兄キと『クソ生意気な後輩』の恋を
見守ることになりました。2









WCが終わった。洛山に負け、キセキの世代である黄瀬涼太を出さなかった(出せなかった)海常には勝ち、WCベスト4という戦績で三年生は引退した。
WC終了から数日が経ち、何事もなかったかのように毎日、学校に行って、部活に出て、を繰り返している。変わったことと言えば、兄キが予備校に本格的に行くようになったので、顔を合わせる時間が圧倒的に減った。三年は、履修の自由から、昼間もあまり学校にいなかったりする。たまに兄キに息抜きに付き合って、深夜にランニングだとかストバスだとかするようになった。その度に「なまってきた」「裕也に抜かれる日も近い」と言っていた。そして、その度に俺は兄キに勝ち逃げされたことを痛感させられた。追いつけなかった、追い越せなかった。そんなことを兄キには絶対に言ってはやらないけど、どことなくバレている気がした。
一番変わったことは、俺が次の主将に選ばれてしまったことだろう。もう三年は引退したので、現在、仕切っているのは俺ということになっているが、なんやかんや顔を出す先輩たちに甘えっぱなしだ。予想外だったし、引き継ぎという引き継ぎもなかった。監督も大坪さんも新一年が入ってくるまでまだ三ヶ月以上はあるから平気だ、などと言ってくるが、はっきり言って、俺は人をまとめるのは上手くない。基本、大雑把だし(と言うと、どこが大雑把なんだと返されるのでもしかしたら、傍から見ると大雑把ではないのかもしれないが)細かいこと考えて行動とかできないし、とにかく、大坪さんの後釜の難易度の高さを考えてみて欲しい。無理だろ。副主将にしっかりしたやつを選ぶんだったら、俺じゃなくても良かっただろと思わなくもない。もちろん、嬉しいし、やるからには俺の代で全国一位もぎ取るつもりだ。一年から選ばれた副主将は案の定、高尾だった。それを聞いて安心もしたし、少し不安にもなった。微妙すぎて、「裕也サン、俺ちゃんと頑張りますんで!!」なんて言いながら敬礼して見せた高尾に返す言葉が思いつかなかった。とりあえず「お前には緑間の世話係がぴったりなのにな」って言っておいた。

兄キと高尾にとって、つまり、あのカップルにとって卒業というイベントはどういうものになっているのだろうか。ふと俺は考えたのである。
今までの通りならば、どっちかが落ち込んでるのを俺が発見して、そこから仲直りさせる、というケースが多かった。しかし、だ。たぶん、現在進行形で二人とも落ち込んでいる気がする。予想だが、WCの打ち上げの帰りにでも別れ話をしていると見ている。ただ、俺ただのお節介でここまでやってきわけだが、さすがに突っ込んでいいところといけないところくらいは弁えられるつもりだ。あれだけ別れたがっていた(表面上は)二人が、今度こそ本当に別れるというのなら俺が止めるのはお門違いだろう。どうしたいか、それだけで話を進めていけるほど、恋愛というのは簡単ではないようだ。特に、兄キと高尾に関しては。お互いにお互いを想いつつ、自分自身の気持ちに蓋をすることが上手すぎるので、放っておくと、もれなく別れようとする。分からなくもないんだ、俺だって。
WC前に高尾とちょっとした世間話についでに兄キとは順調なのか聞いた時があった。
「兄キとはどうなんだよ」
「順調、ですかね。裕也サンのおかげで、ほんと」
「……WCの結果がどうなるかは置いておくとして、卒業したらどうすんだ」
「どうもしない予定っすよ?」
「本当のこと言えよ。言いいたくなきゃいいけど」
「ここまで面倒見てくれた裕也サンだし言っちゃうと、宮地サン卒業する前に別れようって言うつもりっす。それは、付き合い始めた時には決めてたことなんで」
言うと思った、と呟くと高尾は「宮地サンもおんなじことを言ってた」と乾いた笑い声をあげた。自暴自棄とかそういう風には見えなかった。試合前だし、兄キをひとりのチームメイトとしてだけ捉え、その目には静かだけど、しっかりと闘志のようなものが宿っていたように見えた。メンタル的な揺らぎは一切なかったようだし、とりあえず、WCが終わるまでは何も心配しなくていいだろう。
