さかな

 







青峰は物置の中から小さめの水槽を出した。フィルター等も一緒に探し出し、ダイニングテーブルの端に全てセッティングする。水が入っていない水槽のそこには白い乾いた砂が敷き詰められている。

「よし、こんなもんか」

職場で昼食を取っている時、黄瀬から珍しく電話があった。第一声は「うちに小さい水槽あるよね?」だ。いくつかの水槽が頭に浮かんだが、黄瀬が把握している水槽で一番小さいもののことだろうから、すぐに見当が付いた。ある、とひとこと答えれば、青峰が質問をするより早く使用用途が説明される。手際のいい電話やメールをしてくる時は確実に仕事関係のことだ。黄瀬はスイッチのオンオフが激しい。1ヶ月だけ預からなきゃいけなくなったから。何が、とは言わなかったが、この流れであれば大方、魚、それも熱帯魚だろう。ちょっとした好奇心から「なに色?」と問う。小さく薄い黒い箱の向こうから『赤くて丸いよ』と楽しそうな声がした。
淡水魚か海水魚か分からないので水を入れられない。あっさり準備がおわっていしまい手持ち無沙汰だ。昼間の電話の内容を反芻しながら、この水槽のまだ見ぬ主を想う。赤い魚ならたくさんいるが、丸いと言われると少し考える。真っ先に思い付くのは金魚だが、金魚ならば初めからそう言うだろう。あえてその部分を伝えなかったのは、青峰を驚かせたかったからだろう。帰ってからのお楽しみ、とでも言いたげだった最後のひとこと。
一番、可能性が高いのは熱帯魚。とはいえ、範囲が広い。赤い魚なら多くいるが、丸い、となるとどちらかいえば奇形な魚なのだろう。熱帯魚の中には不思議な性質、形質を持つ魚も多いが、得てして大きいイメージがある。
ピラニア?
いや、まさか。ピラニアが赤いのは腹だけだ。無難なところで、ネオンテトラやアカヒレ、ベタというところか。
色々と思考を巡らせてみるが、どうせ、黄瀬は予想を上回るものを持って帰ってくるのだ。青峰を絶対に驚かせる自信がある、そういう声をしていた。
黄瀬の帰宅を大人しく待とうと、水槽の前にしゃがみこんでいた腰をあげた。

「ただいまっス〜」

タイミングのいいやつだな、と思いながら玄関へ出迎えに向かう。

「おー、おかえり。水槽の方は準備できてるぜ」
「お、さすが青峰っち。実はわくわくしてるでしょー?」
「それなりにな」

またまた〜、といつもよりもテンション高めの黄瀬に黒いクーラーボックスを渡される。黄瀬が目線で早く、と訴える。

「……? え、岩?」
「ちがうっスよ。ちゃんと、見て」
「いそぎんちゃく? ウメボシイソギンチャクじゃん……!」
「ぴんぽ〜ん。さっすが、青峰っち」

ウメボシイソギンチャクとは、その名の通り、梅干しに似たイソギンチャクである。クマノミが生活するようなイソギンチャクとは違い、食事する時以外は触手を仕舞うイソギンチャクだ。食事をする時は短い触手を潮の流れにゆらゆら揺らす。獲物がかかったら、その触手で絡め取り、獲物ごと触手を閉じて捕食する。触手を閉じている時の姿が梅干しに似た、実際は梅干しよりも若干鮮やかな色をしている。
クーラーボックスの中には発泡スチロールの箱が入っており、それを開けるとむっと潮の匂いがした。小さな岩にくっついた小さな赤いイソギンチャク。そっと、指を近付けると触れた端から触手を仕舞い、最終的にはいびつな赤い球体となった。

「随分と変なもの引き受けてきたな」
「ひと通り、飼育方法は聞いてきたっスけど、特に難しそうなところはなかったっスよ?」
「そうなのか? イソギンチャクなんか飼ったことねえよ」

エサは冷凍の小エビをそのままあげれば良く、水温もある程度保っていれば平気。海水だけきちんと定期的に入れ替えればよし、とのことだった。確かに幼少期から何かと色々な生物を飼ってきた青峰からすれば簡単な部類に入る。
黄瀬が着替えている間に水槽に岩ごとイソギンチャクを移す。数分くらい水に接していなくてもなんの問題もない生物なので、箱に入っていた海水を水槽に入れている間はキッチンに置いておいた。底に敷いた砂が舞わないように静かに海水を流し込む。フィルターのスイッチも入れて、岩を水槽に入れた。イソギンチャクは飼ったことがなかったし、その生態をよく知っている訳でもなかったが、経験からウメボシイソギンチャクが強いことは分かっている。

「もう移したんスね」
「まずかったか? 多分、平気だと思うけど」
「特になんもいってなかったよ?」

閉じきった様子のウメボシイソギンチャクはなかなか触手を開く気配がない。ダイニングテーブルの端にふたりして背を屈めて、食い入るように水槽を覗いた。

「「あ」」

数分して、梅干しの中央から、薄暗い赤色をした半透明の触手が現れた。フィルターにより流れのできた海水にそよそよと揺れる。

「メシにするか」
「うん」

タイマーをかけておいた炊飯器から、白米よそい、黄瀬がサラダを作る。おかずは、少し前に青峰の母親が持ってきてくれた煮物だった。

「お前さ、職場でどんなイメージ持たれてんの。つーか、俺のイメージどんなだよ」
「いやぁ、いきものが好きっていう話しただけなんスけど……」
「この間のヤゴ取った時のこととか話したりした?」
「あー、それ話した。黄瀬くん、意外ー!! って言われた。オレも、数年前だったら同じ反応してた」

向かい合って座ったふたりの視線は依然として水槽に向かっているのだが、見えるのはフィルターのグレーだけである。テレビもラジオも付いていない室内にときおりの会話とフィルターの小さな駆動音、食事の音だけが響く。

「なまえ」
「え?」
「ウメ子か、ウメ吉?」
「あんた、こいつにも名前付けるんスか」
「ずっとウメボシイソギンチャクって呼ぶか? 長くね。やっぱ、ウメ子だな」
「安易すぎでしょ」




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