貴方の欠片














・宮地さんは喉からぽろぽろと金平糖が出てくる病気です。進行するととても惚れっぽくなります。雪解けの水が薬になります。http://shindanmaker.com/33966
 





 
 
喉の奥からむずがゆいような感覚がせり上がってくるのを感じて、口に手を当てた。そして、ゆっくりと息をつき、唾を飲み込む。隣で寝ているこいつにだけは気が付かれないように。音を立てずに、さっきまでそうしていたように芝生に寝転がった。俺に背を向けて、微かな寝息を立てているまっすぐな黒髪に手を伸ばそうとするが、やめた。俺は行き場のない腕を掲げ、ぼうっと空を眺めながら、溜息を吐いた。
初めて、症状が出たのはいつのことだっただろう。運が悪くも和成が帰省している日のことだったと思う。その日はよく咳が出て、風邪でもひいたのか、と心配された。清志さんが風邪とか珍しいっすね、なんて言いながら折角の休みなのに俺のために薬草を摘んできた。咳が出ること以外に調子が悪いわけでもなかったから、いつもと同じように仕事をして、夕飯を終えて、明日には戻る和成と散歩に出た。
「ねえ、清志さん」
「ん?」
「清志さんにもオレにも見合い話、結構くるようになったすねー」
「そうだな」
「……清志さんは、どうするんすか?」
町からは随分と離れているので、街灯なんてほとんどない。月もまだ若く、月明かりもなくて、星がきれいに見えていた。俺の家から近い丘を登りつつ、そんな話を始めた和成。その表情は暗いので見えなかったが、大体、想像はついた。
「俺は……しねえよ。少なくともお前よりも早くは」
俺の両親は俺が幼いうちに死んでいるので、今の店を残すつもりなら結婚して子供も作らなくてはいけないのだろうけれど、俺は店なんてどうでもよかった。結婚しないことは珍しいことだとは思うが、なんだったら、神父にでもなればいい。結婚しなくても誰も怪しむことはない。聖書なんてまともに読めないし、信仰心なんてものはないから、それも無理だろうけど。
「オレより……すか」
「お前は、した方がいいと思うぜ。親御さん悲しませんなよ」
「それ、本気で言ってる?」
「仕方ないことだろ。初めから分かってたはずだ……。俺たちの関係自体がバレたらお終いなんだし」
「それは、そうっすけど……!!」
俺は黙って、和成の口に指を当てた。
聖書では禁止されている同性愛だが、実際、大きな街に出ればそんな店もごろごろあるんだから、そこまで厳しく取り締まられているわけではない。そんな店も公に認められているわけもなく、本当に同性が好きなでもなく、刺激に飢えた金持ちの道楽の一種として存在している面が大きい。背徳感がたまらないんだとか。男も女も抱ける人間なんて、羨ましい。 頭の堅いじじいとばばあしかいないこんな田舎の町だ。同性愛なんて許されない。バレたらいつぞやの魔女狩りの如く殺されそうで恐い。
俺は物心ついた時から、女に興味なんて持てなくて、常識から男が男に恋愛感情を持つことなんてないと思っていたから、俺は人を好きにも愛することもできない人間なんだと思っていた。まわりが言うように両親がいなかったから、愛情をもらっていない分、愛情に鈍いんだか、分かんないんだか、そんなものなんだと思っていた。
幼なじみで2歳下の和成とは誰よりも仲が良くて、感情に乏しい俺が初めて可愛いと感じたものだった。和成の父親は騎士の家系で、ここらへんの領主でもあった。弧児なんてほとんどいない町だったから、俺はどこへ行っても優しくしてもらえた。それでも一番、俺の世話を見てくれたのは領主さまだった。しょっちゅう、領主さまに家に出入りしていたし、和成の母親が和成に「清志おにいちゃん」なんて呼ばせていたから、本気でそれを信じていた時期もあった。(その誤解を解くために俺は酷い目にあった。号泣されたし、なんだか理不尽なくらい殴られたし蹴られたけど、甘んじて受けた俺はえらかった。)そんな感じで兄弟同然に育った俺と和成だが、俺は15を過ぎたくらいに和成への気持ちがおかしいことに気がついた。それまで、こんな行き過ぎた感情が普通の兄弟愛だと勘違いしていたのだから、自分でもすごいと思う。感情に乏しいと言ったって、それはとうの昔から和成に対しては当てはまっていなかった自覚はあったくせに、だ。
それが恋だと分かったのはいいのだが、その類のもの疎すぎた俺は何も考えずにストレートに告白した。確か、

