泣き虫な黒子っちと片想い幽霊の高尾くん

 










高尾くんが亡くなった。
その知らせを聞いたのは昨日、緑間くんからだった。
その時には、もう、お葬式の類は終わっていた。


高尾くんとボクの関係は友達だ。
高尾くんにはいつでもボクが視えていたから。みんなで遊びに行く時はいつも一緒にいた。火神くんにも緑間くんにも「黒子から目を離すなよ」と念を押されていた彼。彼は、ぼーっとするとすぐにみんなからはぐれるボクを引っ張ってくれた。「ほら、黒子!ぼんやりしないの!!」って。
高尾くんは同い年だけど、お兄さんみたいだと思ってた。いつも、ふざけてはいたけれど、根は優しくていい人だし、むしろ、優しすぎるくらいだった。しっかりしてたし、なにより、あの緑間くんを手懐けるような人だ。バスケプレーヤーとしても、人間としても尊敬していた。
そんな彼は死んでしまって、もうこの世にいないのだという。
本当なのかな。
全く、実感なんてわかない。
でも、緑間くんの表情を見ると、そうなんだとゆっくりとだけど、思える。緑間くんはひどくやつれていた。まだ、高尾くんが死んで数日な訳だけど、精神的なショックが大きかったことが窺える。目の下にはくまが出来ていたし、目が腫れぼったくなっていたのは泣いたからだろう。彼はなんだかんだと泣き虫なところがあったけど、今までの比ではなかったのだろう。ボクに電話をかけてきたとき、言葉にするのも辛かったみたいで、電話口でもそれが伝わってきた。彼は、本当に高尾くんが大好きだったんだなって思った。


ボクが語る彼も、緑間くんが語る彼も、過去形になった。
学校の帰り道。高尾くんにお線香あげさせてほしいと緑間くんに電話したら、学校まで迎えにきてくれた。
「キミはお葬式には出たんですか?」
「ああ」
ということは、高尾くんの死に顔を見たのか。
緑間くんの電話で、言葉の端々からしから推測したことだけど、高尾くんはひき逃げをされて見るも無残な姿だったらしい。
「……緑間くん、泣いたんですね」
「泣いた訳ではない。生理現象なのだよ」
こんな時までつんを発揮しなくてもいいのに。彼は知られていない、と思っているのだろう。自分が試合に負けるたびに泣いているということを。

「高尾は優しいやつだった。オレは何度も助けられたのだよ。なんで、それを伝えられなかったのだろう。ひとことでいいから、ありがとうと言いたかった。
横を歩く彼の顔を見上げると、彼は困ったように笑っていた。
「伝わっていたとは思いますよ」
ただ、高尾くんもきちんと言葉という形で欲しかったと思うけど。
「彼は分かってましたよ、キミの不器用さなんて」
「そうか……。そうだよな」
「彼はよくできた人でしたから」
電車に乗ってる間、ぽつりぽつりと呟くように彼のいいところを言い合った。緑間くんは、今じゃなきゃ、素直になれない。珍しく、素直に思ってることを吐き出したがっているように見えた。
話は尽きなかったけど、全て過去形だった。
優しかった、気遣いができた、本当は真面目だった、勉強もできた、なんでもできた、子供が好きだった、面倒見がよかった。
電車に人が少なくてよかったと思う。
ボクも緑間くんも、泣いてしまった。大泣きは流石にしなかったけど、大粒の涙が二三、頬を伝った。
ボク等はお互いの顔を見て、笑った。
「あと少しくらいなら泣いても怒られませんよね?」
「ああ」


