real intention | ナノ

紫音の様子が少し変だと思ったのは昼休みからだった。彼女は唐突に席を立ち、教科書を借りに行くのだと理由付けた。6時間目はLHR、教科書を必要とするのは次の世界史。他クラスの友達に世界史の教科書を貸していたけど、返却はされていたはず。一体、なんの教科書だろうか。

へぇ、と見上げた紫音はばつが悪そうで、俺に隠したい何かがあることを報せてくれる。彼女が敢えて言い訳をたてているのだから、あまり問い詰めては困り果てるだろう事は想像に容易い。それを見ているのも可愛くて面白いけれども、そこそこで引いてあげることにした。
…あまり、踏み込み過ぎるのも良くないだろうから。身勝手にも少し寂しく思う半面、適当な言い訳すら穴がある彼女が愛しくも思う。嘘を考えるのが下手で、合わせる事も上手く出来ないところはこの関係性を始める前から変わらない。



14.人のふりみて
(近しい人は鏡だと)
(よく言うけれど、)




そうして始業ギリギリの時間に戻って来た紫音へと声を掛ければ返事はあるものの見せる笑みは薄く、どこか上の空。そんな彼女を怪訝に思っていれば始業を報せるチャイムが鳴った。

紫音は何かを思案している様子だけど、授業に集中している感じもしなかった。どうかしたのか、という問い掛けは飲み込むしかない。…それを訊ねていいのか俺には解らない。紫音にどこまで立ち入っていいのか、解らないんだ。彼女は俺が見透かしてるだなんて言っていたけど、実際の俺は紫音が何を考えて何を思っているのかなんて、なにひとつ知らないんだ。知りたいとは思っているけど、隠している俺に知る権利があるだろうか。

そんな事を考えて、内心息を吐いた時。ふと、視線を感じてそちらに顔を向ければ、紫音と視線がかち合った。それでも彼女の瞳はこちらを見詰めたままで目は逸らされない。
その珍しさと彼女の様子に首を傾げながら、呼び掛けてみる。


「……紫音?」


そっと名前を声に乗せてみても、一瞬瞳が揺れるだけだった。具合でも悪いの?と紫音の額へと手を伸ばす。熱があるんじゃないかと思ったから、というのは後付けの理由でしかない。本当は、紫音の纏う空気感が弱々しくて、消えてしまいそうな錯覚を起こしたからだ。存在を確かめたくて触れた俺のその行為をただ見ているだけで、彼女が慌てたりもしないものだからそれが余計心配になってくる。


「大丈夫かい?気分が悪いなら、」

「…ううん、大丈夫」

「でも、」

「大丈夫だよ。…本当になんでもないから」


彼女の淡白な声音には、思わず言葉に詰まった。何かをひた隠しにされるのはこんなにも苦いものなのか、とやるせなさが胸中に拡がる。

あぁ、結構寂しいものだな。俺はずっと、紫音にこの態度を取っていたのだろうか。紫音はどう感じていたのだろうか。全ての感情をひた隠しにするために、あの日から置いたこの距離を、彼女はどう思って。

沈み始めた思考を慌てて引き戻す。大丈夫ならいいけど、と言葉を紡いで顔の向きを黒板へ戻した。俺がどうこう言う言葉もなければ権利もない。
なんとなくだけど具合が悪いようには見受けられないから、これ以上介入するのはやめよう。そう戒めを立てていれば、小さな声での謝罪が耳に入った。


「……幸村くん。ごめんね」

「何謝ってるんだか。…こっちこそ、踏み込んでごめん」

「っ、」

「ふふ、途中で倒れられても困るよ?」

「、うん。…ありがとう」


ありきたりな配慮を示す台詞しか浮かばなかったけれど、横目で見やった紫音がほんの少しだけでも口元を緩めたので内心ホッとした。
授業中に交わした言葉はそれが最後だった。



休み時間に入れば、先程より穏やかな声が俺を呼ぶ。気分は回復したのだろうか。少しだけ安堵しながら会話を進めれば、珍しく紫音から帰りのお誘いだった。
珍しいそれには理由があるだろうと思いはした、けれど。


「…あの…3週間前のことで…」


まさか、それが出てくるとは思ってもいなかった。

別れ話だろうか。俺の曖昧に見せ掛ける態度に、とうとう愛想を尽かされたかな、なんて。紫音の言葉の意図を考えてみるけれど、出てくてる推測は主観的かつマイナスなもの。

冷静な振りで回す思考に追い付かない心が笑みを硬くする。少しだけ窺うように紫音を見ても、彼女の様子から心情を測ることは出来なかった。


「…話があるってことかい?」

「…うん」


何故今更、あの日の事に触れようと思ったのか。…紫音はあの日から、俺をどう思って見ているのか。俺には紫音が思想している事が一切わからなかった。


―――でもそれは、昔からではないんだ。

付き合う前は紫音と会話を重ねているうちに、俺に対して彼女が徐々に好意を向けていることには気付いていた。
人より幾分か他人の感情に聡い自覚はあったから、紫音が言葉を飲み込んでも何を言わんとしていたかはだいたい推察出来たし、言葉の意図にも察しがついた。彼女の好意に気付くのも、その好意が表面的な俺へと向けられていると知るのも、俺には自然なことだったんだ。