「兄キを好きでいればいい、どうせに嫌いになんてなれねえくせに」
「好きなのが、辛いって言ったら?」
その言葉は、酷く重く俺の心のしかかった。そんな気はしていたが、そこまで辛いのだろうか。俺は知らないことを知ったかぶるつもりはない。俺の人生上で好きと辛いはそう簡単にイコールで結ばれない。少ない中から例を挙げれば、バスケふだろうか。バスケは好きだけど確かに辛い。それは目指す先があって、そこに到達できないからだ。理想と現実に溝があって、それを埋めねばならないから辛い。この考え方に当てはめると、高尾には兄キを好きでいる状態の中での理想と現実の溝を感じていることになる。どうしたいのだろう。何が不満なのだろうか。いや、まあ、挙げていったらキリがないだろう。障壁だらけ恋愛を目下しているのだから。
では、改めて俺にできることはなんなのだろうか。半年以上見てきて、俺は特に何かをした覚えはないが、それでも、何かしら考えて行動を取っていたはずだ。今のところ大きな失敗には至っていない。
当たって砕けろ、ということで俺はさっそく高尾にアプローチをかけることにした。

部活終了後、俺は高尾を呼んだ。部活のことだと思ったようだ。わざわざ訂正しなくてもすぐ分かるだろうから、部活ノートを取りに戻ろうとしたえりを無言で引っ張った。
「うげっ! なにするんすか!!」
「ノートいらねえ」
「え? いらないんすか。ていうか、口で言ってくださいよ!」
俺も察し悪い方ではないが、高尾の方が周りをよく見ているからなのか、何かとすぐに状況を理解してくれるので助かる。今もほら、たった一言で俺が何をこれから言おうとしてるか分かってくれたようだ。ついさっきまで屈託なく笑っていたのに、どこか疲れたような、困ったような表情を俺に向ける。
「今更っすけど、ほっといてくれって言いましたよね」
「ああ、ずっと前にな。その後はなんだかんだ言ってこなかったな」
「言ったってムダでしょうが。アンタも宮地サンと血繋がってるだけあって変なところで首突っ込んでくるし」
「兄キの方がお人好しだろ」
「んー、どっちもどっちじゃないすか」
俺からすれば兄キの方がよっぽど世話焼きだし、なんでも首突っ込んでいくし、見て見ぬ振りなどできない質だと思う。曲がったことが嫌い、というやつだ。それでいて正論と常識と手間と、そんな感じものが織り成す矛盾にぶち当たってはうんうん唸っている。目の前の高尾との付き合いがまさにそれである。むしろ、その代表のような気がする。
「んで、もう言ったのか? それとも兄キから言われた?」
もちろん、この二人関係を象徴し、流行語大賞だって狙えるんじゃないかというほどには乱用されてきた言葉のことだ。
「オレから言いましたよ。OKもらいました」
「あっそ」
「ひっぱてきておいて反応薄いな〜。で、今度はどうするんすか?」
「どうして欲しい?」
「なにその質問ずる……」
「まーそりゃ、俺は当事者じゃないしな。お前からすればずるい立場にもなんだろ」
「羨ましくはないですけどね。裕也サンは絶対に宮地サンとは付き合えないわけじゃないすか」
唇を尖らせて、拗ねたように言うが、もちろんポーズだ。高尾はそう簡単に拗ねたりしない。拗ねてくれた方が可愛げもあるんじゃないかとは何度も思ったことがある。
「気持ちわりいこと言うなよ!! 当たり前だろうが!!」
「オレと宮地サンが付き合えるのは、当たり前じゃないじゃないすか」
「あーもう聞き飽きたわ、それ。それでもちゃんと付き合ってきただろ」
「宮地サン、大学行くんすよ!?」
「そりゃそうだ」
「このまんま宮地サンはお酒も飲めるようになって、社会人になって、結婚して家族ができるるわけじゃないすか」
頷いて見せる。特にかける言葉が見当たらない。
「宮地サン、長男だし結婚すべきっしょ。それこそ、これで宮地サンがオレとできてるってことを伝えたら裕也サンにだってそれなりの被害が出る訳じゃないですか」
「今日のお前はよくしゃべるな」
「……そうすか?」
渡り廊下の窓から、もう真っ暗になってしまった外を見る。少し窓を開けると、冷たく鋭い風が入り込んできた。まだ引き切っていない汗が一瞬で冷えて、思わず身震いする。高尾がなにやってるんだ、という目で見てくるので大人しく窓を閉めた。