高尾くんの家にお邪魔させてもらうと、妹さんだけがいた。
「お邪魔します」
リビングの奥に真新しい仏壇があった。
なんていうのかは知らないけれど、お椀みたいのを軽く鳴らす。
高くて澄んだ音が響く。
でも、その音はあからさまに彼の死を意識させた。
「……高尾くん、キミにはもう、会えないんですね」
涙が出るのかと思ったけど、出なかった。
キミの前では泣けません。それがキミを悲しませそうだと思ったから。
「お兄ちゃんの友達なんだよね?」
おずおずと話しかけてきた妹さん。高尾くんに似て、ネコみたいな少し吊りあがったアーモンド型の目をしていて、ショートカットの活発そうな女の子だった。
「ええ、そうですよ」
「もしかして、黒子くん?」
「はい。どうして、ボクのことを?」
「お兄ちゃん、まれに日記を書いてたんだよね。部屋片付けてた時に見ちゃって」
えへへ、と笑う彼女の目も薄く腫れていた。
「へぇ、彼が日記を」
まっすぐボクを見据えた彼女。高尾くんと同じ瞳。
「お兄ちゃんと仲良くしてくれてありがとう」
高尾くん、今、キミ、すごく情けないお兄ちゃんですよ。妹さんに代わりにありがとうって言われちゃってますよ?ありがとうって言いたいのはボクの方だ。ボクも彼に感謝の気持ちをきちんと伝えられてない。
「これね、あげる。たぶん、あたしよりも黒子くんが持ってた方がお兄ちゃんは喜ぶ」
そう言って、手渡されたのは水色のリストバンド。オレンジのラインが入っていて、まだ新品。そして、袋の端にリボンまでついていて、多分、プレゼント。
「ボクは受け取れません。他にこれを受け取るべき人がいるでしょう?」
「ううん、これは黒子くんにあげるつもりだったんだよ」
「え、ボクですか?」
「黒子くん、もう少しでお誕生日なんでしょ?」
もう少し、というにはまだ一カ月以上あるが、日記を読んだというのだから間違いはないのだろう。
「受け取ってやれ。それが高尾の意思なのだよ」
緑間くんまでそんなことを言ってくる。
「……じゃあ、頂きます」
最後まで笑って対応してくれた妹さん。強い子なんだろう。
 
緑間くんと駅で別れる。
家に帰って、鞄からさっきのリストバンドを出す。
開けてもいいのかな?一応、誕生日まで開けない方がいいのか、なんなのか。
「くろこー」
ラッピングされた袋を睨みつけているとどこかから声がした。ぐるりと部屋を見渡す。
「え?」
空耳、空耳。じゃなかったら、怖い。
「くーろーこー」
え、嫌ですよ。こんな季節に怪談とか、え?ええ!?もう、どこも見れないじゃないですか!ぎゅっと、光も入らないように目をつぶる。
「……」
「くろこ、くろこっ!!」
「……あれ、たかおくん?」
聞き慣れた声のような気がする。というか、真横から聞こえてる?
ぱっと右を見る。
「高尾くん?!」
えへへ、と笑った高尾くんがすぐ真横にいた。
「やっと、気付いてくれたぁー。もー、オレ、疲れちゃった」
「お久しぶりです」
「えー?この間、遊んだばっかじゃん!」
「そうでしたね」
いや、おい、そうじゃないだろ。
「あ、気付いた?そう、オレ、死んだんだよね!」
おいおいおい、じゃあ、何?
「幽霊だよ☆」
「は?」
ボク、頭おかしくなったかな。多分、そうなんだな。よし、寝よう。

「だーめっ!」
目の前に高尾くんの顔が迫る。
「え?ええ??!」
「いったん、落ちつこーか?」
「はい」
高尾くんの笑顔を見ると落ち着く。
「照れるなぁ」
「え?あのー、考えたこと筒抜け、みたいな?」
「みたいな、みたいな!」
彼はさっきなんて言った?いい笑顔で幽霊とか言い放ってなかったか?

足!足ある?!
「足ね、普通にあった」
「え。…………すみません。いろいろ説明してもらっていいですか?」
「うん、いいよ!むしろ、聞いてもらえなかったら困るし!」
彼の話をまとめると、成仏できなくて、いろいろあってボクにだけ見えるし、ボクの思ったことが聞こえる。それだけらしい。いろいろっていう部分は詳しく教えてくれなかったけれど、よくある話のように未練があるらい。(よくあるって、小説とかの話だけど)
「その未練をどうにかすればいいんですか?」
よくある話なら、ボクは高尾くんの未練をなくすために手伝うのが筋だろう。
「うん、そゆこと!……のはず」
「はっきりしてくださいよ」
「だって、分かんねーんだもん」
ぷうと頬を膨らませた高尾くん。
「いいでしょう。未練ってなんなんですか?話はそれからです」
「…………言わなきゃダメ?」
(ボクよりも身長高いくせに)下から覗きこむようにして上目遣いで言ってきた。
「それは、構わないですけど。キミが成仏できるというなら」
「成仏って、しなきゃダメなの?」
高尾くんは真剣な表情をした。あと、どこか不機嫌そうでもある。
「ダメではないだろうと思いますよ。よく分からないけど。でも、分かって言ってるんですか?キミは成仏しなければ、キミはボクとしか会話できないし、ボクにしか見えないんですよ?」
それは、相当、悲しくて寂しいことだと思うのだが。彼は、あんな姿の緑間くんを黙って見ていることしかできなくて、言葉も交わせない。緑間くんの思いを受け止めることしかできないのだ。緑間くんだけじゃない。彼の家族も同様だろう。自分の死を悲しんでもらえることはそれだけ、生きていた時に愛されていた証拠ではある。


