real intention | ナノ

それは、今から3週間程前のこと。幸村くんに告白して数日が経った、ある放課後のことだった。

その日は日直で教室に残っていた私と幸村くんに、担任が雑務を押し付けて職員会議に走って行ってしまった。
雑務は2種類。1つはプリントAとBを綴じることで、もう1つはプリントCとDを綴じることの単純作業である。やることは同じだけれど、違うのはその部数だ。前者は50部、後者は80部だった。

幸村くんが私に呼び掛けたのは、置き去りにされた260枚のプリント達をすごい量だと思いながら見ている時だった。


「ねぇ、彩木さん。提案がある」

「なに?」

「じゃんけん、しようか」

「…じゃんけん?」

「うん。勝ったら50部、負けたら80部」

「え、」


付き合うようになって数日。幸村くんは優しいの一言に尽きる、というのは私のイメージでしか無かったと徐々に気付き始めてきた。

いや、優しくない訳ではないのだけれど、例えばこんな、賭事を持ち出す人だとは思っていなかった。この状況下なら80部の方を率先してやってくれる、とかね。表面のみを見ていたわけではなかったつもりでも、彼の本質を見抜いていなかったのも確かだった。

そして幸村くんが勝手にじゃんけんに突入した結果、私は敗者へと成り下がり、勝者と成ったのは彼で。咄嗟に出した手を握ってしまうことが恨めしい。
先程の話でいけば、こんな強引に突き進むのもイメージではなかったわけだ。


「ふふ、俺の勝ちだね」

「不意打ちずるい…!」

「人聞きが悪い。ちゃんと宣言したよ」


宣言のみで承諾をすっ飛ばしたんだから不意打ちだ。と、この時挙げた私の抗議は、幸村くんお得意の微笑みで跳ね返されたんだ。
この全てを受容するような柔らかな笑みが、寧ろ強靭なバリアを張るものなんだと、わかってきたのもこの頃。

残念でしたー。と笑った幸村くんが、私の目の前に80部分のプリントをどさりと置いたもんだから、ちょっとした冗談かもしれないと言う淡い期待は打ち砕かれたものだ。



12.解釈の違い
(違いはあって当然で)
(問題は、そのズレに)
(気付かないことだけ)






その後は黙々と作業を進めていって、私が40部を綴じ終えた時、幸村くんに作業完了を告げられた。


「こっちは終わったよ」

「え、幸村くん早い」

「彩木さん遅い」


そんな言葉を交わして、幸村くんの方が部数少ないのに、と思ったものの彼は既に50部終わらせている。実際私より作業スピードが早いもんだから文句が言えなかった。

少々不満気に幸村くんへと視線を投げ掛ければ、彼は可笑しそうに笑う。その愉快そうな笑みがふいに、「ほら頑張って。待っててあげるからさ」と優しさを含んだ時には思わず不満が吹っ飛んでいきそうになったのは秘密である。

隣の席で頬杖を付きながらこちらへ向けてくる幸村くんの視線に、意味もなく少しどきどきしつつ、プリントを綴じていって60部を終えた頃。ふいに幸村くんが立ち上がりそのままふらりと教室を出て行ってしまったのを視界の端に捉えた時は、少々驚いて手を止めた。鞄を置いたままだったので戻ってくるだろうという考えに達し、作業を再開して数分。

幸村くんが戻って来た気配がしたかと思えば、首筋に、冷たいものが押し当てられた。

季節は11月も半ば。日も傾き大分風が冷気を含み、冷えてきたなと感じていた頃、思いきり冷えたアルミ缶を首筋に当ててくるなんて中々のものである。ゾクリとした寒気が背筋を走り、思わず、ひぎゃ!と可笑しな声を発した私へと、降り注ぐは彼の笑い声。


もう一度イメージの話を挟むとする。

こんな豪快に声を発てて笑うのも、彼のイメージではなかった。幸村くんが笑ったと言えば大抵の人は微笑みを思い浮かべるんじゃないだろうか。
私を驚かせるならホットドリンクでもいいところをわざわざアイスミルクティーにする辺り、意地の悪さが見える。そんな意地悪さもイメージ外であった。


