兄キと『クソ生意気』な後輩の恋を
見守ることになりました。

 








俺がはじめて高尾和成を生意気だと思ったのは、いつだっただろうか。確かに、入部したての一年があっさりと(その時の俺にもほかの部員にもそう見えた)スタメン入りして、ただでさえ緑間という、ぶっちゃけ扱い方の分からない後輩まで入ってきて、なんだコイツらとは思った。キセキの世代は入るわ、一年二人が二年を差し置いてスタメン入りするわ、その後輩は一癖も二癖もあるわで、正直言って波乱の春だった。監督含めて、誰もが困惑気味で、毎年のことではあるのだろうけど、暗中模索、暗闇の中での手探りスタートだった。
で、俺が高尾にイラついた瞬間。たぶん、梅雨前らへん。一年もようやって慣れてきたところだっただろうか。あの触覚の生えた後輩は休憩中に俺に言ったのだ。
「裕也サン、宮地サンに憧れてバスケやってんすよね?」
兄キじゃねえけど、轢くぞと怒鳴りそうになった。突然、何言ってんだこのクソ一年。ぶっ潰すぞ、まじで。その目、潰したろか。なんて思いながらも兄キと違って自制をきかせた俺は口を閉じてデコピンをかました。
その後もなんか色々言っていたような気がするが俺は、その後の高尾に関して特に覚えていることはないので、はっきり言ってそれほど高尾に関心はなかった。しかし、ムカついたことはムカついたので、この時にはじめて(又は改めて)高尾和成を生意気だと思った。
高尾和成というのは、変なやつだった。緑間も変なんだけど、まあ、そんなのはプレー見れば分かる。出来る出来ないの問題じゃないだろ、あの3Pシュート。その点、高尾は変に見えないのに変で、カッコ悪いことこの上ないが、俺が目指してきた位置にすんなりと居座った。それがちょっと癪
触った。まあ、すぐに認めざるを得ないなと思った。
どんな過程(というほどでもない)があったかは置いとくとして、俺は選手として、ある意味で人として高尾和成を尊敬していた。
そんな高尾和成が俺に泣きついてきたらどう思う? 高校生男子は泣かねえんだよ。泣かねえよ、普通。兄キがいつも居残りしてるから、基本的には家の近くのストバスとかで練習してるんだけど、その日は普通に体育館に残ってたんだ。まだ何人か残ってたはずだけど、俺は少し早く切り上げて、一人で部室で着替えてた。そこに高尾が駆け込んできて、あいつも誰もいないと思ってたぽくて、見るからにびっくりしてた。俺もかなり驚いて、すっとんきょうな声をあげてしまった。

「高尾?!」
「……ぇ、あ……裕也、サン? どうして」
「どうしてはこっちのセリフだ! なんでそんななんだよ」

高尾は、号泣というほどじゃないにしても、目の周りは真っ赤で、それを何度も乾燥した手でこするから、余計に赤くなっていた。鼻のあたりも赤くて、俺に泣き顔を見られるのが恥ずかしいのか、終始俯きっぱなしだった。ひとまずタオルを投げつけた。顔を洗いに行かせて、戻ってきた高尾は渋々というように泣いていた理由を話し出した。
それがさ、なんんか理由聞いたら、恋人が云々って言うんだぜ?

「ふうん、お前、カノジョとかいたの。しかも、年上なのか。つーか、お前のカノジョなんか男前だな……」
「あ、えっと……そうなんすよ!! めっちゃかっこいいの!! あの、もう平気になりました。引っ込んだ!! ホラ!! だから、この話はおしまいで」

ばっと勢い良く顔を上げて、自分の顔を指さしてにっこりといっそ気持ちが悪いほどに満面の笑みを見せつけてきた。

「うるせえ、うちの近所の森みてえな公園に手足縛って転がすぞボケ」
「あ、ハイ。続き話せってことっすね。ついさっき、まー、なんつーか別れようって言われただけなんですけど、」
「は? なに『だけ』とか言ってんの。強がってんじゃねえよ。泣くほど好きなんだろ。ていうか、高尾が泣く所とかほんとレアだな、写真撮っときゃよかったわ〜」
「この間、パンイチ写真流したことまだ根に持ってるんですか? あれは大坪サンに喧嘩両成敗されたじゃないすか!! もういいデショ!!」
「分かったよ、兄キにだけ送るか」
「はい!? え??! いま、どの流れでそうなったんすか??! ねえ!!!」

実は、驚いていたなりに面白くて、泣いてる高尾を何枚か写真撮っていた。こいつが、恋人とか言った瞬間に無音で連写決め込んだ。
俺の肩を掴んで全力で前後に揺すった高尾に文句を言おうとして舌を噛んだので、勢いを殺さず頭突きを繰り出す。なかなか鈍い音が脳内に響いて、これは相当痛かったんじゃないかと高尾を見ると、高尾は俺の携帯を俺のポケットから取り出していた。