でも、それは本当に嬉しいことか?自分の所為で涙を流している人が一人でもいることは何一つ嬉しくはないだろう。自分にとっても大事な人なのだから、尚更。
「分かってるよ、そんなこと」
「成仏したくない理由でもあるんですか?」
「あるって言ったら、どうするの」
「仕方ないですから、飽きるまで付き合うまでですよ」
拗ねたように言った。拗ねている高尾くんなんて珍しい。思わず苦笑が漏れる。
今、彼と彼の世界は一方通行で、唯一、一方通行でないのはボクだけなのだ。
ボクしかいない。
「そっか。オレ、黒子としかしゃべれないんだな」
「……!!そうでした……。ボクの思考は全部、聞こえるんでしたね」
「全部じゃ、ねーよ。オレに関することだけ」
彼には隠し事ができないらしい。
「そういうことだね☆」
「じゃあ、こうやって言葉に出さなくてもいいんですね?そろそろ独り言と言い張れる域ではないので。親に怪しまれます。
「できるよ。やってみ」
えーと、高尾くん?
「ん?」
「ほんとだ」
「でしょ?」
にこっ、とどこか人を挑発しているようなのに、安心する笑顔。
その笑顔に思わずボクも釣られて笑ってしまう。


こうして始まった高尾くんとの生活。よく考えれば、これは高尾くんにとり憑かれたということではないんだろうか。
高尾くんは、ボクの横にずっといる日もあれば、一日中どこかへ行っているときもある。ただ、ボクが高尾くんと呼べば一瞬で帰って来てくれる。幽霊って、なんなんだろう。どこでもドアではないけれど、距離みたいなものは無視できるのか。足は確かにきちんとあったし体も透けてはいなかった。ボクが歩いている時には普通に、そこらへんの人となんら遜色なく歩いていた。
体は透けていないが、触れるのだろうか。
なんだかんだと、この生活も一週間経過した訳だが、彼に触れたことは一度もなかった。彼からも触れられることはなかった。
前にみたいに引っ張られることはない。だって、今は立場が逆なのだ。
彼しかボクが見えなかった関係は、ボクしか彼が見えない関係になった。
なかなか皮肉なものである。


「ねぇ、黒子」
「あ、おかえりなさい。どうかしました?」
部屋で読書をしていた。高尾くんはさっきまでいなかったはずだが、いつの間にか帰って来ていたらしい。まわりに人がいる時は、声に出さずに会話をするが、二人の時は普通に声に出して会話をする。
「あ、うん。ただいま。あのさー、オレの未練、聞きたい?」
彼は、気まずそうにそう切り出した。
彼との生活にも随分慣れた。元より人付き合いの上手い彼だ。一緒にいて相手を疲れさせるようなことはないだろう。ボクは一人の時間は何がなんでも確保したい派な訳だが、彼はそういう時にはどこかへ行っていることが多くて、本当によくできた人だと思う。勉強で困っている時は教えてくれるし、彼に迷惑をかけられているなんてことは一切ない。むしろ、彼が可哀相だと思う。ボクしか相手できる人間がいないなんて。ボクは彼に助けられているが、ボクは彼に何もしてあげられないのだ。
「どうしたんです、急に」
「いやぁ、ねぇー」
「いいですよ、言いたくなければ言わなくても」
うじうじとしている彼が微笑ましい。
「いいの?」
「ボクのことでしたら、気にしなくていいですよ?」
「言いたいって言ったら、聞いてくれる?」
幽霊になった高尾くんは昔に比べて少し、しおらしい。あと、静かだ。遠慮がちでもある。それは、やはり、ボクの所為なのだろうか。
「ええ」
彼は気を遣いすぎる。たかがボクしか彼を見ていないのだから、もう少し肩の力を抜いて欲しい。ああ、ボクしかいないから念入りに気を遣うのかもしれない。そう考えるとボクと彼の関係はひどく窮屈なものだ。
「あのさ」
「はい」
「……やっぱ、まだ言えないや。でも、ひとつだけ聞いてもいい?」

