあんなデカイ音も聞こえないのか。とりあえず座れ。授業始めるぞ」 「あ、はい」 チャイム鳴ったの?嘘、全然気づかなかったんだけど。ていうか先生、いつ来たの?等の疑問は押し込めて。日本史の先生に逆らっても仕方がないので私は促されるまま席に着いた。 私の返しに先生は呆れ、クラス中がどっと笑う。幸村くんのせいでいい晒し者じゃないか、全く。 「今日は…昨日の次のページだな。じゃあボケッしてた彩木、読んでくれ」 「え、いや…あの、遠慮します」 「当てられてその返事はおかしいだろ」 それでも遠慮したい。今、私の手元に教科書はないのだから。元凶は隣で小さく笑っている。 「忘れたのか?」 その質問は非常に答えにくい。幸村くんが持ってます、だなんて恐ろしく言えないし。肯定も否定もしない私に、まったく…とため息混じりに言うところを見ると、肯定としてとられたようだ。とりあえず、すみませんとだけ言っておく。 普通ならこれで、代わりに教科書誰かくれる奴―――とか言って授業が始まるのに、今日は違った。 「せんせー。俺も教科書忘れたんで、隣の奴に見せてもらっていいですか?」 「飯野…お前もか。…西条がいいって言うならな」 「西条、いい?」 「うん、いいよ」 「よし、彩木。お前も幸村に見せてもらえ」 「え」 「いいか、幸村?」 「ええ、構いませんよ」 「よかったな。じゃあ彩木、教科書読め」 「え」 早くしろよーと急かされて、仕方なく従うことにした。釈然としないけれども、幸村くんから自分の教科書を受け取り指定されたページを読んで着席した。その部分に先生は説明を加えながら授業を進める。 …どうしてこんな事になったのか。ひとつには、飯野だ。どうせ西条さんが好きなんだろう。飯野の隣の西条さんは可愛くて、男子からの人気が高いから飯野もその一人と見た。飯野の発言とか、西条さんの可愛さと優しさとか、先生の隣がOKなら教科書見せてもらっていいっていう思考とか、沢山の理由が重なって現状に陥ったわけだけど…。一番の原因はやっぱり、私の真横で笑ってるこの人だよね。 「幸村くん、何笑ってるの」 「いや、だって…はは」 こんな展開になるなんてね。そう言いながら幸村くんは本気で笑っている。なるべく声を発てないように、口元に手を当てて笑う姿はとても綺麗で。今はそれが余計に腹立たしい。 「誰のせいだと思ってるの」 「俺だね」 「………」 「ま、いいじゃない。教科書なしで授業受けなくて済むんだから」 「じゃあせめて真ん中に置いてよ、見えない!」 「仕方ないなぁ」 仕方ないって。それ私のなんだけどわかってるのかな。だいたい教科書忘れたなら違うクラスの人に言ってよ、顔広いじゃん。それに知らない人でも女子なら貸してくれると思う。柳くん風に確率で言うなら95%くらいは貸してくれるんじゃないのかな。 そんなことをなんだかんだ考えていたら黒板には文字が一杯。私は慌ててノートに写していき、半分ほど書き終えた時。ちらり幸村くんの手元を盗み見ると、綺麗な字がノートを埋めていた。私よりも大人っぽくて、少し癖のある綺麗な文字はとても彼らしいと思う。そのまま少し視線を上げると、文字を書くときの伏し目がちで綺麗な横顔が間近で見えて、 「っ!」 私は慌てて視線をノートに戻した。彼の艶やかな髪と同じ藍色の瞳、ノートに向けられていたそれと視線がぶつかったからだ。 「ふふ、何を慌てているの?」 「だっ、ていきなりこっち向くから」 「紫音が俺の方見てるからだよ」 そう言われ、私は真っ赤であろう顔を隠すよう俯くことしか出来なかった。堂々と、ではなく小さく盗み見ていた事で余計に羞恥を煽る。なんだか妙に恥ずかしい。横から小さく、ふふって聞こえたけれど、その笑い声に反論する余裕なんてなくて。 幸村くんの言葉からすると、私が先みたいな言い方。でもそんなに長い時間見てた訳ではないし、直視していた訳でもないから視線に気付かれたって事は、あまり考えにくいんだけどな。もしかして、私の方を見てくれたのかな、なんて確信のない事で自惚れてしまいそうな自分の思考に自嘲した。 09.XX.XX 13.01.20(加筆修正) (back) |