「今、兄キとお前は付き合ってないのな」
「はい、そっすね」
「例えば、だけど。例えばな。For exampleな? お前の相手が兄キじゃなくて俺だったら、お前はおんなじこと言うのか?」
「ハイ? んーまぁ、言うんじゃないすか。宮地サンと同じくらい好きなんでしょ、裕也サンのこと。うわ、きも。なんでそんなこと聞くんですか、気持ち悪い」
「まじでキモイな。やばいわ。ないわ。鳥肌たった……」
「裕也サン、自業自得」
「もう、俺は止めないから。好きにすれば」
高尾は目を丸くした。俺から話を振ったのだし、やはり、また止めに来たと思っていたのだろうか。
「だって、お互いのことを思って、そういう結果に行き着いたんだろ?」
高尾の言うことは何も間違っていないだろう。俺だって、これだけ兄キと高尾がいちゃついてるのを見てきてるっていうのに、まだ、兄キは普通の人生を歩んでいくと思っている。兄キは大学生になって、社会人になって結婚して、子供ができて、兄キは父親になって俺もおじさんなんて呼ばれて、っていう。兄キの横に高尾がいるところは想像がつかない。つかなくもないけど、高尾の言葉を聞いて初めて、違和感を感じた。
これは、誰もがぼんやりと描く将来の形だと思う。俺もそうなると疑ったことはない。兄キだってそうやって普通に大人になるって思ってたわけだ。でも、実際は兄キは高尾っていう俺に敬語の使えない裏表のある生意気な後輩とお付き合いしているのだ。
高校生のカップルが結婚まで発展するケースというのがどれほどあるのか知らないが、決して多くないだろう。みんなどこかで別れてしまっているのだ。卒業というのは大きな分岐点にひとつなはずだし、そこで別れなくとも結局合う回数が減って自然消滅という形になったりするのだろう。
「なあ、高尾」
「なんすか」
「お前、兄キと結婚したいの? 違うか、ずっと一緒にいたいの? それこそ一生」
「……? まあ、そうなんじゃ? そういうもんじゃないんすか」
「疑問形かよ。じゃあ、お前の結論は『ずっと一緒にいたいけど、お互いのためにならないから別れよう』ってことだよな」
筋は通っているし、男女のカップルでもある話だろう。なにひとつおかしくない。俺は納得した。
「いいんじゃね。これで兄キとさよならってのも。お前だって彼女作ろうと思えばすぐに出来んだろ」
「それはまあ……そうっすけど」
大した自信だ。(なんで俺はモテないんだろうか。レギュラーじゃないからか? いやもう、次の試合からはスタメン入れるし、俺の時代もそろそろ来るだろう)釈然としない様子の高尾の肩をひとつ叩いて、俺は居残り練に戻ることにした。高尾の意志が確認することができただけで十分だ。どうせ、高尾もこの後、居残り練をするのだから何かあればその時でも構わないだろう。
「アンタが諦めたらオレらをくっつけられる人いないんすからね……! そこんとこ理解しててくださいよ!!」
真後ろから叫ばれてしまった。振り返ったら、怒られそうだ。全くワガママな後輩だ。こういうところが生意気だっていうんだ。
「そういうことは早く言えっての」
俺は決意を新たにするはめになった。

となれば、次は兄キに突撃にいかねばならない。あれでいて、頭のいい、というか勉強のできる人なのでセンターが近いというのに、それなりに余裕がある。模試でも悪くてB判定とか、そんなもん。基本、A判定が取れてるみたいだ。そんな兄キだから、少しくらい恋愛にうつつを抜かしても平気だろう。
俺は居残り練を終えて、家に帰った。兄キはまだ予備校で、母親によれば「もう少しで帰ってくる」そうだ。後で兄キをストバスに誘おうと思う。家でゆっくり話すというのもどうかと思うし、ランニングしながら話してもいいが、息抜きついでなのだから、やっぱりバスケだろう。
予備校に行っている兄キを除いて、家族で夕飯を食べた後、俺は部屋で勉強をしていた。明日の数学の予習だ。兄キが帰ってきたようだった。
「おかえり、このあとストバスいかね?」
「ただいま……出迎えなんて珍しいと思ったらそれかよ。いいぜ」
「このまんま行こーぜ。兄キ、チャリ出しててよ。ボール取ってくるついでに荷物置いてきてやるから」