俯かせていた顔を上げて、いつもの笑み。
「オレのこと、好き?」
「え?はい、好きですよ」
今更、何を聞くんだろうか。ボクが高尾くんを嫌いな訳がないのに。それは彼自身にも少なからず伝わっていると思っていたんだけど。

「うん、伝わってる。ちょっとした確認っていうか、背中押してもらいたかっていうのかな、そんな感じ」
「? キミの助けに少しでもなれたら嬉しいです」
「黒子……。笑顔、かわいい」
「どうしたんですか?!」
「ん?思ったこと言っただけだよ?いつも言ってんじゃん」
確かにしょっちゅう、可愛いだとか男前だとか容赦なく褒めてくるけど。久しぶりだったから、驚いた。早い話、彼が幽霊になってから、言われたのは初めてだと思う。
「キミに言われるとどんな褒め言葉も嫌味に聞こえるんですよ」
「黒子、ひねくれてるぅ〜。オレ、嘘つかないよー?」
「もう、それが嘘ですよ。キミは悪意のない嘘であればいくらでも吐くでしょうが」
「嘘も方便って、やつ☆あ、黒子が可愛いのはホントね?」
「はいはい。ありがとうございます」

 
ボクは不安になる。
彼が何処にいるのか。
彼が何をしているのか。


「高尾くん、すみません、ここ教えてもらってもいいですかー?」
「おー、どこどこ?」
「ここなんですけど……」
部活を終えて、宿題中。
ベッドの上で胡坐をかいていた高尾くんが立ちあがって、ボクの横までやってくる。
高尾くんって飛べるのかな?
不意にそんなことを考えた。
彼は少なくとも壁や窓は通過する。でも、そういう行動以外は、本当に普通の人と何も違わない。現に今もベッドを下りて、机の横に来るまでに床に落ちていた本や鞄を避けながら歩いてきた。道を一緒に歩く時も、向かいから来る人を避けていたし。
「えー、見たい?」
「飛べるんですか?」
「うん。ほら」
まるで床がトランポリンになったかのように軽々、ジャンプする。
「これじゃあ、オレの特技のバック転が意味ないよな〜」
なんてぼやきつつ、膝を抱えてぐるぐると宙を回っている。
あ、なんか幽霊らしい。
「オレ、幽霊だしね」
「日頃が生々しい動きし過ぎなんですね。よく分かりました」
「昔のまんまだからねー。体以外は」
彼の笑顔に一瞬、影がさしたような気がした。
「で、えーと、物理?」
「あ、はい」


ボクは慣れてしまっていた。
彼が呼べば、そこにいてくれることに。
彼がいつでも一緒にいることに。


いつも通り、いつの間にかに帰ってきていた高尾くん。
「ねぇ、テツヤ」
「っ!!……なんですか?」
「なーんてな☆赤司しか、テツヤって呼ばないよなー」
ベッドの上に座っていたのだが、気付くと隣に彼が体育座りをしていた。本当に心臓に悪い。ボクも反省しなくてはいけないな、と思う。
でも、急に耳元で名前を囁かれたんだから驚くのも無理はないと思う。しかも、いつになく真剣な声だった。(絶対に確信犯だ。)思わず、驚きに肩を跳ねさせてしまった。ボクがびくっとあからさまな反応をしたのが面白かったのか、 はたまた、それに満足したのか、にんまりと悪戯っぽく笑った。
肩が触れそうで触れない距離。
「オレも、それ読んだことあるわー」
「これですか?」
今読んでいるのは、今日の昼に図書室で借りてきた恋愛小説。居酒屋でケンカするところから始まる、仲が良いのか悪いのかよく分からない関係を続ける二人がくっつくまでの物語らしい。傍から見ると、どう見たって仲が良いのだが、本人達は「あんな奴は嫌いだ」と言っている。よくあるパターンだが、この二人の絡みがなかなか面白い。恋愛よりもコメディ要素の強い作品で軽め。今日中に読み終わってしまうだろう。
「あのねー、」
「ネタばれはダメです」
「ごめん、ごめん。でも、いっこだけ、言っていい?」
ボクが渋った顔をしたのを分かっていて、ね、ひとつだけだからさ、と手を合わせてきた。彼が全部、ばらすとは思えないので渋々ながらも了承する。
「はい」
「それね、大どんでん返しあるよ。まじ、号泣」
「まじですか?」
「まじでっす!」
半分、ネタばれのようなものだけど、先がすごく楽しみになった。
「ふふ、キミは相変わらずですね」
「何がー?」
「いえ、なんでもないです」


