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『あの任務は、仕組まれていた可能性があります』
デザートの杏仁豆腐を食べながら、流生は再び任務の話題を出した。
夏油と家入は食後のコーヒーを飲んでいた。五条は気になっていたというかき氷パフェを追加注文して、その際家入が一緒に頼んだのが杏仁豆腐だ。甘いものは苦手だと言っていた記憶があって珍しいと思っていたが、最初から流生に食べさせるつもりだったようだ。流生も特に何か言うでもなく素直に手をつけていた。
『仕組まれていた?』
聞き返した夏油に頷き流生がその後に語った内容は、可能性的な説明の仕方だったが、流生自身は断定しているように感じた。
曰く、人為的な作用がなければあの状況は出来上がらない、と。
『狙いは私でしょう。1級以上の相手が想定されていて、かつ高専からそれ程離れていない場所。特級呪霊は私を誘き出す為の布石でした。私を呪術界から追い出したい人間…呪詛師かは分かりませんが、その手が加えられていたと考えられます。先輩と夏油さんの実力は既知、家入さんの反転術式は言わずとも。もし皆さんの内の誰かが大怪我を負ったり死んだりすれば監督責任だと私を追放に追い込み、そうでなく私が死ねばそれはそれで僥倖…というところですかね』
『任務失敗で追放?』
『高専上層部の方々と少々折り合いが悪いんです。御三家に次ぐ御家として発展させるべきという一部の意見があって任務を割り当てられていますが、基本的にああいう人達は“古き良き”を重んじるので』
『…オマエさぁ、もしかしてウチに狙われたこととかあったりする?』
『どうでしょう。先輩相手なので逆に聞かせてもらいますが、“いちいち”覚えてますか?』
『……ケッ、道理だな』
『まぁ、五条家…というより先輩に対抗出来得る都合の良い人間が欲しいのも事実だと思います』
『話が逸れましたね。改めて謝罪します、すみませんでした。要は他人に向けられた散弾に巻き込まれたんです』
『私の為に、皆さんは殺されたんですよ』
「あ、ちょっと…お母さんが目ぇ離すから流生寝ちゃったじゃん」
「…その設定気に入ったのかい?」
家入が振り返った先で、木の根元に座り幹に背をもたれた流生が眠っている。
呼吸音すら聞こえないくらいで、この二日間で分かったが、流生は本当に言葉通り死んだように眠る。身じろぎ一つせず、ほとんど寝た時と変わらない状態で目を覚ます。
「硝子、俺のサングラスどこやった」
「あれ」
やっと起き上がってきた五条が汗を拭いながら夏油達の側へ来た。家入が指差した方を見て、ズカズカとその手前まで行ってしゃがみこむ。無限を使う余力すらなかったのか、流生の配慮も虚しく白いシャツの背中側は所々砂で汚れていた。
「寝てんじゃねーよチビ。タオル取りに行って戻ってきたらもう一回だ」
「……」
「っんとに起きねぇな、コイツ」
「起こす必要ないだろ。悟一人で行ってきたらいいじゃないか」
「ついでにコイツの冷蔵庫に入れといたアイス食おうと思って。オマエらも食うだろ?」
いつの間に他人の部屋の他人の冷蔵庫に私物を紛れ込ませたのか。そして何とも思っていない顔をしているのが腹が立つところであるが、恐らく入れられた流生本人は気にしていない。害がないならどうとでも精神だ。
よっこいせ、と大して力を込めなくてもいいだろうにそんな言葉を出し、小柄な身体の両脇に手を差し込み持ち上げる五条。そして猫のようにぷらぷら揺れるまま夏油に向けた。
「ほら、お母さん」
「…はぁ」
段々と突っ込むのも億劫になってきて、夏油は流生を預かり背負った。五条と家入と並んで歩き出すが、やはり起きる様子はない。こんなにも動かされて起きないというのも逆に不安になる。寝ている間に何かあれば、と思いかけてやめた。
先日の五条との会話からするに、そういう、狙われる経験を普通にしてきたのだろう。簡単に不意をつかれるような抜けがあるはずがない。
この軽い身体で、平均身長をとうに凌ぐ男を涼しい顔のまま投げ飛ばすのがまだ信じられない。
「悟、まさか考えなしに何度もやってたわけじゃないんだろう?」
「当たり前だろ」
口を尖らせて言いながら、五条が流生の目元からサングラスを抜き取り己にかける。
「なんかなー……お、と思った瞬間に飛ばされてんだよね、毎回」
「でも流生も術式使ってないんでしょ?」
「おー、なんなら呪力の上乗せもしてない。ほんっとに単純な体術だけであれ」
「思った瞬間っていうのは?」
「まずこっちの攻撃が当たんねぇワケ。さっきはコイツが避けるだけだったし、基本お互いに触れない状態が続いてんだけど。繰り返してると合間に“当たる”部分が分かってくる。そこに入れようと思った瞬間に俺はぶん投げられてんの。あえて違うとこ狙うとかフェイントかけてもみたけど、こういう思考自体を誘導させられてる感じがする」
「わざと隙を作ってるってことか」
「そ」
恐らく、流生は五条が使う力を利用している。流生の地力では平均の男でもまず浮かせることすらできないだろう。
重いものを動かすには相応の力が必要だ。しかしその必要量は、物体が静止状態の時と運動状態の時とで異なる。自転車と同じで、動き始めるために強い踏み込みがいるのと、その後は軽くペダルを漕ぐだけでいいということ。同じ速度まで達するのに、静止しているものより動いているものに対しての方が必要な力は少なくなる。
つまり流生は、五条が力を入れた瞬間を狙い、その加えられた力をそのまま利用し軽々と投げ飛ばしていたというわけである。わざと隙を作っていたのも、自分の使う力が最小限でいいようにベクトルの向きを調整するためだったのだろう。
ただ、そもそも五条が弱いわけではないので、前提として見切りやそれに反応するための身体能力が伴っていなければできない芸当だ。
「にしたって、タッパも筋肉もない奴に投げられるとさぁー…さっき持った時コイツ軽かったし」
夏油は「あぁ…」と同意した。今も小柄ではあるが人一人背負って歩いているのに苦を感じない。身長に体重が見合っていないのは明白で、その線の細さが余計に少女を小さく見せているのも分かる。
何か思い当たる節があったのか、家入が「それなんだけど」と口を挟んだ。
「今はまだ筋肉つけたくないんだってよ」
「それは…どういう意味だろう」
「身体が成長段階に入ってなくて筋肉つきづらいんだって。変につくのも嫌だから時期が来るまではスピード重視で反射神経とか鍛えてるらしい」
「傑、そんなの考えたことある?」
「あるわけないだろ」
「だよな、俺も」
この子は一体、何になろうとしているのだろうか。アスリートの英才教育のようだ。そこまで考えるなら食事にも頓着すればいいものを。
「食べるもの食べないと成長しないよ、とは言ったけど」
「それ俺も言った。そのままじゃずっとチビだぞーって」
他人を母親呼ばわりするわりにこの二人もそれらしいのではないだろうか。
「アンタも言ったの? まぁそのおかげか知らないけど、流生の食糧庫に野菜ジュース以外の品目が追加されたよ」
「何?」
「冷凍の米とお茶漬けの素」
「「…………」」
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