「何するの冷たいよ…!」

「ふ、あははっ…今の声、どこから出てるんだい」

「…幸村くんのせいなんだけど」

「ふふっ、ごめん。真剣に作業してる彩木さんみてたらつい、ね」

「なにそれ…」

「そんなに怒らないで。これあげるから」


はい。と、その時手渡されたのはホットミルクティーであって、私に寒気を走らせたアイスミルクティーは幸村くんの鞄の中へと消えていった。こういう作業してると指先冷えるよね、と言う幸村くんの優しさは、イメージが崩れようとも消えないわけで。

彼についての理解が進んでも、幸村くんの“イメージ”がまだ抜けきれていなかったせいか、その差にまだ慣れていなくて。意地悪と優しさを使い分けてくるような彼に、翻弄されてる感が否めなかった。でもそれが彼の素なら。本質が見え隠れするのはそれだけ距離が縮まったんじゃないかなって。密かに嬉しく思っていたのも確かだった。嫌いになるとか、イメージと違うから期待外れだとか、そういった事を思った記憶はない。彼の表面を追っていたのは否定出来ないけれど、その表面と内面が一致する事を求めていたわけじゃないんだ。イメージが崩れたってなんの問題もなかったのだ。

ただ単に、私が勝手に抱いていた幸村くんのイメージが崩れたなって思って。それをふと口にした時。

今思えば、彼の空気感が変わったのはその時だった。


「俺は君のイメージで生きてる訳じゃないからね」


それはもっともだと思った。けれど、まるで私が彼にイメージ通りにしていて欲しいと望んでるような予想だにしていなかった返答と冷たさを含んだ声に、思わず言葉を詰まらせた私へと、幸村くんは問い掛けた。


「彩木さん、どうしたい?」

「え…?」

「イメージに添わない俺と付き合っていてもしょうがないだろう?」

「っ幸村くん、」

「ふふっ、別れるかい?」


幸村くんは笑っていた。
それはものすごくいたずらっぽい笑みで、何を考えているかなんて推察する事さえ叶わなかった。でも単なる冗談と受け取ることが出来ないくらいの感情を消し去った声に、自分の感情すらわからなくなって。こんな簡単に、別れる?なんて言ってくるあたり好かれては、いなかったんだろうか。なら告白した時から私に特別な感情は抱いていなかったのかな、とかミーハーな子達に混ざってなかった私からの告白を面白く思ってだけだったのかな、とか。一瞬のうちに色々な考えが浮かんでは消えた。

不思議だったのは、悲しさを、感じた覚えがない事だ。確かに私は彼が好きだった、のに。この時自身の感情反応が少なかった。衝撃を受けたというのは確かだったのだけれど。


「―――別れない、よ」


そう返したのはどうしてだろうかと、その時は自分がわからなかった。
ひとつには、意地を張ったというのもある。あんまり幸村くんが余裕綽々なので動揺するのが馬鹿みたい思えたのだ。それ意外の理由は、きっと私が幸村くんを好きだったからだ。別れるなんて惜しいと、思ったんだ。どういう形でも付き合えるなら、いい、と。

―――それは今だからわかる話なのだけれど。


「ふふ、彩木さんって意地っ張りだよね。…じゃあこれからもよろしくね、紫音」


この時の、私が意地っ張りだという幸村くんの見解は間違いではない。もうひとつの、好きだからという私の奥に潜む想いは気取れなかったらしかった。
嫌味にも思えるような話、幸村くんが私を名前で呼び出したのはこの時からだった。

この日の何気ない会話から妙な距離が出来上がった。



* * *



先程の昼休みに柳くんと交わした会話から、5時間目の世界史の授業中である現在は、3週間前の幸村くんとの会話が私の頭を支配している。

私が言った意味と幸村くんが受け取った意味に少しでも誤差がある、と。別れないという言葉は意地のかたまりではなく、本当はずっと好きだからなのだ、と。2つの伝えたいことが、思考を占領していた。