ボクは忘れてしまっていた。
彼が、ここにいる理由を。
彼が、朧げな存在でしかないことを。


「黒子、黒子っ!」
「はい?そうしたんですか、そんなに慌てて」
いつもだったら、絶対にしないのに、今日は何をそんなに急いでいるのか二階の窓から入ってきた高尾くん。
「真ちゃんに会った!」
「そうですか。良かったですね」
「なんで、オレ、嬉しいんだろ?」
あれ?と急に考え込んでしまった。
「え?」
なんでって、友達に会えたからじゃないのかと思って、ボクも考える。彼の会う、というのは残念ながら見かけるということでしかない。会おうと思えば、彼はすぐに秀徳へでもどこへでも行けるはずなのだ。今更、という話ではないのか。
「……秀徳へは行ってないんですか?」
「うん、行ってない。誠凛にも行ったことないようにね」
「なんでって聞いてもいいですか?」
「ボールを見たくないから」
多分、触れられないから。バスケがしたくなるのが嫌なんだろう。
「そう、ですか」
「あ、なんか、ごめんね?黒子は悪くないのに」
「ボクはキミに何もしてあげられないのが悔しいです」
「そんなことないよ?!オレ、すごい、黒子に助けられてるからね?オレが今、この時間を持ててるのは黒子のおかげなんだし、さ!」
「へ?」
「ふへ?!いや、なんでもないけどね?!」
よく分からなかったけれど、彼の照れた表情から、ボクは何かしら彼の役に立てていることは嘘ではないようだ。彼との生活も一カ月は経ってしまったわけだが、やはり、近くにいればいただけの発見がある。いつだって、しっかりしているとおもっていたけれど、時々、抜けていたりする。いつだって、大胆不敵に笑っているのかと思っていたら、しょんぼり帰ってくることもある。(これはボクのことを信頼してくれてるのかなって少し自意識過剰かもしれないけれど、思ってしまう。)
おちつけ、オレ。なんか、おかしいぞ、なんてぶつぶつ言いながら、深呼吸している彼も可愛らしい。彼を見てると、頬が緩む。いつもはあまり働いてくれない顔の筋肉が頑張ってくれてると思う。
「あ、笑ったな!」
「っふふ。だって、慌ててるキミが珍しくて、つい」
「恥ずかしいな、もー」
「そういうところ、可愛いですよ」
日頃の仕返し。実際、可愛いし、いいじゃないか。
「え、ちょ、急に真顔とか、やめて。ときめいちゃう……!」
「と、ときめくってなんですか……!もう、笑わせないで下さいよ」
「ぜんっぜん、顔、笑ってないけどな!相変わらず!」
どうでもいいようなことで、なんで面白いのかさえ分からないけど、笑える。それが学生というものだ。
ひとしきり二人で笑いあった。(家にはボクしかいないので、怪しまれはしない。最悪、お笑い番組でも見てたと言えば大丈夫。)
「やっぱ、楽しいわ。黒子といると」
「そうですか?ボクもキミといるのは楽しいです」
「オレ、お前にしか見えなくて悲しかったことなんてないからな」
「今、言うことなんですか、それ。急に真面目なこと言われるとテンションがついていけません」
「大事なことは、早いうちに言っちゃった方がいいの!時間を置くと、恥ずかしくなってきちゃうでしょ?」