「ストップ!!! ちょっと、待て!!! ああああ、なんでお前が俺のパスワード知ってんだよ!! ドリアン鞄に詰めんぞこのクソチビ!?」
「……宮地サンには送んな」
「敬語使え。兄キっつったのは、流れだけど、お前もほんと宮地サン宮地サンうるさいよな」

あんだけこえーのによ、と付け加える。俺は兄キがどんな気持ちであんなこと言ってんのかよく分かってるから、フォローもしないけど、客観的に見て、あそこまで容赦なく怒られるとマジで怖い。最近は、教員等の体罰だとかもうるさいし、高校生になっても親がちょっとしたことに出張ってくることもあるしで、先輩が叱らないと誰も後輩を叱れないわけで、兄キはそこんところ全部請け負うくらいガンガン怒鳴りちらしている。責任感とか色々あるんだろうけど、まあ、あの人は、誰かのあと一歩の押し方がクソ下手なだけだ。こえー先輩役買って出ようとかの前に頑張ることが普通すぎて、そんな普通のことを諦めようとするから怒ってる(兄キ的には激励のつもりでもある)だけで、でもそれが傍から見ると怖いっていうそれだけだ。

「ほっといてくださいよ」
「まー、お前見る目あんぜ」
「裕也サンが素直とかキモ……」
「あ? 腸巻取り機でお前のーーーーーーすんぞ!!」
「グロwwwそんなグロイ死に方wwイヤwww」
「今のでチャラな。お前が泣いたこと誰にも言わねえから安心しろ」
「今のって、拷問グロ話っすか?」
「えーと、兄キのアドレスは、っと」
「あーもー!! スミマセンってば、冗談冗談」

携帯をポケットに仕舞い直したところで、居残りもギリギリの時間になっていた。すぐにでも、残っていた何人か(兄キ含む)が部室にくるだろう。俺もさっさと着替えて帰ろう、とTシャツを脱ごうと手をかけたところでふと、気付く。高尾は居残りをしていたはずで、あいつの携帯はロッカーの中のはずだ。高尾のカノジョからの電話は有り得ない。マネージャーもとっくのとうに帰っているし、今日、居残りができるのはうちと水泳部だけだ。水泳部に女子は数人しかいない。しかも、プールは校舎の屋上で、ここは渡り廊下で切り離された体育館だ。とにかくひたすら、高尾の周りに女はいない。おまけに、無理やり開放してもらった小体育館で練習していたのは兄キと高尾と緑間で、緑間は用があるだとかで先に帰っていった。それは、わざわざこっちの体育館まで挨拶にきていたから、確実。つまり、部活終了時間から高尾の周りには女子はおろか、兄キ以外いなかったのである。高尾は『ついさっき』と言った。

「……馬鹿なこと言ってもいいか?」
「なんすか?」

高尾は、早くこの場を去りたいというように急ぎ足で荒っぽく着替えている。普段だって丁寧に着替えはしないが、表情からして焦りが伺える。俺はたった今たった仮説に真実味が帯びて、若干、寒いものを背中に感じている。

「お前のカノ……恋人って兄キか……?」
「だったら、どうするんすか? っつーか、カノジョって言ってるじゃないすか〜。突然改まって、ホントに馬鹿なこと言わないでくださいよ、裕也サン!」
「そうだよな、わりい、変なこと言って」
「もう、ホモホモ言われるのは真ちゃんで慣れてるっすけど!! 実の弟に疑われる宮地サンもどーなんすかね〜」
「兄キはみゆみゆが居ればいいんじゃね? あの人、ムダにモテるけど、結局みゆみゆ離れできねえから」
「ホントにみゆみゆ好きですよね、いや、確かにみゆみゆ可愛いけど」

シャツのボタンを止め終えて、既に全部突っ込み終えているエナメルのスポーツバッグを肩にかけた。ドアに手を伸ばしたところでちょうど、それが開いた。

「あ、裕也今から帰んの?」
「おう」
「チャリ乗せてけよ」
「はあ? 知らねえよ、電車で帰れ」
「来週、CD出るか削れるところ削っていかねえと」
「寝坊した兄キが悪い」

俺も兄キも電車の方が(少しだけ)早いけど、筋トレも兼ねてチャリ通してる。学割きくんだから、定期で通った方が安全だし安いし速いだろうと母親に言われたのをなんやかんや丸め込んで兄キがチャリ通していたので、俺も自ずとチャリ通になった。

「5分なら待つ」
「さんきゅ。裏門?」
「ん。あ、高尾、気をつけて帰れよ」

部室の入口で兄キとそんな会話をして、着替えているはずの高尾を振り返る。高尾の表情が暗い。どんより感が出ている。妙な沈黙が流れて、兄キに視線を戻すと、兄キも神妙な顔をしていた。妖怪ウォッチがあったら、今ここにドンヨリーヌ見えるな。