「りょーかい」
脱ぎかけたスニーカーにもう一度、かかとを入れ、兄キは俺にリュックを渡す。玄関を出ていき、ちょうどリビングから顔を出した母親が「ほどほどにね」と釘をさしてきた。俺は、階段を登って、兄キの部屋に重いリュックを投げ捨てた。
ボールだけかごに乗っけて、並んで自転車を漕ぐ。兄キが受験に本腰を入れるようになってからはよくあることなのだが、それまでは片手で数えられるくらいしかなかった。それは、お互いに毎日暇なく体育館でバスケをしていたから、わざわざ少ないオフをあえて兄弟でバスケなんてしようと思わなかったからだ。
「今日も居残りしてきたんだろ? まだやんのかよ」
「うっせーな、いくらやっても足りねえんだよ」
「だよな」
パスからのレイアップを交互に数回やったところで、One on Oneが始まった。先行は俺だ。
「いま、何本目?」
「俺が7で裕也が5」
「そういやさ、高尾と別れたんだって?」
「言っとくけど、俺からじゃねえからな」
「ああ、聞いた。兄キたち、お別れ慣れしすぎじゃね? 別れたばっかだっていうのに、その落ち着きっぷり。少しは寂しさとかねえの?」
俺が高尾の話を持ち出したことによって、一度中断することになった。近くのベンチに腰掛ける。兄キがボールを手の中で回転させて遊んでいた。俺は腰に引っ掛けてある自転車の鍵をいじりながら、兄キの話を聞いた。
「慣れちゃいねえけど、分かってたし。今までなんの問題もなく喧嘩もしないで付き合ってきたとしても、卒業前には別れたよ。あいつが言わなかったら俺が言ってただろうし」
「なんで、そんなに別れたがるのかわっかんねえな」
「あ? つーか、お前に言う義理ねえだろ、ぶっ刺すぞ」
「うっせーな、今更照れてもおせえんだよ」
「はい、目潰し」
「ちょ、たんま!!! いでで、チョキはやめろ!!」
容赦なく真っ直ぐに俺の目に向かって兄キの人差し指と中指が刺さりそうになる。首をひねってかわすが、結局こめかみ辺りにぶっささり痛かった。
「高尾だって素直にゲロったんだから兄キもゲロっちまえって。ちゃんとプライバシー保護はするから安心しろ」
「そもそも、なんで裕也が俺らの仲を取り持ってるのかいまだに謎なんだけど」
「それこそ今更だろ。さっさと吐けよ。さもないと、おふくろと高尾に兄キのエロ本提供すんぞ」
「吐けって何を吐けばいいんだよ……あと、お前のエロ本の隠し場所なら俺も知ってるから」
「おふくろに見られたって構わねえよ。兄キの場合、高尾が見たらどうなんのかな〜? あ、もう別れてんだった」
「そうそう」
「じゃあ、高尾と付き合うことによって生じるデメリットを挙げてくれ」
「随分な言い方だな」
「もちろんに兄キにとってじゃねえよ。高尾にとって、兄キなんかと付き合って人生を棒に振らせるのはかわいそうっていう話だろ?」
「よく分かってんじゃん。一番、問題になるのは結婚だろうな。今時、結婚しないっていうのも珍しくない感じだけど、普通、親は心配するだろ。例えば、結婚しないで、この関係が続いたとしても、一緒の墓には入れないし、何かあったときに結局は他人で、ひとりでしかない。結婚が幸せとは限らないけど、会社入ってずっと独身だったらやっぱり変に思われるような気もする」
「あと、ホモなんてバレたらどうしようもないってとこか」
「身も蓋もねえな。俺らのこと知ってんのは裕也だけだし、バレたらどんな風に見られんのかはあんまり想像つかねえんだよな。でも、やっぱりバレたら職場とかいられねえんじゃねえかな。そういやお前、全く抵抗なく受け入れてたな……」
「それもそうだな……俺はそっちじゃねえからな?」
「知ってるわ、弟までホモじゃ救いようがねえだろ。誰が孫の顔見せてやんだよ」
「孫とか、そこまで考えてんのかよ……笑っていいとこ?」
「ちげーだろ。俺も、たぶん、高尾もお互いに好きだっていう気持ちは持ったままでも結婚だろうが交際だろうがセックスだろうができる。だから、嫌いにならなくてもいいんじゃねえかなって思ってる」
「女々しいし、どっかからくんだよ、その自信。そこまで相思相愛でも別れんのな」