伝えたあと、この曖昧な関係は崩れ去るというのは確実だ。

それ以降がどうなるかなんてどうでもいい、と言ったら嘘になる。でも柳くんとの会話をなかったことにするなんて到底できない。現状維持は不可、それ以上は幸村くんの気持ち次第だけど、望みは薄い。
充分に、幸村くんの彼女として良い思いはさせてもらったんじゃないだろうか。望んでもこのポジションになれない子なんて、幸村くんのファンの数からして沢山いるのは明白だ。そろそろ潮時なんじゃないの、なんて。自分に言い聞かせてることが酷く後ろ向きで虚しくなる。


「……紫音?」


先生が黒板に向かっているのをいいことに、机に突っ伏しながらふと幸村くんへ視線を送っていた時。それに気付いた彼の綺麗な顔がこちらを向いた。呼ばれた名前の声音が、3週間前のものとは違って優しさを含んでいるだなんてことは希望的観測なんだろうか。


「どうしたんだい?…具合でも悪いの?」


優しく心配気なその言葉の後、すっと幸村くんの腕が伸びてきた。彼の手が私の額に触れる。
普段ならば狼狽確実なその行為をどこか他人事のように見ていれば、熱はなさそうだねと言う呟きと共に離れていく手。薄れていく彼の体温が、ちょっと名残惜しい。


「大丈夫かい?気分が悪いなら、」

「…ううん、大丈夫」

「でも、」

「大丈夫だよ。…本当になんでもないから」


表向きにすら明るく言葉を返せない程、妙に気分が落ちている。
原因は3週間前の会話からの自己嫌悪だ。

イメージが崩れたという言葉自体は大した問題じゃなかったと思う。解釈の違いがあるのは当然だし遅かれ早かれ口にしていただろうし、その解釈の違いを認識する必要はあっただろうから。と思いたい。

別れる?なんて、なんでいきなりそんな事を言い出したのか、なぜかその選択を私に委ねたのか、何一つわからなかった。わからなかったのに、何一つそれを訊ねる事をしなかった私が、問題だったのだと思う。彼がわからない、のままで終わらせては違いの誤差を共有出来ないと言うのに。なんで聞かなかったんだなんて今更考えても意味はない、けれど。つい、無意味な思考に落ちてしまう。

私の拒絶するかのような台詞に、彼の瞳が揺れたのがわかった。すぐに持ち直すように、大丈夫ならいいけど。と言葉を紡いで、幸村くんは顔を黒板へと戻した。私があからさまに沈んで見えたせいか、彼の声音は酷く心配そうなもので。なんだか申し訳なくて。


「……幸村くん。ごめんね」

「何謝ってるんだか。…こっちこそ、踏み込んでごめん」

「っ、」

「ふふ、途中で倒れられても困るよ?無理はしないようにね」

「、うん。…ありがと」


幸村くんは前を見据えたまま、ちらりと目だけで私を一瞥した。言葉とは裏腹に彼の声はとても柔らかで、なんだか胸の辺りに苦しい様な感覚を覚える。

『踏み込んでごめん』

私が認識している距離感は、等しく彼側からもあるのだということを、思い知らされた気がした。

表面的なイメージが崩れて、彼の奥にあった真実がもっと軽蔑されるようなものだったら良かったのに。彼の優しさが、もっと偽善的で作り上げた様なものだという真実があれば良かったのに。そうしたら、別れるかという問いに迷うことなく頷けたのに。…そうしたら、こんな自己嫌悪と、彼から離れる恐怖にも似た寂しさを抱くことなんて無かった、のに。

―――良かったのに、なんて。
そんな望んでもいないもしもを考えるなんて、私馬鹿みたい。心で自嘲をしてから、ノートを取る作業へと移ることにした。頭の隅で、どう幸村くんに話を切り出すか考えながら。



12.07.16
14.12.01(加筆修正)
   
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