だから、今が不自然だと言える。紫音が何をどう考えて、その言動に繋がっているのか全くわからない、今が。


「わかった、いいよ。なら4日後ね」


向けた笑みは自分でもわかるほど上辺だけのものだった。その上、忘れないでねと紫音の笑みを含む言葉に上手く返答が出来なくて、随分と心が乱れているなと自身を傍観してみても、動揺が簡単に拭えるはずもない。

そしてその乱れは、こちらに背を向けた彼女に不安を駆られ思わずその細い腕を掴んでしまうという失態を起こした。


「幸村くん…?」

「…あ、いや、すまない。なんか、つい」

「……?」


驚いた表情で振り返った紫音は当然だけど、俺だって自分の行動に吃驚した。
どこにもいかないで欲しい、俺の隣に居て。そんな言葉を声に乗せる事は出来ず、それでも紫音を引き留めたくて。ただ無言で彼女の腕を掴んだって心が捉えられる訳でもないと言うのに。もう本当に、格好の悪い話だ。


「なんか…紫音がどこか行ってしまいそうで」

「え…」

「…ふふ、俺可笑しなこと言ってるな」


紫音の、どこか不安気な瞳に見上げられたら、本音の欠片が口をついた。けれどそんな破片じゃあ意味がわからないだはろう。…でもこれ以上はやめよう。3週間前に紫音が離れていくのが嫌で隠した感情を、彼女に見えないように再び囲った。

これが、不自然さの原因なのだと気付いてはいる。自分の感情を隠す程に紫音の感情もわからなくなっているのは明白だった。
気付いていても、改善には至っていない。改善に踏み切る気概を欠如させたまま今日まで来てしまっている。


「…私は、どこにもいかないよ」


予期せず返ってきた言葉には、思わず瞠目した。
紫音が俺から離れて長瀬の元へと行くには、一旦ここを離れるのだから、現状だけで言うならば不釣り合いなその台詞。俺の言葉をどう受け取って、そう返したのか。何を思ってそんな事を言っているのか。俺がずっと傍にいて欲しいと思っていると、知ってるようなその言葉はどこから。

彼女の本心を知りたいという欲求は消えていないくて、その言葉に宿る感情を知りたいと、そう思うのは常のこと。でも恐らく、紫音の言葉に深い意味はないんだろう。
本当に俺を見透かしてそんな言葉をかけるなら、それはあまり紫音らしくない。彼女はあくまで誠実だから、俺の想いに気付いているならこんな不透明な関係性を続ける事は出来ないだろう。良いも悪いも関係性が明白になっていないと言う事は、俺が紫音を知らないように、また彼女も俺を知らないはずだから。今は曖昧だからこその、紫音との繋がりなんだ。
…そのはずなのに、紫音はどこから俺が求めている言葉を引っ張り出してくるのだろうか。これが初めてではないけど、不思議で仕方がなかった。本当にわからない子だ、と心で呟きながら、繕うことはせず眉を下げたまま口元を緩めた。


「…どうして君は、そういう事を言うかな」

「え…?」

「まるで俺を見透かしてるみたいだ」


このまま紫音が何も言わずに傍に居てくれるような気になってしまう言葉。話があると言っているのだから、それは不可能に等しいとわかってはいるけど、それは紛れもなく俺が求めた言葉だった。
だけどやっぱり、紫音に深い意味はないようだ。こんな不思議そうな顔をされたら、見透かされてるのでは、なんて懐疑の余地はない。


「なんの、話…?」

「…ほら、長瀬が呼んでる」


あからさまにはぐらかして紫音の背を押した。自分で引き留めたくせに、と呟かれた言葉には、苦笑しか返せなかった。



紫音が廊下へ出てすぐに、電子に乗せたキツい伝言が届いた。それは、蓮二からであるのだが。

『彼女に、一から本音を伝えてみたらどうだ』

脈絡どころか固有名詞すらない文面でも、紫音との関係について諭されているであろう事には察しがつく。人の気も知らないで、と苦く思いながら画面に浮かび上がらせた『現状維持』の四文字だけのそれが、蓮二への拒否になるだろう。でもなんだか送る気にはなれなくて返信は一旦後回し。それは机の奥へと押しやった。

突然の提案と、机に項垂れていた紫音の様子の可笑しさが無関係だとは思えなかった。しかし“一から”という文面に、俺の思考は現在の彼女から離れて、一気に時空間を遡る。



13.01.11
15.05.19(加筆修正)
   
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