 
 「お前が好きだ。恋とか愛、とかの好き」


なんて言った。それが同性愛だってことすら考えずにいたのだから、俺って多分、ただのバカなんだと思う。基本的に何も考えないで生きているせいだろう。よく、何を考えているのかよく分からないと、言われるが実際、何も考えてないのだから分からなくて当然なのだ。そんなことはどうでもよくて、そんな告白に対して、和成は三日三晩、部屋に引きこもってから返事を出した。俺よりも全然、状況を理解していたらしい。俺たちが男同士であることも、それが宗教的に禁止されていることも。そして、それが成立した先のことも。
「たぶん、清志さんに、だ……っだかれることに気持ち悪い、とかないから、たぶん、大丈夫。オレも清志さん、好き……。ずっと、一緒にいたい、って思う」
耳どころか首筋まで真っ赤にして俯きながら言った和成は喰っちゃいたいくらいかわいかったんだが(性的に)、途中から泣きだしてそんな場合じゃなくなった。
「オレは、もう少ししたら……王都に行くよ。ずっと、一緒にはいられない。まず、オレたちの関係は間違ってる」
泣いているのに、毅然とした口調で言われて初めてその事実に気付いた。その時も、バレなきゃいいじゃん、と返した俺はやっぱり空気も読めなければ、どこかずれているんだと思う。その頃、和成の父親、つまり今の領主さまはいつも家にいないのは騎士として王都にいるからで、和成も父親から位を譲られれば王都に出向かなければない。それは和成が15歳になる時らしい。あと、二年で町を離れる、とのことだった。その説明を受けて、ショックを受けた俺は、前触れもなく和成にキスをして、ひとまず自分の冷静さを取り戻した。ついでに、驚きで和成も泣きやんで一石二鳥だった。(お互いにファーストキスだった)
「間違ってたら、駄目か?」
そう聞けば、勢い良く首を横に振った。もう一度、キスをして、あっさりやることやっちゃって(事に臨むまでがあっさりだっただけで、情事自体は欠片もあっさりいかなかった。すんごく大変だった。個人的には和成の方が知識豊富でちょっと涙出たし、なんにも知らずに簡単に寝よう、と誘った俺がなんかもう、恐い。過去の俺が恐すぎる件について)次の日の朝には、人には言えない体の不調を抱えつつもいつも通りに遊んでいた。
お互いに幼すぎたせいもあって、情事は楽しくも気持ち良くもなくて、一種の儀式的なものとして、半ば封印された。特に関係が変わることもなく、時々、目を盗んで軽いキスを交わすくらいだった。
そんなものなのに、俺たちはべったりと依存していたらしい。
和成が王都に向かう年が来て、和成がいないことが想像つかなくて、平気だと言って送りだしたのは良かったのだが、三日も保たず俺は和成不足に悩まされるようになった。あとから聞いた話だと和成もそうだったらしくて嬉しかった。

年に何回かの帰省のときにしか会えないせいで和成が騎士になる前とはうって変わって、濃い関係を持つようになった。帰省のたびに成長してくる和成はとても格好よくて、初めは甲冑に着られていたのに、次合う時にはもう着こなしていたりして、置いていかれるような気持ちを抱いたりしていたのだが、少し口を開けば昔のままの泣き虫で照れ屋で気が遣える和成だった。ただ、向こうで徹底的な上下関係を叩きこまれたせいなのか、俺にまで敬語を使うようになっていた時には、まさに開いた口が塞がらない、とはこのことなんだ、と実感させられた。なんとか、今は砕けた怪しい敬語を話すまで頑張った。


