数学貸して!そう由羅が走ってきたのは、今日2回目の休み時間だった。終わったばかりである数学の教科書を手渡せば、お礼だというキャンディひとつと交換となった。そして教室に戻るのかと思いきや、キョロキョロと視線をさ迷わせる由羅にどうしたのかと問い掛ければ、あれがいないじゃん、と言い出す。うちの教室から何かなくなっているのだろうか。 「あれってなに?」 「幸村」 「…てっきり物か何かかと思った」 幸村くんなら、真田くんに用があるとかで2限目が終わってすぐに教室を出ていった。その旨を伝えれば、へー…となんともまぁ気のない返事が返ってくる。自分で聞いといてそのどうでも良さげな感じ、どういうこと。 「幸村くんに用だった?」 「ううん。いっつも紫音の傍にいる奴がいなかったから、ちょっと聞いてみただけ」 「そんな事ないよ?由羅が来る時に話してることが多い気はするけど」 「狙ってるのかもね」 「あはは、それはないよ」 「あるね」 「ないって。」 なぜだか押し問答。っていうか何を狙ってるって言うの、由羅に見せ付ける意味もないし。突然おかしなことを言うなとは思ったけれどそれ以上に、じゃあ、と続いた言葉に尚更首を傾げてしまうことになるのだ。 09.垣間見えた本音 (自分だけなんて) (そんなの誰が言ったのさ) 「じゃあ、蓮二に聞けばわかるかもしんないね」 「柳くん?なんで?」 「なんでかは自分で探ってみて」 「え」 探ってみてと言われるとは思わなかったし、何より脈絡もなくあがった人物の名前に返す言葉が浮かばなかった。だいたい探れと言われても、柳くんと関わりの少ない私にどうしろと。 詳しく聞こうとしても、「でも狙ってる幸村は絶対狙ってる!」と由羅はひとつ前の話題に戻ってしまっていて、つられて疑問より否定の言葉が先に出てしまった。 「だから違うって。タイミングの問題だよきっと」 「でも幸村だよ?わかってんの?」 「って言われても…。そもそも幸村くん自体よくわからないんだけど」 「そう?あたしはそれなりにわかりやすいと思うけど」 これは意外な言葉を聞いた。幸村くんがわかりやすいなんて、やっぱり私には思えない。いやそもそも由羅だって、あんなわかりにくい奴とよく言ってたと思うのだけども。なにか心境の変化でもあったのかと少し驚いていると、あいつ自体はわかんないけどねと矛盾めいた言葉が付け足された。 「…え、なに、どういうこと?」 「幸村自体はよくわかんないけど、紫音に対しての幸村なら客観的に見てればわかりやすいって話」 「何、俺の話かい?」 「!?」 「人の会話に勝手に入ってくるな」 背後から、ふいに聞き覚えのある声が落ちてきて、声の主は言うまでもなく幸村くん。噂の当人が現れた事にもだけど、一切動じずそのまま会話を続ける由羅にも驚いた。数秒間2人で睨み合った結果…と言っても幸村くんは超笑顔だけども、舌打ちをしてから先に由羅が顔を背ける。ここには心境の変化を見てとれ…ない。 「じゃ、あたし戻るね。後でちゃんと返しにくるから」 「うん、いつでもいいよ」 もう終わってるし、と付け足し彼女を見送った、つもりだった。一旦背を向けてから由羅は思い出したようにこちらを振り返り、そうして耳打ちされたのは、「昼休み、お昼食べてからでいいから図書室に来て。幸村には内緒の方向で。」そんな台詞たち。え、なにそれどういうこと。私が何かを聞き返す前に、由羅は走り去ってしまった。 今の事といい、柳くんの事といい、今日の由羅は少し変かも。特に後者、私よりテニス部と関わりが深い由羅は、普段なら楽しそうに話して彼らを教えてくれるのに。 だいたい、探るなんて事が柳くんを相手に出来るんだろうか。そもそもどんな人なんだろうか。話したことは一応あるとはいえ片手で足りる程度の回数、いずれも幸村くんか由羅が一緒で二言…三言、そのくらい。感じの良さそうな人だってのはなんとなくわかってるんだけども。