「着替え終わってんじゃん。玄関まで一緒に行くか?」
俺は何に気を遣っているんだろうか。玄関まで一緒に行く意味な。
「いいんすか? あ、宮地サンおつかれさまっしたー」
「お、おう。おつかれ」

高尾もオレンジのエナメルを掛けた。兄キが一歩横にずれて、俺と高尾が外に出た。入れ替わりに、入った兄キがドアを閉める瞬間に高尾を見ているのが俺には見えて、もう、これは疑う余地ねえな。高尾と兄キ出来てるわ。すぐ別れようとか言いそうだし。高尾は、俺にはバレてるって気付きながらも隠そうとした、というか誤魔化すという態度を取ったから、見て見ぬ振りをしろということだろう。俺だってあえて首を突っ込もうていう気分にはなれない。だって、後輩の恋愛ならまだしも、同時に兄キの恋愛だし、そもそも俺にホモの世界は分かんねえよ……ケツの穴使うってことくらいしか。
玄関までの数分、高尾がなんにも話題を振ってくれないので無言になってしまった。ここで迂闊に口を開くといらぬこと言いそうだし、こっちから話を振ろうという気にはならない。

「裕也サンがどう感じてんのか分かんねえっすけど、放っといてくれていいすから」
「あ、ああ。手の出しよう? 手の出し方が分かんねえから気にすんな……今日のはお前のミスだけどな。便所とかで泣けよ、今度から」
「うっさいすよ。っつーか、泣かねえし、もう」
「あっそ、じゃあ気をつけてな」

靴を履き替え、高尾と別れて俺は駐輪場へ向かった。自転車の鍵をくるくると指で回しながら、ため息をついた。改めて知りたくもないことを知ってしまったなぁと。兄キに恋人ができたっぽいのはなんとなく察してたけど、兄キ、いつもカノジョいるし。ちょっと違うのも察してたけど、興味なかったしな。

「裕也」
「早かったじゃん」
「そうか? 俺が漕いでやるよ」

妙に優しくて気持ち悪かったが、事情が事情だ。好きにさせてやろう。

「兄キってよくそんな面倒くさい性格なのにカノジョひっきりなしにいるよな」
「面倒くさくねえよ、轢くぞ」
「そもそもみゆみゆ>カノジョっていうのがキモい」

前のかごに、俺の荷物より重い兄キの鞄突っ込んで、俺は自分のエナメルをかけたまま、後輪のでっぱりに足をかけた。よいしょ、と兄キがペダル力を入れて漕ぎ始める。背を丸くして、兄キの耳に顔を近づけて会話を継続する。

「うるせーな、お前だってカッコつけてギター弾いてんのもキモいわ」
「趣味なんだからいいじゃねえかよ。趣味は人を豊かにすんだよ」
「俺だって趣味だわ」
「兄キのは宗教一歩手前じゃねえか」
「誰が宗教だ。みゆみゆへの気持ちは純粋な可愛いっていう気持ちと、そんなみゆみゆが頑張っていけるようにっていう支えたいっていう意志だけで構成されてんだ」
「ハイハイ、不毛な会話したわ」
「んで、どう思った」
「何が」
「俺と高尾のこと」

住宅街は静かなようで、漏れたテレビの音や笑い声などがそこかしこから聞こえる。カーテン越しの光は明るい。車も人も誰もいない。俺と兄キの声が響いてしまわないかとも思ったが、そんなことはないだろう。

「どうも思わなかった。あえて言うなら、兄キ面倒くせえなって」
「そればっかりかよ」
「ホント面倒くせー。相手はあの高尾だぜ? 兄キがミスんなきゃバレねえよ。今日だって兄キのせいで俺にバレたわけだし」
「……分かってるよ」
「別れた方がいい、とか言って欲しかったのか?」
「もういい。情けなくて、穴があったら埋まりたいくらいだわ」
「埋めてやろうか」
「その前に沈めんぞ」

この時、俺は分かっていなかった。
兄キと生意気な後輩恋愛がこのあとどれだけ面倒くさいことになっていくのか。合宿でひと悶着? やっとできたオフでデートに行ってもなんかケンカして帰ってくるし、ここぞとばかりに兄キは別れた方がいいと繰り返すし、試合前さすがに落ち着いてたけど、WC終わって卒業一直線となれば、また別れよう、ばっかり。


俺がこいつらを見届けなきゃいけないわけじゃないけど、じゃあ、誰がやるんだよ。放っておいたら、拗らせて二人して痛い目見そうだしな。
高尾には手を出さないと言ったけど、俺が相談役くらいは引き受けてやろうと決めた。






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