「清志さん!!」
耳元で名前を呼ばれる。もう丘のてっぺんまで登り切っていた。
「……ん、ああ。ごめん。ちょっと、考え事してた」
「もう、せっかく、最愛の恋人と会えたんだから1秒だって無駄にして欲しくないんすけど」
「ごめんごめん」
拗ねたように言った、和成にキスをして、そのまま芝生に並んで腰を下ろした。
「和成……」
「なに?」
好きだ、と言おうとしたところで急に喉の奥に魚の骨が詰まった時のような不快な感覚とくすぐったいような感覚がして、俺は咳き込んだ。
ごほごほ、と静かな空間に俺の咳の音だけが大きくて、慌てて俺の背中をさする和成は早く、戻ろう、と言いだす始末だった。年に何度もないお前に会える機会だから、嫌だ、とぎれとぎれに伝えたら、馬鹿、と怒られた。
「ほら、ただの咳だったろ。平気だって、な?」
なんともなかったかのように咳は収まったというのに、疑り深く和成は本当に? 本当に元気? と何度も俺の体をぺたぺたと触った。それ、俺にさわりたいだけなんじゃないのって囁いたら、殴られました。
「てっめ、さっきのは痛かった!! 轢くぞ、こら」
「ひさしぶりだな、清志さんのソレ」
最近言わなくなったすよね、と俺を芝生に押し倒しながら和成は呟いた。抵抗せずにそのまま芝生の少し冷たくて柔らかくい感触を背中で感じる。湿った土のにおいがした。
「キス、していい?」
「どうぞどうぞ。それはお前の『権利』だ」
「そう言われるとなんか嫌っす」
「え。格好つけたつもりなんだけど」
「え。分かりづら」
くすくす、と笑う和成。その吐息の近さに安心する。目を閉じると、少ししてから唇に温かいものが触れた。なんども繰り返してる行為なのに、いつまで経ってもぐこちなくてたどたどしい和成のキスが俺は好きだった。そんなことは絶対に言ってやんないけど。というか、俺はそれを褒め言葉だと思うんだけど、いままでの傾向からしてそういうことを言うと和成は落ち込んでなかなかしてくれなくなるから、言わない。(前回の帰省では似たようなことを言ったせいで和成が寝たくない、とか言い出して俺、またも涙目)

音をわざと立てながらついばむようなキスを繰り返した和成。
「っう?!」
急に吐き気を感じて、和成を突き飛ばした。
「?! 清志さん?! どうしたの?!!」
くるな、と手で制して、俺はもう片方の手で口を塞いだ。あの気持ち悪いすっぱさに見舞われると覚悟していたのに、口の中はだるいほどの甘さに満たされて、全身から力が抜けて、ぎりぎり身を起こしてはいらてたけれど、手には全く力が入らなかった。もう一度、手を口元に当てようとしたところで、
喉の奥から何かが這いあがってくるような気がした。
「っっ……!」
歯のうしろにかつん、と小さな音が聞こえた気がした。それを皮切りになにか、硬くて小さいものがたくさん、喉を逆流して、俺は気持ち悪さと痛さに生理的に涙を流しながら何かを吐いた。
「がっ……ぁあ、うぇっ、」
「き、よしさん? しなないで。まって、きよしさん、まって」
どう考えてもまともじゃない和成の声が聞こえて、一気に冷静になった。もう、出てくるもんは出尽くしたのか、甘い口を開いて、なんとか和成に声をかけた。
「へいきだ」
「あ……きよしさん。本当に?! 清志さん、大丈夫?!」
「ああ、大丈夫」
咳き込んでいた時と同じように優しく背中をさすってくれた。
「ねえ、これ。こんぺいとう……?」
「は? んなわけあるか。つか、人が吐いたもん見んな。きたねえだろ」
「ほら」
躊躇なく、吐しゃ物に触れた和成に驚く暇もなく、和成はそれを口に入れた。
「は?!! ちょ、なにやって……?!」
「あまい」
なぜか、その一言を聞いた途端、俺の意識は薄れていった。
翌朝、起きたら、和成は支度ができていて、なにもかも忘れきっていた俺は寝間着のまま和成を見送りに出た。すると、清志さんも行くんすよ、と王都まで和成の馬の後ろに乗せられて(とてもお尻が痛かった。次の日、腹筋が筋肉痛になった)王宮の医師のところまで連れて行かれた。なんか、いろいろな説明をされたが覚えていない。ただ、薬は『雪解けの水』らしい。そんなものは存在しない。雪なんて、書物のなかにしか存在しないのに、医者はそれが薬だと言う。実際、ほとんど痛くもかゆくもない。病気らしい病気じゃないから意識は薄いし、他人にはうつらないらしいし、俺は和成に頑張れ、まってる、とだけ声をかけて町に帰った。


