「おはよ」 「!、…なんだ由羅かー…。おはよう」 一人そわそわと登校中、門の少し前あたりでふいに声をかけられ一瞬ドキリとした。すぐにそれが誰のものか判断できて、言葉をかけながら振り返れば、不満げに眉をひそめた由羅が視界に映り込む。 「なんだってのは失礼でしょ」 「ごめん」 「なに、あたしより幸村がよかったわけ?え?」 「そ、そういうわけじゃないけど…」 言葉を濁しつつ、むしろ幸村くんじゃなくてよかったと心の中で安堵した。…いや、幸村くんじゃないことを安堵していては、だめだった。昨日、少し考えた事があるのだ。それを実行に移す前に、友人の意見を仰いでみようと思い、隣へと呼び掛ける。 「ねぇ由羅、予想外の事って驚く?」 「は、」 「驚かない?」 「え、いや普通は驚くでしょ。予想外なんだから。なにその変な質問」 「うん、ちょっとね。そうだよね、たまには私が予想外になってみようかと思って」 「予想外になるってなによ」 「いつもだったらこうだけど…っていう行動パターンの逆をしてみよう、とか」 「いいんじゃない?予想外で驚く幸村ってのも滅多にないだろうし」 私はいつ幸村くんと言っただろうか。しかし、図星である。ひつでも、たった1回でもいいから、意味がわからない幸村くんへの対応を変えてみようと思う。第一に、念頭に置くのはとにかく動揺しないように。と言ってもそんな簡単にできるなら、今まで苦労しないわけで。…ようは無理を言っているわけで。そう思うと固めた意思も簡単に揺らいでしまう。 「やっぱ私が予想外にとか難しいかな…」 「考えあんならやってみなよ。じゃ、頑張って」 「え、先行っちゃうの?」 「今日あたし日直だった。超手遅れだけど先行くわ」 「あぁ、うん」 そう言って、由羅は生徒で混雑している昇降口へと消えていった。今更急ぐ意味、あるだろうか。 彼女に少し遅れて昇降口にたどり着く。朝の挨拶が飛び交う中、自クラスの下駄箱へと視線を動かし何よりも先に目についたのは、少し癖のある藍色の髪だった。たくさんの生徒の中、それは後ろ姿で。だけどすぐに彼へと視線が奪われてしまうのは、気にかけすぎなんだろうか。 08.全てが予想外 (貴方はいつも、) 昨日の今日だ、彼を避けたいと言うのが本音である。初めて彼と一緒に帰って、手を繋いで、更には。…とにかくなんだか恥ずかしと言うか、気まずいと言うか。彼の真意がわからない以上、どう接していいのかわからない。変に意識した感じになるのも、あたかも何事もなかったかのようにするのも、違う。私だけがすごく意識しているように思われたくない。かといって素っ気なさを装うのも可愛くなさすぎる。その間を取りたいのに、それがわからない。何が一番なのか、この微妙な距離感において正しい対応の仕方は?考え出すと気が萎えてしまう。 やっぱりどうしよう…と、一人で悶々としながら昇降口でいつまでも突っ立っているのは邪魔でしかないだろう。ちょっとごめんって何回か言われてる。謝るのは私の方なんだけども、それどころじゃなくて。 「…あ」 「…」 見つめすぎたせいか、幸村くんがこちらを振り返る。声をあげたのは私。彼は珍しく何も言わないで、少し笑ってから踵を返した。 嗚呼、彼にとっての、予想外になれるかもしれない。 幸村くんだってわかっているはずだ、私が昨日のことについて何故だと頭を悩ませている事くらい。だって本心を見せてくれないのは彼なんだから。そして私が、今はどうしたら…と思っていることくらい、わからない人じゃない。きっと普段ならこのまま少し待って授業が始まる直前に教室に行って、とりあえずの会話は挨拶程度に、と考える。そして時間が経って何事もなかったように。 しかし、今日はその逆で行きたいわけだ。だから私から、声を掛けたいんだ。そうしたら、もしかしたら幸村くんの動揺を誘えるかもしれない。