女の子達に聞いたらわかるのかな…かっこいいとか頭良いとか、そういう魅力は色々と教えてもらえそうだけど、聞きたいことはそれじゃないしなぁ。…あれ、私何聞きたいんだっけ。 「…紫音?」 「、っなに?」 「いや、急に黙るから。何かと思って」 どうしたの?と私の顔を覗き込みかかる幸村くん。ちょっと、近い、かも。なんて考え出したら頬に熱が上がって、自然と下がっていく視線は彼のネクタイで止めた。あからさまに下げては照れてるってバレそうだから。 何でもないよ、と口から出そうになったけれど、それは思考がピタリと止めた。そうだ、幸村くんがいるじゃん。柳くんについて聞くのにもってこいの人。女の子達よりも確かな情報ばかりを持ってるだろう彼に、「ちょっと聞きたいんだけど」と前置きをする。そうすれば、幸村くんは屈めていた身体を戻してから私の言葉を待つように小さく首を傾げた。 「柳くんってどんな人?」 「…蓮二?」 「うん」 「そうだなー…蓮二はなんでもお見通し、って感じかな」 「幸村くんのことよくわかってるんだ?」 「そうだね。まぁ、蓮二は特別かな。解ってるくせに、俺が厳しいと思うような事でも提案してくるからタチ悪いよ。それがまた正しいから尚更」 「へぇー…」 どんな人?って漠然としすぎだったかなとは思ったものの、何か詳しく聞きたい事があるわけでもなく。この問い方にしかならなかった。私の質問に少し驚きながら、幸村くんは小さく考え込んだ末の言葉の最後に、まぁ良い奴だよと笑う。 なんでもお見通し。由羅が柳くんに聞けばわかるかもって言ったのはそういうことか。1人納得していれば、口角を少しだけ上げた幸村くんと目が合った。 「で、どうしてそんなこと聞くんだい?」 「あ…」 思わず言葉を詰まらせてしまう。きっかけとしては「探ってみれば」なんだけど、そう言われて探ってみたくなったのは幸村くんを知りたくて!…いや、無理無理言えない。 「…秘密」 「俺に言えないってことは、」 「?」 「蓮二に気でもあるのかい?」 「は…!?」 思わぬ返しに何て言えばいいのかわからなくなった。ないないない!と全力で否定するのは、なんだ柳くんに悪い気がするし。かと言って軽く受け流したら本当に気があるみたい、かも…?じゃあ本当の理由を話す…なら最初から「秘密」なんて言わないんだけど。 最適な言葉を無駄に動揺しながら探す私は、口を閉じたり開いたり。幸村くんはと言えば、片手で隠すように顔を覆って、肩を震わせていた。…あぁ、もう、からかわれた…! 「ふふっごめん、冗談だよ。…ふ、あはは鯉みたいで、」 「…もう知らない」 「ごめんって。そんなに困らせるとは思わなくて」 「…否定するのも柳くんに悪いじゃん」 「気にしなくていいのに」 「それは仲が良いから言えることだよ…」 「でも一応、否定はして欲しいな」 「、そんな気、ないよ」 「ふふ、ならよかった。本当だったら蓮二と仲良くできなくなる所だったよ」 妬けてさ。なんて、まったくどれだけ私をからかえば気が済むんだ、この人は。本気なら嬉しい…けど、そんな悪戯な笑み浮かべられたら、真に受ける方が馬鹿みたいじゃん。いつまでったても真意が読めない。…読まれないようにしているのかも、しれないけど。 変に動揺するのは悔しかったから、「でも、」と無理矢理会話を繋げた。 「幸村くんにもそんな風に感じる人がいるんだね」 「どういう意味だい?」 「見透かしてる側かと思って。幸村くんって」 「…紫音は俺に見透かされてるって思うの?」 「…まぁ」 「ふふ、そうか。…でもそれは間違いだ」 「、」 「俺は君のことなんてわからないよ」 苦笑、だろうか。そんな表情を浮かべる彼の言葉は嘘ではなく、本音なんだと、そう思った。 私は彼がわからない。それは幸村くんも同じ。幸村くんは確信的なことを言葉にしない。それはどんな意味で、どんな理由であろうとも、私も同じなんだ。本音を隠して惑うのは、お互い様、か。そうな風に考えたのは今日が初めてだった。 10.08.01 14.06.25(加筆修正) (back) |