なんだか、知らないが俺はこんぺいとうを吐く病気にかかった。しかも薬はない。
町の人にはばれないように領主さまがしてくれたので、俺は毎日、普通に生きていた。ただ、時々、こんぺいとうを吐きながら。一番はじめの時だけ、苦しくて、次からは咳をした後にぽろぽろと数粒、出てくるだけになった。
甘党じゃない俺には辛い。


和成がこんぺいとうをとっておいて欲しい、というから俺は俺が吐いたこんぺいとうを瓶に保管していた。俺も食べたことがある。自分の体を逆流してきたものを口に含み直すというのは気が引けたが、和成は食べたのだ。しかも、甘いだとか美味しいだとか言いながら。汚いからやめろ、と言っても聞かずに、むしろ、
「だって、清志さんのからだで作られたものだよ? 汚いわけないでしょ?」
と笑うのだった。恋人にここまで言ってもらえるのだから、やっぱり抵抗はあったけど、食べたらただのこんぺいとうだった。
甘くて、歯を立てればかりっという微かな音と共に砕けてしまう。
透明な瓶には、赤や黄、ぴんくに水色、きみどりと色とりどりのこんぺいとうが毎日、少しずつ溜まっていった。
瓶がいろんな色に染まれば染まっていくほどに、俺は『症状』が進行しているのを感じたし、死が近付いているのが分かった。力を込めてもうまく、体は動かなくなってきて、いつも眠い。ぼんやり、と生きていた。しっかり意識も働いている時間というのがどんどんすくなってきていた。多分、今はもう走ることさえもできないのだと思う。日常生活に被害はほとんど出ていないけど、疲れているの? 顔色悪いよ、とよく声をかけられるようになった。それは、いいのだ。病気らしい、と思う。俺は病気なのだから、仕方のないことだ。
問題はもう一つの『症状』だ。惚れっぽく、なるらしい。いや、もう、らしいではないのだ。まさか、そこらへんのじじいにまで「キスしてえ」とか思う日がくるとは思ってなかった。最近は恐ろしくて、引き籠りたいというのが本音。店に来る客みんなに、そんなこと思っている俺ってなんなの。それでも、和成は別格だけど。まだ、和成以外の人とキスなんてしていないけど。それでも、不安になる。こんな風にふっわふわな意識でいる時間が長くなっている今、いつ、そこらへんのじじいにキスぶちかますかわかったもんじゃない。
和成がここにいれば、俺は他人に目が行く前に和成にキスしてれば落ち着くと思う。和成がいればいくら惚れっぽくなってても平気なのに。何度だって、和成に惚れ直すのに。


「和成……ごめんな」
俺は恐くて恐くて仕方がないんだ。
死にたくない。お前よりも先に死ねることは、ちょっといいかなって思ったこともあるけれど。でも、和成が素敵な女の人と結婚して、子供も産んで領主になって、昔みたいにただの兄弟にみたいに仲良くやっていけるなら、それはとても幸せな未来だと思ってる。
やっぱり、俺たちは間違ってる。そんな間違った方に引きずり込んだのは俺だから。多分、俺が死んでもお前は俺のことを忘れたりなんかしないで独身を貫きそうだ。俺のせいだな。俺が悪いんだ。
そんな俺は変な病気にかかって、そこらのおっさんにキスしそうになってたりしてさ。本当にお前に合わせる顔がないよ。
キスをせがむお前の顔をまっすぐ、見れないのが悔しいよ。他人にうつらないとあの医者は言ったけど、そんなもの信じられるわけがない。こんな奇病が存在する方がおかしい。お前と触れ合えば触れ合う分だけ、こんな病気にお前もなってしまうんじゃないかと思うんだ。心配なんだ。

