洗面台の前には、目を腫らした倉間。
え…、も、もしかして辞書の当たり所が悪かった、とか?…だ、だったらどうしよう。倉間がサッカー出来なくなっちゃったら、わ、私…。

また涙が出そうになって俯くと、南沢さんがぽんっと私の頭を叩く。


「倉間、どうするかはお前次第だぞ」
「……」
「じゃあな」
「あ、南沢さ…」

パタン…と音を立てて閉まる洗面所のドア。この狭い空間に、私と倉間しかいなくなった。
ドキドキと、いつもとは違う意味で心臓が鳴る。怖い、怖い、怖い…。倉間と一緒にいたい筈なのに、この空間に耐えられない。この空気に耐えられないのだ。

倉間も私もお互い無言。…南沢さんが去って何分経ったのだろうか、沈黙を破ったのは倉間だった。


「…ごめん」
「…」
「お前が、ずっと…1年の頃からマネージャーの仕事、頑張ってるって知ってたのに、あんな事言って…」
「……」

こっちこそごめん、辞書投げてごめんなさい、嫌な思いさせちゃってごめんね…
…何か言いたいのに、口が動かない。何も、喋れない。がたがたと体が震えて涙が零れる。怖い、怖い…。せっかく倉間が仲直りのきっかけを作ってくれているのに、何をやっているんだ、私は…!


「苗字…」
「っ…」

久しぶりに、倉間に自分の名前を呼ばれた。
いつもは、お前だとか…ブス、とか馬鹿、とかばかりで…たまにしか呼ばれない。その"たまに"が嬉しくて、呼ばれるととても幸せな気分になるんだ。

倉間が私の名前を呼んでくれると、まるで自分の苗字名前という名前に魔法がかかっているような…変な例えかもしれないけど…とにかく、自分の名前が特別に感じるんだ。おかしな話でしょ?
だから今も、魔法がかかった倉間の呼びかけに私は俯いていた顔を上げる。


「泣いて、るのか…」
「…」
「…苗字、俺…」
「………………く、らま…」

やっと、言葉が搾り出せた。
何よりもまず、彼の名前が出てくる。倉間は自分の名前が呼ばれると、少しだけ身体を強張らせた。


「…辞書、ごめんね」
「あ、ああ…」
「怪我、してない?」
「それは…大丈夫」
「…そっか、…良かった…」

ホッとした。
だけど、私がやったことは許されることではない。私はマネージャーなのに、皆をサポートしなくちゃいけないのに、邪魔をしている。情けなくて、また涙が出てくる。

すると、倉間が私の近くまで来て、ぎこちなく私の頬に流れる涙を自らの手で拭う。


「く、らま?」
「…俺さ、…」
「…?」
「…だっせぇけど、…嫉妬してたんだよ」
「嫉妬…?」
「…っ、南沢さんや、浜野や、他の奴らが、お前と仲良くしてると、ムカついて、…それで…」






…?
嫉妬?…だ、誰が?誰に?…え、え、え…?

少しだけ頭がパニックになる。目の前には少しだけ顔を赤くした倉間、そんな彼からの突然の告白に、私はただただ呆然としていた。



「く、倉間…」
「……だから…」
「…」
「……っ」
「!」


ガシリと、倉間に右手を掴まれる。
汗をかいているからか、少しだけ湿っぽい倉間の右手。そこから熱が伝わってきて、ゾワリと身体が震える。

慌てて倉間を見ると、彼は顔を真っ赤にして、睨むようにこちらを見ていた。



「く、ら…「お前がっ、…好き、なんだよっ…!」


私の言葉に被せるように、いつもより少しだけ上擦った声でその言葉を口にする倉間に、私の思考回路は、完全、に、ストップ、…した。




20110819



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