ボクは考えないようにしていた。
彼とボクの関係を。
彼にボクしかいない意味を。

ボクは知る。


いつものようにボクは本を読んでいて、高尾くんは、ただ、ぼーっとしていた。
「黒子」
「? どうかしました?」
「あのさ、話聞いてくれる?」
「いいですよ」
彼の笑みに、笑みを返す。頬が引き攣ってないことを祈ろう。
そうか、終わりか。
「ほら、妹ちゃんからリストバンド受け取ったでしょ?あれ、どした?」
「ああ、あれは机の中ですけど?」
あの日、高尾くんは誕生日まで開けないでほしい、折角だから、と言った。どうせ、中身は分かっているし、彼がここにいるのだから、これは彼の所持品だ。彼の意見に従って、まだ、リボンも解かずにそのままの形で机に入っている。
「あと、3分で31日なんだけど」
「え、もうですか」
時計を見ると、針は重なりそうで重ならない、そんなところを指していた。
そうか、誕生日か。忘れていた。
「やっと、キミの歳に追いつきますね」
「そう、だね」
足の低いテーブルに向かい合って、黙る。静かな部屋の中に、秒針の音がずいぶん大きく聞こえる。かち、かち、と規則正しく無機質な音だけ。
かちり、と二つの針が重なる。
「黒子、おめでとう」
「ありがとうございます。開けてもいいですか?」
「いいよ」
机の引き出しを開けて、袋を取り出す。
水色のリボンを解く。何の変哲もない、リストバンド。
「ちょっと、デザインが可愛らしすぎませんか」
まるでテニスをする女の子がつけていそうなイメージの色である。
「そう言わないでよ。これでも、真面目に悩んだんだぜ?」
「……嬉しいです」
えへへ、と照れ笑いで返してくれる。
付けてもいいですか、と聞けば頷いてくれる。
「なぁ、黒子。好き」
「…………」
「オレ、黒子のこと、好きだよ」
手首にやっていた視線を正面の高尾くんに向ける。
「これが言いたかった」
ずっと、と付け加えて、ボクを真っ直ぐに見る。
「ボクも、好きですよ」
「そっか。嬉しい」


手を伸ばす。

彼の頬に。

ああ、やっぱり。


彼の頬に両手を当てる。何も感じない。目を閉じれば、そこには何もなくて。
瞬きさえ、怖い。
「ごめんな」
なんで、彼が謝るのか。誰も悪くない。
「キス、してもいいですか」
「いいよ。しよう」
テーブルの上に身を乗り出す。彼も同じように、近付く。
「どうやって、しましょうか」
「目、つぶったらできないよな」
「上手いところで止まりましょう。距離感覚はキミの方が上手にとれるはずです」
目の前で微妙な表情をされる。
目の焦点が合わない程に彼の顔が近くにあって、寄り目になってないかな、と心配になる。そんなどうでもいいことを思っているうちに、
ふっと彼が身を離した。
「キスって……こんな空しいものですか」
「ちげーと思うよ」
「ボクはバニラシェイクの味がするキスがしたかったです」
無茶言うなよ、と笑う。
「黒子、ありがとう」
「いいんですよ、お礼を言うようなことではないです」
俯いたのは、一瞬。すぐにボクを真っ直ぐ見た。
試合の時にしか見ることのできない鋭利で冷たいナイフのような、でも、どこか挑発的なあの表情をもう一度、見たかった。そんなことを思うのは贅沢だ
「オレ、ちょっと出てくるね」
「はい。行ってらっしゃい」
ばいばい、と本当に微かな声で彼は言った。ボクに聞かせるつもりはなかったんだろう。彼の中でのけじめをつけるための言葉。背中を向けたまま、ひらひらと右手を小さく振りながら窓を通りぬけて行く。


もう、彼はここにかえってくることはないだろう。

 
彼を幽霊なんていうものにしたのが神様ならば、ボクはその神様を問い詰めたい。
彼の死はあれだけの人を悲しませた。それなのに、尚、彼を悲しませる。彼は死んでもボクのために悲しんでくれるのだ。彼は自分が悪い、と言った。彼は悪くない。
彼の未練は、ボクに告白できなかったこと。その未練が晴れる時には、どう転んだって彼にとっての幸せは待っていない。例え、振られたとしても、彼はそれでもいいと言うはずだけど、ボクに告白したことを心のどこかで後悔したはずだ。
そして、相思相愛になった今。ボクはもう死んだ彼に。彼はまだ生きているボクに。ボク等は思いを募らせれば、募らせるだけ、悲しい思いをする。その思いは相手に届くことはないに決まってる。


彼と過ごした長いようで短い一カ月と半月。
ボクにとってとても大切な日々だった。
 
でも、ボクはすでに自信がない。
 
彼は、ここにいたのに。
ここにいるって、胸を張って言えないのだ。

朧げで不確かで曖昧で。
彼が、ここにいたっていう証は何もない。

ボクの妄想、だったかもしれない。そんな類のことを言い始めればキリがない。

  
「高尾くんは確かにいたんです」
水色のリストバンドをはめた手首をぎゅっと掴む。


ボクは、また、泣いた。








letters:965