俺には、どうせお前しかいないから。

俺はどうなってもいいけれど、お前はいろいろ背負ってるから。
「清志さんのバカ」
「起きてたのかよ」
「言いたいことあるならはっきり言って」
相変わらず俺に背を向けたまま、言った。その声は静かだが、怒っているようだった。
「俺、たぶん、そろそろ死ぬよ」
「…………嘘だ」
「俺、そこまでたちの悪い冗談言うやつだったか?」
「嘘だって言って欲しい」
「お前に嘘は吐きたくない」
こっちを向いた和成は、唇を強く噛んでいた。俺は、必死な表情の和成がいつも通り可愛くて、苦笑いを漏らす。
「ちゃんと、危篤のときには報せ出してもらうから、な? いつでも休み取れるようにばりばり働いとけ」
俺を看取れなければ和成は、俺を引き摺り続けると思うから。本当は一人で死にたいところなんだけど。俺が死んだことをはっきり、思い知らせてやんなきゃいけないだろ。お前の未来のために。俺がいない世界がお前にとって、つらい世界なのはいいことじゃないけど、俺は嬉しいよ。そうであって欲しいけど、欲しくない。
和成の髪を撫でた。
「言いたいこといっぱいあったのに、なんか全部わすれちゃった」
和成は笑った。本当によく笑う奴だな。お前の笑顔、好きだよ。そんな事さえも、きちんと伝えたことない。駄目な奴だな、俺。言いたいこと全部、言ってやろうか。
「お前の笑顔、好き。お前の下手なキスも、好き。泣いてる顔、好き。苦そうな顔も、ケンカしてる時の冷たい目も、好き。俺の失敗したシチューを食べてる時の、微妙な顔も、好き。寝顔も、好き。悩んでる時の顔も、好き。バカみたいに俺に抱きついているお前が、未だにキスだれただけで真っ赤になってくれるお前が、好き。自分からキスする時は目をつぶらないくせに俺にキスされる時は目をつぶれと我儘なこと言うお前が好き。どんどん成長してくけど、やっぱり全然、俺より小さいお前が好き。細いくせにしっかり筋肉のついたお前の体も好きだし、俺に気なんて遣わなくていいのに、いろいろ気を遣ってくれるお前の優しさが好き。素直に怒ったり悲しんだり、全部俺にぶつけてくれるお前が好き」
「やだ」
「俺の一世一代の告白を一言で無下にするな」
まだまだ言いたいことはあったのだが、和成の一言により遮られてしまった。
「顔赤いぞ」
「清志さんのせいでしょ」
和成ははあ、と大きく息を吐き出した。
「うん、分かった。清志さんの言いたいことは分かった。……だから、きちんと、さよなら言わせてよ」
いつ間にか、強い子になったんだな。俺の知らないこところでどんどん大人になっていく和成。俺のいない世界で俺の年なんてあっという間に超えて、じいさんになって、この町でのんびり暮らしていくんだろう。天国なんて信じてないから、死ぬってことは、漠然と消えるってことなんだと思ってる。
死んだら、和成を見ることも和成の声を聞くこともできなければ、和成を想うことすらできなくなるのか。俺っていう存在が名前と誰かの記憶の中に残るだけ。
なんでもいい。
「とにかく、幸せになれよ」
「清志さんのいない世界で幸せになるよ」
「いいこだ」
額と額をこつんと合わせてから、俺はキスをした。久しぶりのキスだった。


死ぬって、大したことないのかもしれない。
俺は自分のベッドに寝ていた。店で倒れたらしい。意識はずっと濃い霧がかかったみたいに不明瞭だった。考えたはじから、何を考えていたのか分からなくなって、ぐるぐると単語が回ってはどこかへ消えていった。
小さな咳が出る。ずっと。
絶え間なく咳をしていて、時々、咳が止まると、こんぺいとうが喉から溢れだした。
気付いたら、横には和成がいて、手を握っていた。
俺の枕のまわりにはこんぺいとうがいっぱい落ちていて、和成は違う方の手でそれを一粒ずつ拾っては瓶に落としていった。
そんなもの、どうすんだよ、といつだか聞いたことがある。
「食べる」
と簡潔に答えられた。あいつは、食べるのか、これを全部。さあ、それはどんな気持ちなのだろうか。検討もつかないのは、何のせいだろうか。


咳き込んで、こんぺいとう吐いて。それを繰り返していたら、眠くなってきた。
目蓋が重い。
もしかして、もう、開かないのか?
最後に、和成が見たい。
意地でもひとめ見ない限り死んでやらないからな。
むりやり、開かない目蓋を意地だけで持ち上げて、目の前の和成を見る。
和成は笑っていた。ぼたぼたと大粒の、俺の吐いたこんぺいとうと同じくらいに大きな涙をこぼしながら、にっこり、と笑った。
  
 「きすして」

もう、声はでなくて、微かにそう口を動かしてみた。
伝わらないかもしれない。ありがとう、とか言わなきゃいけないことがあっただろうに。なんで、よりにもよって、こんな言葉しか出てこないのか。

 
和成が近付いてくるのを意識の外側でぼんやりと感じた。





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