「大人になんだよ、独立するんだよ、それって、自分の力で生きてくってことだろ。好き好んで弱点抱えたまま生きたくねえだろ。俺はあいつの弱点になりたくない。あいつの選択肢を減らしたくない」
これまた納得である。高尾と言っていることは結局のところ同じだ。そんなにも兄キと高尾が隣り合って、並んで生きていくのは辛いことなのだろうか。
「理想は?」
「難しいな……理想か。一緒に住んで一緒に大人になりたい」
「兄キの方が年上なのに『一緒に大人になりたい』って言うのはなかなか違和感あるな」
「二歳差なんて、社会に出たらあってないようなもんだろ」
「 With love one can live even without happiness.って、言葉聞いたことあるか?」
「ねえな……幸せがなくとも愛があれば生きれる、で合ってるか?」
「 合ってる。それなりに生きれるんだとよ、愛さえあれば。言ったのはドストエフスキーな」
「お前の口から愛とかいう言葉聞くと気持ち悪いな」
兄キの手の中からボールを奪い、そこからシュートモーションを取る。緑間はもっと長い距離を投げるのだ。コート脇、試合であればまさにベンチのある位置くらいだろうか。ぐっと膝を曲げてボールを放つ。ボールはふんわりとした軌道を描いて、ゴールの横をかすっただけだった。すぐ後のボールの跳ねる音だけが聞こえた。
「下手くそ」
「兄キだってできねえよ」
「1/5くらいの確率で入る」
「嘘付け。んで、兄キと高尾に与えられている選択肢は二つで、 至極普通で一般的な幸せを選ぶか、決して楽ではないかもしれないけど愛し合って生きるかって感じか 」
俺がそう言うと、兄キは困ったというように眉尻を下げて頬をかいていた。やっと気付いたのだろうか。高尾がどっちを選ぶか、高尾の恋人の兄キが分からないわけがないと思うのだが。
「それ、高尾には言ったのか?」
「あ、いや、言ってない、けど、似たようなことは……」
俺が言ったというよりかは勝手にあいつが言ったというか、俺が好きなように解釈したというか……。
俺の心情など露知らず、兄キは真剣な顔をし、指を差して言う。
「高尾に言うなよ」
「おう? 了解?」
何を思ったのか知らないが兄キはよし、と一人で何かを意気込んでいる。
ああ、と一つ思い出す。高尾は聞く前(聞く予定はその時はなかったが)に答えてくれた。兄キにだって聞いておきたいじゃないか。
「なあ、兄キと高尾をくっつけることができるのってやっぱり俺だけだと思う?」
どうせ違うと返ってくるのは分かっていたし、特に意味のある質問でもない。冗談めかして聞いた。
「そうかもな。でも、くっつけて欲しいと思うのは俺か高尾であって、お前はその両方が揃わない限り動かない。だから、それは俺だけで、あいつだけだ」
兄キ自身が自分の言葉に釈然としないようで、首を傾げながら「わりい」と謝った。
「なんつーのかな、とにかく、俺は選ぶし高尾にも選ばせる。お前は安心していい」
「お役御免ってか」
どっちを選んだのかは知らないが、やっと覚悟が決まったようだ。安心していい、というのは、終わりを定めた結果から来るものなのだろうか。俺は高尾の気持ちをここで告げるべきなのか迷った。高尾は兄キと別れたくはないのだ。さっきの二択で言うならば、幸せではなくとも愛のある人生を送りたいと、選んだのだ。もちろん、兄キがそれを選んでくれるのならばに限るが。しかし、それは兄キも同じで、どっちを選ぶにしろ、相手の思いは分からないのだ。
恋愛の難しい一面を見た。そう思った。
もしこれで、兄キが普通の幸せルートを選んでいて、それを高尾に告げたら、高尾の想いはどうなる。高尾は今、自分は全てを投げ打つつもりはあるけれど、兄キがNOと答えるならば、その想いを告げること自体が兄キへの負担になるから、迂闊に言うことができないという状態にあるのだろう。
「今すぐ行け」
「急になんだよ。裕也?」
俺は携帯をポケットから出して高尾に電話をかけた。
「あ、もしもし。今、平気か? ……うん、そっか……じゃあ、ダッシュで○○公園のゴール下な」
「おい、裕也!!」
「はい、行ってらっしゃい。思い立ったが吉日っていうだろ。あ、蠍座のラッキーアイテムな、チャリのタイヤに付いてる反射板だってよ」
