まずい、
体中に緊張が走る。
心配気に見上げてくる腕の中の生き物を一撫でし、腰を低く…一歩足を引けば、少し先で湯に浸かっている男がゆっくりとこちらを向いた。
相手は手拭い一枚、疲弊していようと殺れない事もないだろう。
けれど、抑えつけられるような威圧感に…私は一歩も動けずにいた。
「…なんじゃ、この隠れ湯に人がくるなど珍しいのぅ…ずいぶん汚れておるが、お主も浸かりに来たのか?」
…は?…隠れ、湯?
「……む、違ったか。儂を狙って来たようでもないしのぅ」
私の沈黙に違うと気づいたのか、顎髭を触りながらなにか考えはじめてしまった
…狙う、って
こんなとこで1人、湯に浸かってるおっさんを狙う奴がいるのか。
まぁ、狙う人はいないとも言えないけど。
それに、もしかしたらどこぞの重臣なのかもしれない。
和らいではいるけれど…さっきの威圧感は凄かった。
…戦意は感じられない、もしかしたら無視して逃げても問題は…
「ふむ、どこぞの軍神ではないが…ここで会ったのも何かの縁。一緒に入るか?」
「遠慮させていただきます」
「はははっ、残念じゃのう!」
誘いを考えるまでもなく一刀両断すれば…なぜか愉快そうに笑っているおっさん。
そして、その声に紛れて後方から複数の足音が聴こえてきた。
…まだ諦めてなかったのか
ぎゅっと腕に力を込めれば、なんとも切ない声。
いざ、駆け出そうとすると足下に数本の苦無が突き刺さった。
足音と僅かな気配はまだ距離があるが、その他にも追っ手がいたのだろう。
(接近に気づかないとはまだまだ青いってことか…)
腕に抱えていた紅い仔狼を片腕に持ち直し、空いた手で小刀を構える。
後ろの奴らが加わる前に、この手練れを片付けねばならない。じゃないと苦戦を強いられるのは自分だ。
…手負いの今、それだけは避けたい。
…生きるか、死ぬか。
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bkm