その動揺の中であれば、昨日の彼の真意が見える可能性があるんじゃないだろうか。その為には、幸村くんの意表を突くような予想外が私が起こさなければならなくて。 ぐるぐると思考を巡らしている内に、幸村くんの姿が見えなくなりそうだった。考えている、場合じゃない。急いで靴を履き替えて彼を追いかける。 「…幸村くんっ…おはよう!」 「、おはよう」 勢いが付きすぎたせいもあるかもしれないけれど、振り返った幸村くんの表情は私でもわかるほどに、驚きを含んでいたから。やった、なんて妙な感情が芽生えた。けれども、 「…ふふ、やけに積極的だね」 「?なん……あ」 なんのことかと思いきや、私は彼の手首を掴んでいた。見失いそうだったから無意識に手を伸ばしていた、んだろう。ハッとして「…っごめん、」と手を離す。なるべく動揺しないようになんて考えは最早どこか遠くへ飛んで行ってしまった。私の無意識が彼にとっての予想外にはなっただろうけど、自身にも同じ反応をもたらしてしまうなんて。 「謝らなくてもいいのに」 「…幸村くん行っちゃいそうだったから、つい」 「その方がいいのかと思って、ね」 「…あはは、そんなこと…」 図星でしかないけれど、肯定なんか絶対しない。苦笑に近い笑顔を作りながらなんとかやりすごした、はず。 幸村くんは、ふっと笑う。それは自嘲にも取れた。 「…あーあ。心配して損した」 「え…?」 「あんまり深く聞かないで欲しいな。…なんか格好悪いしね」 言ってる意味が理解出来ない。でもきっと何かしらの真実を含む言葉だとは思う。けれどその真実を探るより今は、自分の心臓を落ち着けるのに精一杯だった。 そうして幸村くんが浮かべたのは完全なる自嘲で、これは少し珍しい。気になるけれどこれ以上聞けそうにない雰囲気に言及するのは諦めた。 「ふふ、でもよかった。口きいてくれて 」 幸村くんの笑みが変わる。いつものように少しイタズラっぽくて。でも綺麗に笑うから、見慣れたはずのその表情に、ついつい見とれてしまっていて。見すぎだよ、なんて言われて、また少し焦って慌てて。 意表を突くことは出来たようだったけど、私の方が動揺してしまうといういつもの顛末。そうして鳴り響いたチャイムの音で、時間というものに意識を置いた。もしかしてやばいのかな、そう呟けば肯定の声が返って来た。朝の短い時間に階段で立ち止まっていたせいで、周りには生徒達の姿はなくなっていた。 「俺を遅刻扱いにさせるなんてね」 「ま、まだ間に合うかもよ!?急げば、」 「間に合わなかったら紫音のせいだからね」 「え」 しれっとした口調で、責任の所在がこちらへ回ってきた。確かに私のせいだけど…と口ごもっていると、ふいに腕が引っ張られる。瞬間、幸村くんが階段を駆け上がったのだけど、私の腕を掴んだままだから。 「わっ…!?」 「本当に遅れるよ。…間に合わなかったらお昼、奢ってね」 「う、ん…?えっ!?」 「今日お弁当忘れたんだよね。ほら、早く」 「ま…待って…!」 早くなる鼓動を押さえつけて、引かれるままに足を動かす。心臓がうるさいのは、全速力で階段を駆け上がりながら会話をしたせいだ。ただそれだけ、なんてのは嘘になるけど。どこまでいっても動揺しないの無理だと、認めざるおえなくなりそうだ。やっとの思いで私が1つだけ予想外になれた気がしたのに、幸村くんはあっさりとそれを成すんだから困る。私からしたら、彼の行動は全て予想外でしかないのだ。 まさかとは思ったけど、彼は本気だった。 お昼になりお弁当箱を開ければ、寝坊しましたごめんね、と言う紙だけが入っていて、それを見てケタケタと笑う幸村くんと購買へ。この日のお昼は、彼と同じくお弁当がない、というかお弁当箱しかない私の財布から2人分の昼食代が出ていったのは、言うまでもない。 10.05.24 14.05.03(加筆修正) (back) |