「持ち歩けねえじゃん!! よかったな、蟹座で!! 緑間のやつ!!」
俺の行動に呆れて、吹っ切れたのか笑いながら、かつキレながら兄キは止めてあったチャリにまたがった。
「裕也、最後だからな、これが。ありがとう」
チャリの鍵についた鈴をちりちりと鳴らしながら兄キは住宅街へ消えていった。俺もボールを回収して、帰ろうとチャリに乗る。
兄キが最後だっていうんだから、あの二人には決着がつくのだろう。それも、今日、今から。
どんな結果であれ、俺は傍観者で第三者、口を挟もうとは思わないけれど、ただ一つ思うことは、兄キが高尾を泣かせてなきゃいいな、といったところだ。

帰ってきた、兄キは照れくさそうに俺にコンビニの袋を渡してきた。中身はハーゲンダッツの抹茶で、俺の一番好きなアイスだった。
「裕也には迷惑かけるかも知んねえけど、悪いのは俺だから」
大事なことはそこではないだろう。一番最初には良かったことを報告すべきだ。それ相応の形で。言いたいことは分かるが、ごめんじゃなくてありがとうが先だろ。あ、いや、兄キはもう俺にありがとうと言ってしまったのか。
「兄キといい高尾といい、モテるんだから俺に女の子を紹介しろ。んで、俺が可愛いお嫁さんゲットして、孫の顔拝ませればいいんだろ? ああ、骨は二人とも自然葬とかにしろよ」
「いっそ、海葬とかよくないか?」
玄関で、葬式の形式について話しているとちょうど持っていた携帯が鳴った。
「あ、高尾からメールだ」
「なんて書いてあんの? 見せろ」
「やだよ、プライバシーの侵害だろ」
「いいだろ、どうせ俺のことなんだから」
俺がトイレへ逃げ込むと、まだスニーカーを履いたままだった兄キは廊下向けて「待てよ!!」などと叫びながら律儀に靴紐を解いていた。
携帯を開く。あえてLINEではなくメールで送ってきたのか。めっきり開くことの少なくなった受信ボックスの手紙を模したアイコンを押す。
『ありがとうございました。たぶん(←ココ重要)裕也サンのおかげです。たぶん!! 俺が大学生なったら同棲してくれるようです。オレがここまで宮地サンと別れずにこれたのはやっぱり2割くらいは裕也サンがいたからだと思っています。ちなみにハーゲンダッツはオレと宮地サンの割り勘です☆』
俺はトイレから出て、いつの間にかリビングに行っていた兄キに声をかけた。
「財布持っていくの忘れたのか?」
一瞬、ピンとこなかったようだったが、すぐに部活中によく見せてた笑顔で俺の頭を掴んだ。そして、その指に力を込めてくる。
「で、いだだ、俺、悪くない!!」
「うるせえ、握り閉めてぺちゃんこにすんぞ!! 感謝の気持ちは半々なんだよ!! アイス、電子レンジでチンするからな!!」
「兄キはもっと、しっかりゆっくり生きろよ……恥ずかしいからって、そうやって人に危害加えるのよくない」
「いいよ、俺が食うから」
「よかったな、お幸せに」
思いの外、言った自分が照れてしまい、頬の内側が一気に熱くなるのを感じる。冷凍庫から、アイスを持って小走りにソファーに座り込んだ。スプーン持ってくるの忘れたの。そっとキッチンを見ると、顔を赤くした兄キが水を飲んでいた。
「ほらよ、スプーン。……まじで轢くから」
あんな真っ赤な顔で言われても迫力ねえな。

次の日、部活で顔を合わせた高尾はなんともないです、というような澄ました顔をしていたが、「幸せになれよ」と言ったら、真顔になって、数秒後、俺に腹パン(まさかの照れ隠し)食らわしてきた。予想外の行動に俺腹筋も衝撃を抑えきれず、もう高尾を照れさせるのは止めようと思った。
なんやかんやで、落ち着いたらしい(本人たち曰く最後らしい)ので、俺もちょっと疑いつつも安心した。半年以上、見守ってきた兄キとクソ生意気な後輩はなんとか卒業という大きな分岐点を乗り越えたようである。
そろそろ俺も、自分の恋を探さないと青春時代が終わってしまう。もう、高校生活のターニングポイントは折り返している。今度は、俺が兄キたちリア充に相談にでも乗ってもらおうか。






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